Bさんの場合

 送信を押したはいいものの、あまりの緊張で「うわああ」とスマホをベッドの上に放ってしまった。

 メッセージを送った相手は、幼馴染のお兄さん。隣に住んでいた彼は幼い頃から私を可愛がってくれて、その優しい笑顔は幼い私に『好き』という感情を教えてくれた。

 まだ私が幼稚園の頃、なんのためらいもなく彼に「好き」だと言えた頃、『大きくなったら結婚しようね』と約束した。しつこいくらいに繰り返して、何度も何度も指切りをした。

 だけど、恋を意識せずにはいられない歳になってから、私達の関係は変化した。挨拶しようと思うのに、うるさい心臓に邪魔されて全然声が出てこない朝。目が合いそうになったのに、慌てて顔を逸らす夕方。自分はそんな態度で接してしまうのに、彼が声をかけてくれなかった、こっちを見てくれなかった回数を数え、積み重ねて、勝手に傷付いた。傷付きたくないから、距離を置いた。どうせ私なんてただの幼馴染だと、昔書いた『こんいんとどけ』をくしゃくしゃにして引き出しにしまった。

 彼が就職して実家から出ると知った時も、結局私は何も出来なかった。引っ越しで騒がしい外の音に耳を塞ぎ、カーテンを閉めて、毛布にくるまって泣いていた。もう彼は私との約束なんて覚えていない。私を置いて遠くへ行ってしまうんだと辛い現実を受け止めた。

 ようやく気持ちが落ち着いてきた頃になって、彼のSNSアカウントを見つけた。地元が一緒で、世代が一緒で、年も二歳しか違わなければ、共通の知人から簡単に繋がれてしまう。おすすめに表示されたアカウントを見つめて、私の気持ちは揺れた。

 このまま美しい思い出にしようと思ったけれど、アカウントのヘッダーに使われている写真は、実家近くの公園の、銀杏の木だった。その下に少しだけ映る砂場で、私と彼はどれだけ一緒に遊んだだろう。苦しくて、だけど目を離すこともしたくなくて、勇気を出してアカウントをフォローした。少し経って、フォローが返って来た。嬉しかった。

 何度も何度も、彼のことを想っては諦めて、それでも想ってしまう自分が嫌で、誰か別の人と付き合っても重ねてしまう彼への気持ちは、私にとって誤魔化しようのない厄介なものだった。

 もう今度こそ、これが人生最後だから。

 私は放り出したスマホを手に取り、返事が来ていないことを確認し、ぎゅ、と胸の前で握り締めた。ふう、と深呼吸をした。吸っても吸っても、酸素が足りない気がした。

 しばらく待って返事が来なければ、最後にもう一度だけダイレクトメッセージを送ると決めていた。『好きです』。この言葉を最後に言って私は死にたい。

 スマホを持つ手が震えているのに気付いて少し笑った。

 私にしては、頑張ったね。

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