Aさんの場合

『子供は女の子と男の子、一人ずつ欲しいよね』、『帰省するときは楽でいいね! お父さんもお母さんも驚くだろうなあ』。絵文字で彩られたメッセージが届くたびに、俺は鼻水をすすり、目のふちに溜まった涙を服の袖で拭う。足の裏が痛みを訴えていたが、ここで止まるわけにはいかない。ひたすらに足を前へ前へと踏み出す。

 その辺に転がっている自転車を見かけるたびに拝借しようかと思う。けれど大体鍵がかかっていて、それを壊す気力も体力も時間もない、と諦める。きっと鍵のかかっていなかった自転車は既に、どこかへ向かう誰かの役に立っているのだろう。

 ちらりと道路に目をやると、事故車だらけで荒廃していた。どんな事情があったのかは分からない。追突した車と、された車の中に人がいるのかいないのかも、確かめる勇気はない。見ず知らずの人の人生ドラマに巻き込まれる余裕は今の俺にはない。

 不安定な天気も俺を苦しめた。雨が降ったりやんだりを繰り返していたと思ったら、とうとう大粒の雨が降り出した。真っ白になる視界。目を開けているのも困難な状況。俺は傍にあったドラッグストアの中に駆け込んだ。

 ガラスの自動ドアは開いていたが、中にはガラスが散乱していた。どうやら正規の方法で開けたのではないらしい。電気はついていない。外からの雨音がごうごうと響くせいで、やたらと薄気味悪い。足音を殺して店内を歩く。生活雑貨の棚でバスタオルを見つけ、留め具を力づくで引きちぎって頭にかぶった。隣の棚にフリーザーバッグがあるのを見つけ、ポケットからスマホを取り出して、開封したフリーザーバッグにスマホを入れて保護した。

 じゃり、という音がして、俺は棚に身を寄せるようにして息を殺した。誰かが入り口の方にいる。ガラスを踏むじゃり、じゃり、という音が店内に響く。心臓が激しく脈打ち、冷や汗が額に滲む。昨日掲示板で読んだ「刺された」という四文字が頭に浮かぶ。見ず知らずの誰かが、俺を殺そうとしないとは限らない。

 死にたくないと思った。どちらにしても明日死ぬのに、それでも今は死にたくない。まだ俺にはやり残したことがある。

 足音に耳を澄ませて、相手の位置を探る。一人だけだ。店内の奥の方に進む足音を聞きながら、じりじりと棚を背に入り口の方へと移動する。ポケットを触る。スマホはある。特に忘れたものも落としたものもない。心の中で「いち」、「にい」と数え、「さん」で駆け出した。頭にかかっていたバスタオルがはらりと落ちた。入り口めがけてまっしぐらに走り、振り返ることなく外に出る。

 幸い雨の勢いは少し収まっていて、視界を完全にふさぐほどではない。建物の裏手に回り、搬入口らしきシャッターの前で立ち止まる。屋根の下で息を整えながらスマホを確認すると、新しいメッセージが届いていた。

『甘いもの、好きだよね? 着いたら一緒にシフォンケーキ食べようね』

 唇を噛んで、スマホをぎゅっと握り締めた。俺のこの気持ちが、電波に乗って届くことを願った。

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