第4話 銀狐あらわる

 清兵衛が家業で営む酒蔵さかぐらの仕込みを終え、帳場ちょうばいそがしく働いていると、帳簿書きを手伝っていた番頭の平助が声を押し殺しながら清兵衛に話しかけてきた。


「若旦那。若旦那っ。うわさを聞きましたか?」

 

 清兵衛は、帳簿に書きつけていた手を止めた。


「何でも最近、やしろ境内けいだいで青白い火の玉が出るそうなんですよ……」

「火の玉は、こうフワフワと……すうっと何処かへ飛んで行くそうです」

 

 番頭の平助は、さらに声を落としヒソヒソと言う。


「お得意先の旅商人が言っていました」


「最近、山向こうの国府こくふにもが出たそうですよ」


「月夜のばんになると……それはそれは聞いた事が無いけものの様な鳥の様な不気味な声がするそうで……」


「ふうっー。くわばらくわばら」

 

 平助は自分が言った言葉で身震いすると恐々と肩をすぼめる。


「平助。お前は実際に見たのかい? めったな事を言っては駄目だよ」

 

 と注意する清兵衛だが、きまり悪そうに目を泳がす。

 肩をすぼめる平助から、ぎこちなく顔をそむけた。


 ◇


 先日の収穫祭で出会った白拍子しらびょうしの少女。清兵衛たちの前で妖艶に舞う少女との不思議な出会いの日から、息子の古那こなは三日三晩、意識が戻らず眠り続けていた。

 皆が寝静まる夜中。

 古那が昏々こんこんと眠る部屋で清兵衛と千代が二人、看病をしているとは現れるた。

 青白く光る玉が三つ、やしろの方角から現れたかと思うと戸口とぐちを抜けスルリと部屋に入ってきた。

 そして古那の周りをフワフワと飛び回る。

 それから毎夜、光る玉は現れ部屋を飛び回り、朝には姿を消す。

 清兵衛と千代は最初、魔物が出たかと驚いたが、フワフワと漂い蛍の様に優しく光り、眠る古那を突っつく光る玉に何やら安堵あんどした。

 

 ◇


 満月が訪れた夜。

 いつもの様に光る玉が三つ、部屋の中を浮遊していた。

 古那の看病に疲れたせいか、母の千代が部屋の壁を背にうたた寝をしていた。


「カタッ、カタタッ」


 空気がれ始め、突然、光ったまぶしい閃光せんこうに、うたた寝していた千代が驚き目を覚ます。

 

 青白く光る玉がぐるぐると回り始めたかと思うと、光る玉からけものの四足が生え、尻尾しっぽが生え、最後に尖った口とピンと立った耳が現れた。


 それは青白い光に包まれた息を飲むほど美しい三匹の銀色の狐の姿となり現れた。

 

 そして三匹の銀狐は、眠る古那にゆっくりと近づく。

 

 驚いた千代は腰を抜かし声も出ない。

 開いた口を手で押さえ右手を差し出す。

 

 三匹の銀狐は、眠る古那の寝顔を見つめた。

 そして顔を近づけると古那の顔をペロリとめ始めた。


「……」「……」

「はっははっ」

「やめろよ! はっははっ。くすぐったいよっ」


 顔をめる銀狐。

 古那が元気な声をあげ手足をバタバタさせ始めた。


 古那が跳ね起きた―――。

 

 銀狐たちは顔を近づけ更に古那をめ続ける。


「ああっ分かったからっ」

 

 古那は両手で抱えていた瓢箪ひょうたんせんを開け、手の平に注ぐと銀狐たちに与えた。

 銀狐の体を包む青白い光が徐々に消え、やがて輪郭が鮮やかに現れた。


「母様。母様っ……」

 

 古那は床に座り込む千代に声をかける。

 今まで眠り続けていた子が目の前でニッコリと笑った。

 

 目を丸くし床にしゃがみこんだままの千代は、うれしさのあまり両手で口を覆った。


 ◇◆◇◆ 古那の腕試し


 深い森の奥に三匹の美しい銀狐が、先を争う様に木々の間をけ抜けていた。

 右に跳ねたかと思うと左、左に跳ねたかと思うと右へ。

 木々の枝をかい潜り、倒れた大木を風の様に飛び越していく。

 

