月明かり
月の出ている夜、彼女は人でなくなる。
深夜、窓に踊るような三回のノック。
カーテンを引いて、窓越しに月希が微笑う。
窓を開けると、初夏の匂い。
「今晩は」「今晩は」
良い夜だな、って挨拶する。
今日はどこへ行こう?
二人で通学路を歩く。月希は地面を歩いていないけれど。
月希は楽しそうに、踊るように、俺の隣をふわふわしている。
月希の身体は月明かりに透ける。水の入った水槽みたいに。電灯に照らされて、幽霊みたいで綺麗だと思う。
「こっち、曲がろ」と月希が言った。
通学路から逸れて、脇の路地へ。
野良猫がにゃあ、と不思議そうに鳴いて、逃げた。
「なんか、良い匂いする」
「ホントだ」
どこかの家から、ふわっと、ご飯の匂いが漂ってきた。今から晩御飯だろうか。
「なんか食いたいな」
「え、今から?智、晩御飯は?」
「食ったけど。この時間って腹減らね?」
「そうかなあ」
そうかも?と言いながら月希は首を傾げる。今の月希に胃袋という概念はあるのだろうか。なぜか気になる。
月希は上機嫌で、鼻歌を歌う。
最近流行りの曲だった。なんの曲か分かったから、俺も小声で歌う。
「智って歌ヘタだよね」
「う、る、せ」
俺は月希を捕まえようとする。月希はひらひら飛んで逃げる。
すぐ疲れてやめた。ふたりで笑う。
俺と月希は、わざと音程を外して歌ってみたり、歌詞を変えて歌ってみたりする。おかしくて、腹を抱えて、だけど小声で、けらけら笑った。
夜の月希は、よくこうして笑う。
昼間、学校にいる時の月希は、あまり笑わない。
控えめに、曖昧な笑みを見せるだけ。
夜の月希は、やっぱり控えめではあるけれど、よく笑う。
こっちの方が良い、と思う。息がしやすそうで。
本当の月希は夜のヴェールを纏った今の月希なのかもしれない。
「良い夜だな」と俺が言う。
「良い夜だね」と月希が言う。
隣で、人じゃない月希が笑っていて、夜風が心地良くて。
俺も、この時間が一番、息がしやすい。
路地を曲がって曲がって、見慣れた道に戻ってくる。
そうそう、昨日あの先生が……昨日のあの人が……。今日の単語テストが……。って話をする。
段々と、終わりの時間。
名残惜しいな。まだ夜なのに。世界がずっと夜でも別に良いのに。百万年に一度くらい、朝があったら良い。
いつもの別れ道。じゃあ、と手をあげる。
「また、夜に」
「うん。また、夜に」
曖昧な約束。
まだ夜は明けない。
「おやすみ」
「おやすみ」
また、夜に会えると良い。
月希はどこかへ飛び立って行った。
今日は良い夜だったな。
次に会った時はどこへ行こうか。
moon night 朝夜 @asuyoru18
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます