第3話 盲目の踊り子

 秋の夕暮れ、畑仕事が終わった村人は家路に向かって歩いていた。

 小高い山の中腹に建つ神社の辺りから御囃子おはやし太鼓たいこの音が途切れ途切れに聞こえて来る。

 子供たちが秋の収穫を祝う祭りに披露する演舞えんぶの稽古中である。

 たわわに実った田んぼの稲の収穫が終わった頃、この村では村人総出で神に感謝し収穫祭を盛大に行う恒例の行事である。

 

 昔々、この国を造ったと伝えられる神が、大きな硬い岩に向かって手に持つやりを突き刺した。そして槍を岩から引き抜くと、湯がき上がり流れ出た。き出た湯は見る見るうちにくぼみに溜まった。

 それ以来、この村の源泉げんせんとなり湯は枯れる事なく今もふきき出し続ける。

 そんな言い伝えが残る温泉が、この山の谷合に幾つか存在する。

 源泉げんせんから別れた湯は右手の山では琥珀こはく色の温泉に、左手の山では翡翠ひすい色の温泉となった。

 温泉を楽しむ神は、この国に暫く滞在し穀物や果実を実らせ長らく豊饒ほうじょうをもたらしたという。

 

 ◇◆◇◆ 村祭り


 月が満ち金色に輝く丸い月を待って収穫祭が始まる。

 神社の広場では祭壇が設けられ、収穫した穀物を祭壇に供えた。

 宮司ぐうじによるみことのりが読まれ、おはらいが行われる。

 村の人々は、皆、こうべを垂れ熱心に祈った。

 式典の中央には木々で組まれた火壇に火が灯され、大きな火柱が立ち昇る。

 点火をまっていたかの様に笛や太鼓が鳴り始め、老若男女が火柱の周りに集まると、笛や太鼓に合わせ踊り始めた。

 

 造り酒屋を営む清兵衛も今年出来た地酒の酒樽たるを広場に持ち込み、村人たちに大番振る舞いをする。

 酒樽の前に並ぶじい様や村の人々に酒を注ぎ、労をねぎらった。


「今日は、ぞんぶんに飲んでください」

「足らなければ酒蔵から持って来ますから」


 村人は、手に持つ竹の湯飲みに並々と注がれた酒を一気に飲み干す。


「おおおーっ」

「ありがてぇ! うぃぃー」


 赤ら顔の村人たちは、ふらふらと上機嫌で踊りの輪に戻って行く。

 

 神社の参道沿いには赤や黄色の提灯が飾られ、いい匂いが漂う露店ろてんが並び、子供たちが境内けいだいを走り回る。

 

 古那こなも母の千代と収穫祭に出かけた。小さな古那は迷子にならない様に千代の着物の胸元に収まった。


「母様っ! あれは何ですか?」

「あれはねえ……」

 と二人であれこれと話しながら参道に並ぶ露店を観ながら歩く。

 

 ◇


 夜は更け祭りもたけなわ、村の人々は酔い上機嫌に出来上がったところで、地元神楽かぐらの披露である。

 くねくねと暴れ回る巨大な大蛇。地上に降りた神は荒ぶる大蛇から絡捕からめとられる……神と人々は用意した酒を巨大な大蛇に飲ませ……眠らせた大蛇に剣を振り上げる……ついに巨大な大蛇を見事退治する。

 そして巨大な大蛇から現れ出たつるぎを神は高々と掲げ讃えた。

 

 拍手と歓声が上がり神の雄姿に声をあげる。酒に酔った村人たちは、共にい高らかに笑いあった。


「シャリーン」「シャリーン」

 

 歓声で盛り上がる中、美しい鈴の音が何処からともなく聞こえて来る。

 

 花道を滑る様に現れる踊り子。

 

 収穫の時期になると毎年この村に訪れる、旅の白拍子しらびょうしの演目である。

 白拍子の奏でる音色と洗練された美しい舞に皆、目をうばわれ秋の夜が更けていった。

 

 ◇◆◇◆ 盲目の踊り子


 盛大せいだいな祭が終わった朝。

 太陽も昇っていない真っ暗な早朝は、祭りで賑わった余韻だけが神社の参道や境内にまだ残っていた。火壇の残り火が微かにくすぶり、ロウソクの消えた提灯ちょうちんだけが静かに並んでいた。

 

 この人気の無い境内けいだいに、清兵衛と千代と古那の三人は、やしろの裏庭にまつられるほこらに訪れていた。お供え物と今年出来た地酒を抱えほこらに向かう。

 

 平穏な日々に感謝し、三人の出会いに感謝する。


 三人が境内の角を曲がるとほこらの前に白い衣装をまとった少女が一人、立っていた。

 齢は七、八歳ぐらいであろうか、赤地の着物に白色の薄い衣をまとい、手には舞を踊る為の鈴を持つ。小さな白拍子しらびょうしである。


 こんな朝早く人気の無い場所にポツリと立つ少女。

 