 最近は見かけなくなった、古い種の狐だ。

 

 銀狐の首元にはまたがる少年。

 風の様に駆ける勢いに振り落とされない様、必死でしがみついている。

 

 銀狐の両耳の間からひょっこり出した顔は、向かい風のスリルを楽しむ表情である。


「ひゃあああー」 

 銀狐がジャンプする度に悲鳴を上げ、小さな体が宙に浮き左右に振れる。

 

 ◇


 深い森を抜けると村里を眼下に一望できる岩場に出た。

 区割りされた田んぼの畦道あぜみち。民家からは炊事の煙が上がり、人々はゴマ粒の様に動いている。

 古那と三匹の銀狐は村里を見下ろ丘に居た。

 

 両手を空に広げ、空に向かって大きな声で叫ぶ。

 尻尾の先が青い一匹の銀狐が尻尾の先で古那の頭をフサフサと撫でる様に動かした。


 光るたまから現れた三匹の銀狐。

 古那はこの三匹の銀狐に名を付けた。

 一番体が大きく、いつも冷静、瞳が漆黒の様に黒い”黒曜こくよう”。

 俊敏で気性が荒く瞳の色が赤茶色に光る”琥珀こはく”。

 そして、やんちゃで耳と尻尾の先が青毛、瞳の色が緑色の”翡翠ひすい”。

 かしこさから考えると妖狐の様ではあるが、どれほど生きているのかは定かではない。


 ◇


 最近、近隣の山で狩をする猟師や村の家畜が襲われる事件が度々起こる様になった。 牛や馬、山に住む熊までが襲われ無残な姿で発見された。

 命からがら逃げだした村人の話しでは、襲われた馬は一鳴き悲鳴を上げると絶命し、両目が赤く光る何かが異音を立て近づいて来た言う。

 

 記憶の片鱗へんりんと共に不思議な力を取り戻した古那は腕試しの為、この三匹の銀狐と”魔物”退治にこの村里にやって来たのである。


「よしっ。この辺でいいか!」


 早速、古那は腰に下げている瓢箪ひょうたんを取り出し、一滴地面に落とす。

 

 辺りに複雑な果実の混ざった甘い匂いが一面に香った。

 

 どうもこの瓢箪ひょうたんは、”魔物”を引き付けいるらしいと推測する。


 暫くすると、遠くから何やら異音が聞こえて来る。


 記憶に残る嫌な音。


 虫の羽音が一つ二つと聞こえ、こちらに向かって来る。


「本当に来たか」ちょっと驚く。

 

 羽音は徐々のこちらに近づいて来る。 

 銀狐たちも牙を威嚇いかくする。

 

「来たっ」

 

 目の前に現れたのは、あざやかな黄色と黒色のまだらをした、大スズメ蜂が五匹。

 羽音を激しくたてながら空中で浮遊する様に制止する。

 甲冑の固く光る外殻、恐ろしく大きく尖った二本の牙を生やす下顎したあごが何とも威圧的である。

 そして赤く光る大きな複眼。魔物である。

 

 体格は古那よりも一回りは大きい。

 尾の先端から突き出た鋭利な針に刺されれば、熊でも全身が麻痺し殺到する代物である。

 

 大スズメ蜂は目の前の獲物を見つけるとカチカチと敵を威嚇いかくする様に牙を打ち鳴らした。


 赤く光る大きな複眼がキラリと光った。

 大スズメ蜂は四方に散らばり、古那と銀狐めがけ突っ込んで来る。

 

 一匹が、一番小さな古那の目前に迫ってくる。

 

 が横合いから風の様な影が走り、目の前の大スズメ蜂が視界から消える。

 

 疾風の様に横切った銀狐は、クルリと一回転すると地面に着地する。

 飛び出したのは、赤茶目の琥珀こはく。口にくわえた大スズメ蜂を尖った牙で、一噛みで噛み砕き、自慢気に吐き捨てる。

 

