妻の脳
お小遣い月3万
第1話 妻の脳が家に届く。
真子の脳ミソが家に届いた。
僕は彼女の脳ミソを箱から取り出して、テーブルの上に置いて何時間も何十時間も眺め続けた。誰かが作った脳ミソのフィギアなんじゃないかと思うほどに現実味がない。だけどこれは本当に彼女の頭に入っていた物だ。皺の一つ一つが彼女の生きた証しだ。
皺の腺に沿って、指をなぞってみた。
脳ミソを両手で優しく抱き締めた。涙が急に溢れだして、彼女の脳に僕の涙が落ちた。
真子がこんな形になるなんて。
嗚咽を出し、シャクリ上げるように大声で泣いた。
イヤだ、イヤだ。と子供のように地団駄を踏んでみたりもした。
彼女が何をしたというのだろうか?
息をするのも忘れて泣いていたのか、酸素を吸うと咳きこんだ。
脳をテーブルの上に置いて、一度、自分の心を落ち着かせてみた。
フー、っと息を吸い上げ、涙を拭いた。
テーブルの上に置いた脳を見て、また涙が溢れ出した。
目の前にある脳の中に詰っている思い出が引き出されたかのように、真子との思い出が溢れかえってきた。
涙を拭いて、また自分の心を落ち着かせた。
彼女の脳が届いて初めて気づいたことがあった。彼女のことが愛おしい。だから苦しかった。だから泣いた。そのたびに涙を拭いて自分を落ち着かせた。
出会ったところからゆっくりと思い出し、彼女と過した一秒、一秒、零れないように丁寧に思い出していく。思い出すたびに涙が零れ、その度に手で拭った。その繰り返しを何百回もやった後に、お茶を飲んで水分を補給した。
だけどまた涙が溢れかえってくる。・・・しかたがない。
ずっとこんな感じだった。
2LDKの家は彼女がいなくなってから急に静かになり、ずいぶんと広くなったような気がした。彼女の脳を手にとり、優しく撫でると、自然と涙が溢れかえってきた。
彼女が何をしたって言うんだ? っと怒りが込みあがって来ることもあったが、怒りはどこにぶつけていいのかわからず、壁を殴ったりテーブルを叩いたりを繰り返すしかなかった。その度に静かな部屋にボンという虚しい音が響くだけだった。
仕事に行かなくてはいけないから涙を流し続けていられなかった。失業した人も罪人になる世の中なのだ。いっそのこと彼女みたいになりたかったけど、脳を取られるのは恐かった。彼女はどんな気持ちで脳を取られたのだろうか。痛かったのだろうか。苦しかったのだろうか。恐かったのだろうか。そんな疑問が浮ぶと、刃物で体の奥のほうを刺されたかのように心が痛み始めた。痛み始めると傷くじがゆっくりと広がり、そこから化膿して悪化する一方だった。
彼女が脳だけになって、僕はセミの抜け殻みたいになった。仕事のできる状態ではなかったので一週間だけ有休をとった。その一週間、僕は一生分の涙を流したが、それでも足りなかった。足りない分は心の中に斑点としてこびり付いた。
朝の出勤時間になると仕事着に着替え、朝ごはんも食べずに家を出た。頭の中では真子が朝ごはんを作ってくれていて、僕がそれを食べている映像が流れていた。僕の頭の中は彼女との思い出を再生するだけのビデオデッキと化していた。彼女と過した映像が流れるたびに幸福と虚しさで押しつぶされそうになった。
会社に着くと、パソコンの出勤ボタンを押し、仕事用の車に向った。川口さんはすでに運転席に座っていて、僕は小さい声で「おはようございます」と呟き、助手席に座った。
僕の仕事は脳人整備士だ。人の頭を開けて、壊れているところがないかチェックする。簡単に直せるぐらいだったら修理し、壊れて使い物にならなかったら会社に持ち帰る。
脳人整備士は二人一組になって現場に出向く。僕は先輩の川口さんとコンビを組んでいた。彼と仕事をし始めて五年にもなった。川口さんは僕にとって兄貴的存在でもあった。彼も六年前に奥さんの脳を取られているらしかった。