 三人は不思議に思い、小さな白拍子に近づく。

 

「これこれ娘さん。何をしている……」

「そなた、この村の子では無いな」

「旅の白拍子の娘か? 迷子にでもなったのか?」

 

 と清兵衛が小さな白拍子を驚かさない様に優しく声をかける。


 突然、声をかけられた小さな白拍子は、ビックと肩を上げ、驚いた様に振り向く。

 おびえた表情で肩をすぼめ、合わせた両手で顔をかくし、うつむく様な仕草をする。


「道に迷ったのか?」

 

 清兵衛が訪ねる。


「そなたは昨日、村に訪れた白拍子の一行か?」


「…………」 

 コクリと少女がうなずく。

 

 おびえる少女に千代が優しく言う。


「こんな所に一人でいたら危ないわ。親元に送ってあげる」

 

 少女は首を左右に振り、ゆっくり顔を上げた。

 

 まだ幼さない顔立ちだが、その整った顔立ちと、まだ延びきれぬ黒髪を束ね肩口から胸元に垂らした姿は、歳を重ねる巫女みこの様にも見えた。

 

 少女は目を閉じたまま耳を傾け、自分に声をかけた者を探る様に顔を動かした。

 そして、左手をゆっくり伸ばし目の前の空気を探る。

 

「―――目が見えないのか?」

 

 清兵衛と千代は、少女の動作に気付き、すぐに少女の手を取ろうとする。


「わ、私は、この場所にみちびかれて来ました」

「光が……光が……」

 

 美しい顔立ちから発せられるりんとした言葉が、何かをうったえかけた。


 清兵衛と千代は、少女の言葉にお互いの顔を見合わせた。


「えっ!」

 

 その時、千代の胸元から様子を見ていた古那が飛び出し、横の岩に飛び移った。


 少女は気配を感じたのか、導かれる様に手を伸ばし古那が飛び移った岩に手をかざした。

 

 少女は手探りで古那の方へ歩いて行く。


「光が……みえる……」

 

 少女は古那の前に腕を伸ばし、手の平を広げた。

 古那が少女の広げた手の平に飛び移る。


「そなた……神饌しんせんの者か?」

 

 古那が少女に訪ねた。

 少女は古那を手の平に乗せたままひざを折り、地面にひざまずいた。


「……私は……私は」

 

 少女は今にも泣きそうな声で口ごもる。

 

 古那が跳躍し草むらに降り立つ。

 

 地面に生える青紫色の竜胆りんどうの花を手でった。

 

 一輪を少女の前髪にし、一輪を少女に手渡した。


花簪はなかんざし? まあっ古那ったら……」 

 思わず千代の顔が赤くなる。

 

 竜胆りんどうの花を手に取った少女は、ゆっくり立ち上がり、両手を広げた。

 そして、天に両手をかかげる。


「シャリーン」「シャリン」

 

 手に持つ鈴の音が静かな空間に響きわたった。

 

 右手に竜胆りんどうの花、左手に鈴、少女の体がゆっくりれ、鈴の音と共に舞い始めた。


 少女は優雅に舞い、風の様に肢体を動かし、時に激しく舞った。

 薄い衣が風に舞い、美しい黒髪が漂う。

 

 それは、まるでいにしえの物語を観ている様であった……。

 

 朝の静寂が辺りを包む。

 清兵衛と千代は、今まで見た事の無い不思議な舞いに時がたつのを忘れ、いつの間にか二人手をつなぎ舞に魅入られていた。


「…………」


 東の山が少しずつオレンジ色に包まれ、山間から朝日が一直線にほこらしていく。

 朝日に照らされ、舞う少女のひたいに浮かんだ玉の様な汗が七色に光り地面に落ちる。


「シャリーン」「シャリーン」

 

 鈴の音と共に少女は、力尽きた様に地面に座り、倒れ込んだ。


「…………」

 

 すると、古那の辺りに小さな光が浮かび始めた。

 古那の体が無数の光に包まれ……そして光がはじけた。


 清兵衛と千代は驚き目を見張ったが声が出ない。


 はじけた光から姿を現した古那が、座っていた岩からゆっくりと立ち上がる。

 そして、力尽き横たわる少女に歩み寄る。

 少女の顔の前に立つと言葉を発した。

 

 少女は、ゆっくりと目を開ける。

 

 古那が両手の手の平を合わせ……指でいんを結び……真言しんごんとなえた。


「 वैश्रवण……ヴァイシュラヴァナ……」

 

 いんを結んだ古那の手が金色に光る。

 

 そして横たわる少女の瞳に金色に光る手を静かにざした。


 すると……。

 見開かれた少女の白くにごった瞳が、徐々に黒くなり深い黒真珠の様な瞳へと変わっていった。


 横たわった少女の黒真珠の様な瞳に古那の小さな姿が映る。


 少女は、ゆっくり手を伸ばし、目の前の小さな古那に触れようとする。

 そして少女は、瞳からこぼれた大きな涙粒といっしょにニッコリと笑った。

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