 すると今度は、左からもう一匹の銀狐・翡翠ひすいが跳躍したかと思うと、空中で制止する大スズメ蜂を大きなフサフサな尾で絡め捕り、地面に叩き落とすと前足の鋭い爪で大スズメ蜂の頭を一刀で切断する。

 そして尻尾を振りながら古那の足元に両断され動かなくなったスズメ蜂の体を放ってよこした。

 

 あまりの早業はやわざに古那が目を大きく開け、肩を上に持ち上げ口を尖らす。


「ちぇっ」

 

 古那は大きく呼吸をする。

 腰に巻いた銀色の腰帯こしおびを解くと左右の手に持ち、おびの端を地面にらした。


「よっしぃっいくぞ!」

「りゃあああっ!」と気合のかけ声を発し、地面に垂らした右手のおびむちの様に伸ばした。

 

 間髪入れず、左手のおびむちの様に伸ばす。

 

 左右に伸びた銀帯おびを器用に操り、まるで生き物の様に変幻自在に伸び縮みさせながら一番大きなスズメバチを攻撃する。


 パチン、パチンと外殻と銀帯おびの衝突する音が鳴り響く。

 

 残った二匹の大スズメ蜂が空中で交互に威嚇いかくし、隙があれば鋭い下顎したあごで噛みつこうとするが、自在に操る伸びるおびはばまれ、古那に近づけない。

 

 それた片方の銀帯おびが木の枝に当たり、バキンッと木の枝が砕け散った。

 

 暫くパチン、パチンと衝突していたが、ついに大スズメ蜂の羽が傷つき外殻が砕け、一匹が力無く地面に落下していった。


「ふううううっ」

「硬いなっああ」


 地面に落下した大スズメ蜂を横目に、空中に飛ぶ二匹の敵を目でたらえる。


 大きく深呼吸をすると仁王におう立ちになり、残った敵を睨む。

 銀色の帯を握る右の拳を突き上げ、左手を添えると、おびでる様な動作で大きく腕を左右に開いた。

 すると先ほどまでむちの様にしなっていた銀色のおびが固く伸び、銀色のやりに形を変えた。

 

 古那は、形を変えた銀色のやりを頭上で数回振り回すと腰を落とす。

 そして槍先を空中から攻撃しようとする敵に向け構えた。

 

 目をゆっくり閉じ、大きく呼吸をする。

 

 左右に飛ぶ大スズメ蜂の羽音を両耳でとらえる。


 大スズメ蜂は、動かなくなった古那めがけ空中から突進し襲いかかった。

 

 左右の音を聞き分け、カッと目を見開く。

 

 前に跳躍したかと思うと、素早い動きで槍の一撃を突き出す。

 素早く槍を引くと更に二突き三突き槍を繰り出す。

 

 繰り出した槍先は、大スズメ蜂の固い外殻を貫通する。


「残り一匹っ!」


 気合と共に声を挙げ、生える木を踏み台に斜めに跳躍する。

 途中の枝を踏み台に更に跳躍し体を反転させる。


「りゃあああっ!」

 伸びた銀色の槍を両手で握ると大スズメ蜂めがけ、勢いよく振り下ろした。

 短い衝撃音と共に外殻と外殻を繋ぐ細い関節が真っ二つに切断された。



 地面に落ちた三匹の大スズメ蜂が横たわる。

 先ほどの赤く光る目に輝きは既に無い。

 光る外殻が輝きを失うと地面にサラサラと砕けていった。


「これが、魔物か……」

 

 古那は砕けていく大スズメ蜂の姿を、目を細めながら見て苦い顔をした。

 

 ◇


 清兵衛が酒蔵さかぐらの帳場で帳簿書きをしていた。

 酒蔵の番頭の平助が、声を押し殺し清兵衛に話しかけた。


「若旦那。若旦那っ。の噂を聞きましたか?」

 

 清兵衛は、帳簿に書きつけていた手を止めた。


「山向こうの村里にが現れて、を退治したそうですよ」

「これは、お狐様の化身かも知れませんねえ」

 番頭の平助は両腕を組み、自分の言った言葉に納得した様子で首を上下に振った。

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