川口さんは何も言わず、車を出発させた。僕はサイドブレーキのところに挟まれていたファイルを手に取り、今日はどこの仕事現場に行くのか確認した。確認したけど頭の中に何も入ってこなかった。
僕達はいつものように淡々と仕事をこなした。今日一日で何件もの店や会社に行かないといけない。移動する車から映る外の風景は時間と一緒に流れているようで、真子と過した時間が過去のものになるようで虚しくなった。次の現場は銀行だそうだ。川口さんの横顔は普段と一緒だった。僕は下唇の皮を歯で剥ぎ取りながら、運転している川口さんにこんなことを尋ねてみた。
「なんで、こんな世の中になってしまったんですかね?」
こんな質問、川口さんにしかできない質問だ。同じ苦悩を味わっている人だし、信頼している人だから言える言葉だ。こんな発言を誰かに聞かれでもしたら反政府ゲリラと見なされて逮捕されるだろう。密告した者には五十万円の報酬金が差し出されるらしい。だからお金のために形振りかまわず密告する人も存在する。まるで魔女狩りだ。僕の妻も川口さんの奥さんも些細な発言で反政府ゲリラとして警察に捕まり、何がどう悪い発言なのかということも曖昧なのに、罪人とみなされて脳を取り出されてしまった。
「お前の気持ち、わかるよ」と川口さんは呟いた。
それ以上は何も言わなかった。
僕達の世代の人間はどうしても言葉数が少ない。言葉を喋るのは危険ということもあるだろうし、テレビやラジオも見なくなった影響もあるのだろう。
銀行に着くと、仕事道具を持って車から降りた。
平日の午前中ということもあるが、それ以上に銀行を使う人が少ないというのもあり、店の中には小奇麗な老婆が一人いるだけだった。
窓口は三つあり、それぞれの窓口に女性銀行員が座っていた。三人とも同じ笑顔を浮かべている。僕達は窓口まで向った。
「いらっしゃいませ」
機械的な声で窓口の女性がそう言った。彼女は上手に微笑んでいたけど、それは紛れもなく作られた笑顔だった。そのため笑顔なのに無表情という印象を受けた。
「株式会社ボートレールの者です。本日は頭の中の点検に窺いました」
と女性に向かって川口さんが言うと、女性は顔も変えず、「こちらにどうぞ」と僕等を別室に案内してくれた。
別室で待っていると、手が空いた人から順にやってきて、僕達は流れ作業をやるように頭を開け、機械をチェックした。
彼等もしくは彼女等の頭にはネジがついており、それを捻ると額の辺りからハマグリのようにパカっと開くことができた。
皮膚は人間味があるのに脳だけが機械だ。とても違和感がある組み合わせだが、こういう人間が普通の人間よりも多いため、違和感だと感じることができなくなってしまった。これが普通だと感じているのだから異常だ。
妻もこの銀行員達のようにどこかで働いているのだろう。だけど、どこで働いているのかということを政府は教えてくれない。彼女と会えたとしても、彼女は僕のことを覚えていないだろう。プログラムされた対応、プログラムされた表情、例外なくそうなってしまうのだ。
全てのチェックを終えると、僕達は故障者なし、と書類に書き、男性銀行員の一人からハンコを押してもらった。
「ありがとうございました」
と無機質な声で銀行員が言った。
「ありがとうございました」と僕達二人も答えた。
僕はこのやり取りに意味を見いだすことができなかった。どうして「ありがとうございました」と言い合うのだろうか。相手は与えられたプログラムしかできない機械なのに。
彼はハンコを押し終わると、自分の仕事に戻って行った。
別室から出ると、さっきまでいた小奇麗な老婆はいなくなっていた。それでも窓口の女性達は笑顔を絶やさなかった。
真子の脳が届いたせいかもしれないが、なぜか無機質の人に対して申し訳ない気持ちになった。それは自分だけが普通の人間であり続けているという申し訳なさだ。窓口で微笑み続けている彼女等に対しても申し訳ない気持ちになった。
それから何件か仕事をこなし、いつもの定食屋で昼飯をとった。
二十件ほど店を回り、今日の業務は終了した。最後に行ったスーパーで一人だけ直すことができないぐらい故障している人がいたので、会社に持ちかえることになった。
荷台には僕達と同い年ぐらいの三十代後半の男性が眠っていた。眠るというよりも電源OFだ。故障した人間は手もつけられないくらいに狂い、色んな物を破滅させる習性を持っていた。制御システムが壊れるせいだろう。彼はその一歩手前だった。
僕はあいかわらず窓の風景を見つめていた。生きるってなんなんだろう? という漠然とした疑問が頭に浮んだ。だけど答えは見つからない。
「そうい言えば、届いた脳はどうしたんだ?」
何かを思い出したかのように川口さんが言った。
僕は川口さんの方を向いた。川口さんは会社に続く道を眺めるように運転していた。
「ちゃんと置いてあります」と僕は答えた。
「加工はしたのか?」
「加工?」
「ちゃんと加工しないと、腐っちまうぞ」
真子の脳が腐り、ボロボロになって行くのを想像した。胸が苦しくなった。
「加工セットだったらコンビニで買えるよ」
「そうなんですか」と僕は呟き、教えてくれた川口さんに礼を言った。
会社に着くと、荷台に乗っている彼を降ろし、書類に彼がどこで働いていたのかということを書いた紙を額に貼って、パソコンの退社ボタンを押してから退社した。
会社の車から自分の車に乗り換えて、川口さんに教えてもらった加工する道具を買いにコンビニまで車を走らせた。
利用者が減ったせいか、コンビニの数が減り、隣町まで行かないとコンビニもなかった。コンビニに着くと店の中を回って川口さんが言っていた加工セットを探した。
脳を加工する道具は履歴書やノートが置かれている棚の隣に置いてあった。それを手に取り、レジに持って行った。
二十代前半の男性店員が無機質な笑顔でバーコードを読み取った。
「三千八百円です」
四千円払い、二百円のおつりを貰った。
家に帰るとすぐに加工セットを開け、ペラペラな説明書を読みながら、透明の箱の中に脳を入れ、その中から透明の液体を入れてフタを閉じた。それだけで加工は完成らしい。なんだか物になってしまったような気がしてイヤな気持ちになった。
箱の中に入っている脳を眺めると、また涙が込み上げてきた。
箱の中には呆然と脳が沈んでいた。箱を動かすと脳がユラユラと揺れた。
ロクに飯も食わずに、布団の中に入って真子の脳を優しく抱きながら泣いた。
泣いているうちに眠ってしまったのか朝になっていた。
その次の日もまた、昨日と同じように川口さんと一緒に働いた。
前から少食だったけど、前より増して僕の食は細くなっていた。川口さんと一緒に昼飯を食べている時もチョロとしか食べなかった。コンビニと同様、利用する人が少なくなったので食堂も減った。そのため僕達は決って同じ食堂でご飯を食べた。
次の日も同じように川口さんと一緒に働いた。
休みになると、僕は真子の脳を鞄の中に入れ、思い出の場所に出かけた。
その繰り返しは何ヶ月も続き、これから先も同じことを繰り返し続けていくのだろうと思った。街の中は自分の意志を持たない人間が溢れかえっていて、みんな死んだ魚の目をして黙々と自分の与えられた作業をこなし続けていた。僕だけが真子の脳を鞄の中に入れて思い出を巡っている異常者だった。
ある時は一人で行っても面白くもないボーリングやカラオケに行き、またある時は何度も同じ物を繰り返し上映しているツマラナイ映画観や笑いを取ることもしないお笑い劇場に足を運ばせた。
「あなたは溝を綺麗にするためにボールを投げているの?」
二人でボーリングに行った時、僕がガーターを出すたびに真子は嫌味を言った。
「あなたは音程っていうモノを知っているの?」
カラオケに行った時、僕の歌を聴きながら彼女がそう言った。僕は真剣に歌っていた。
「ツマラナイけど想像するの。自分だったらこの場面でこう動くとか、こうゆう風にやったら面白いんじゃないかとか。そしたらツマラナイモノでも多少は面白くなるでしょう」
映画や舞台を見ながら、彼女はそう言った。
すごく人間臭くて彼女らしい言葉だった。僕は真子の言葉を何度も何度も再生した。だけど彼女はいない。真子がいない日常はつまらなかった。
彼女がいなくても普遍的日常は繰り返され、平日になれば仕事をし、休日になれば真子の脳を持って、どこかに出かけた。
日曜日。彼女の脳を持って、久しぶりに動物園に行ってみた。
「ワニの肉はおいしいと思う」
なんの根拠もないのに、彼女はそんなことを言い切る女性だった。僕としては牛やブタや鳥の肉しか、肉として扱うことができない。だけど彼女にそんなことを言うと「あなたはバカね」と彼女は言う。
「想像は美味なのよ」
真子の言う言葉はたまに理解できなかった。
彼女がいない動物園はつまらなかった。ただ動物が動いていて、あまり見応えのあるものではなかった。だけど思い出を掻き集めるように僕は動物園を歩き回った。
「カバは二番目においしい肉ね」
彼女のランキング二位のカバは今日も顔を見せることはなく、水の中に潜り続けていた。カバという生き物は夜行性だから夜になるまで水の中に潜って眠っているらしい。彼女の動物豆知識だ。
動物園を歩き回っている途中、売店があったので、そこに寄ってタコ焼きを買った。売店の女の子もまた無機質な人間だった。プログラムされている「いらっしゃいませ」と言う声。彼女にタコ焼き頼むと、機械的に作り上げたタコ焼きをプラスティックの入れ物の中に入れ、僕に渡して「三百八十円です」と言った。僕は三百八十円を渡し、ベンチに座ってたこ焼きを食べた。真子の大好物だ。
「たこ焼きの中身がタコじゃなかったら、もっとおいしいと思う」
真子がそう言った。
「想像してみて、たこ焼きの中身がチョコレートだったら」
「もう、それはすでにたこ焼きじゃない」
「想像は美味なのよ」
たこ焼きを食べ終わると、また動物園を歩き回った。
祝日だというのにほとんど人はおらず、従業員の人だけが黙々と作業を行っていた。動物ですら、よくよく見ると同じ動きを繰り返し続けているだけだった。
平日になると、川口さんとまた仕事をした。
昼飯を食べている時、川口さんは僕の体に気を使って「ちゃんと食べてるか?」と尋ねてきた。
「大分、痩せたぞ」
「そうですか」と返事を返し、僕はうどんを啜った。
「倒れたら、大変なことになるんだから」
誰にも聞えないぐらい小さい声で川口さんが言った。
たしかに倒れて病院にでも行ってしまったら脳を取り出されてしまう。病人も罪人。
僕は頷き、またうどんを啜った。
川口さんは休みの日に何をしているんですか? と尋ねてみたくなったけど、二人になった時に話そうと思った。何が反政府ゲリラになるのか僕には判断ができない。ご飯を食べ終え、車に乗ってから休みに何をしているのかということを尋ねてみた。
「変な話なんだけど」と照れながら川口さんが言った。「妻の脳を持って、出かけてるんだ」
そういうことをするのは僕だけじゃないんだと思ってホッとした。
「僕もです」
「そっか。・・・やっぱり、妻が恋しいんだよな」
瞳を潤ませながら川口さんがそう言った。失くしたモノが大きいモノだと知っている目だ。
根本的に川口さんと僕は似ていた。仕事が終れば家に帰って、妻の脳と一緒に寝る。そして休日になれば、妻の脳を持って家を出た。
僕は頭の中だけで彼女と生きた。真子と過した時間を頭の中で再生し、もし彼女が生きていたら、彼女と過していたであろう未来を創造した。
子供ができて大人になっていく。僕達は普通に歳をとり、抱き合うこともなくなるのであろう。会話も減っていき、若い頃に感じていた真子への気持ちもいつの間にか無くなるのであろう。だから二人でツマラナイ場所に行くんだ。ツマラナイ場所に行った帰り道に真子の皺、一つ一つが切なくて、愛おしく思うだろう。僕はそんな彼女を見たかった。彼女と一緒に歳を重ねたかった。彼女と一緒に生きたかった。ただ普通に。
それから何もない日常が二年か三年か経ったある日のことだ。
夜になれば女達が招き猫のように店の前で手招きする風俗街で僕達はいつものように仕事をこなしていた。
ほとんどの店は古い民家の一軒屋で、部屋には布団が一つ置かれているだけだった。僕等は一つの部屋を借りて、いつものように仕事をこなしていた。店の風俗嬢になった人達が次々にやって来ては股ではなく、頭を開いた。彼女達もこの仕事をしたいわけでしているのではない。プログラムされているからやっているだけのことだ。彼女達が着ている服はスケスケのエロい服で、角度を変えるとパンツや胸が見えた。
四軒目に行った風俗店は三十代ぐらいの女性が多い店だった。三十代ぐらいの女性が好きな人が来る店なのだろう。
僕達は前の店と同じように、部屋の一室を借りて彼女達の頭を見ていた。
二番目の女性の頭を調べ終え、次に部屋に入ってきた女性が僕達の前に座った。髪はショートカットで、目はクリっとした二重の気の強そうな女性だ。僕は彼女の頭にあるネジを捻り、頭を開けた。
隣に座っていた川口さんが女性の顔を見て、急に嗚咽を漏らして泣き出した。
僕は目を丸くして、川口さんを見た。
「妻だ」と川口さんが言った。
「やっと、会えた。・・・・会いたかった」
そう言って、涙を流しながら、彼女を抱き締めた。こんな川口さんを見たのは初めてだった。
だけど彼女は無表情だった。
ズ、ズ、っと鼻水を啜った川口さんは、奥さんのホッペを愛おしそうに触り、「苦しかっただろう」と呟いた。
「こんな所で、・・・・ズ、ズ、ズ・・・俺が助けてあげるからな」
そう言って川口さんは奥さんの頭の中を覗き込み、機械の電源を消した。奥さんは瞳を閉じて眠った。
僕は何も言わず、彼のことを黙って見守っていた。
彼のしようとしたことが痛いほどわかったし、僕が川口さんの立場だとしてもやっていただろう。
「家に連れて帰る」と川口さんは言った。
僕は頷き、「故障ですね」と返事を返した。
店の風俗嬢を全て見終わると、僕達は一人故障していることを書類に書き、店員のオバサンにハンコを押してもらって店を後にした。
それから何件か店を回り、会社に戻った。
会社に戻ると川口さんの車に眠っている奥さんを乗せ代え、会社に故障者はいなかったことを報告し、パソコンの退社ボタンを押した。
もし警察に捕まると、川口さんもどういうことになるのかわかっていたし、僕も共犯者ということがバレたらどうなるのかわかっていた。
「悪いな」と川口さんは僕に微笑んだ。
「お前には、色々世話になったな」
もう二度と彼には会えないと直感した。
「・・・いえ、僕の方こそ」
「お前も頑張れよ。それじゃあな」
そう言って、川口さんは嬉しそうに車を走らせて消えてしまった。
川口さんがいなくなってから、彼の代わりに新しく若い子が入ってきた。僕は若い子と一緒に組んで仕事をするようになった。それ以外は僕の生活は何も変わらず同じことを繰り返し続けた。
それから又数年が経ち、仕事で行った流れ作業の現場で川口さんをもう一度見ることになった。彼は流れてくる商品が壊れているかどうか見定めるという仕事をしていた。彼の顔は無表情で、黙々と仕事をこなし続けていた。
それから川口さんの奥さんがいた風俗店に仕事で行くこともあった。川口さんの奥さんは何もなかったかのように、何食わぬ顔でその店で働いていた。捕まって、また戻って来たみたいだ。
僕は川口夫婦の結末を知って、真子を見つけても彼女を連れ出さないことを心に決めた。
あいかわらず毎晩、彼女の脳を抱き締めて泣いている。
透明の箱の中で、彼女の脳は腐ることなく、呆然と沈んでいた。
妻の脳 お小遣い月3万 @kikakutujimoto
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