第82話 母親の死

 母親が死んだ実感が無いのは、俺は母親の死を見てないからなんだ。

 シェルターから出たら世界は普通に戻っていて、母親は家で俺達の帰りを待っているんじゃないか、と思った。

 目覚めると純子が俺の手を握っていた。

 兄妹で手を握り合うなんて気持ち悪いことを普段はしない。

 だから異常事態であることを俺は知る。

 お兄ちゃんの手を握らなくちゃ精神が保てないぐらいに純子は追い込まれている。

「俺はどれぐらい寝てた?」

「1日ぐらいだよ」と妹が言う。

「そんなに寝てたのか」

 感覚で言えば魔力量は半分ぐらい戻っている。

 お腹の空き具合も感覚でわかるように、魔力量も何となく感覚でわかった。

「お母さん、どんな風に……死んだの?」

 俺は聞いておきたかった。

 母親がどんな風に死んだのか。

 うん、と妹が頷く。

「お母さんね」と妹は語り始めた。

 ダンジョンバーストが起きた時、2人は家にいたらしい。

 この地区はヘルハウンドという魔物が大量発生したらしい。

 ヘルハウンドというのは狼のような魔物である。

 体は真っ黒で、目が真っ赤。爪と牙が鋭い。熊ぐらいの巨体の狼を想像してくれたらいい。

 初めは家に隠れていたらしい。

 だけど家にいることも危なくなってしまった。

 どうやら他の家も襲われている。

 ヘルバウンドは簡単に窓や扉を突き破って来る。

 それに鼻が効くから隠れていても見つかってしまう。

「ずっとお母さんはお兄ちゃんのことを心配していたんだよ。ココにいないお兄ちゃんが、どこかで魔物にやられているんじゃないかって。ずっとお母さんはお兄ちゃんが生きていることを願っていたんだよ。こんな状態になってもお兄ちゃんが家に帰って来て私達がいなかったら心配するだろうからって書き置きしていたんだよ」と妹が言った。

 空を飛んでいたからわかる。家があったところは瓦礫の山になっている。お母さんの書き置きは、もう読めない。

 そして2人は家を出てシェルターに向かった。

 その途中に1匹のヘルハウスに出会った。

 2人は逃げて逃げて逃げたけど、簡単に魔物に追いつかれた。

「お母さんは私を庇うようにして……」

 と純子が涙を流す。


 あぁ、お母さんは死んだんだ。

 ようやく妹の話を聞いて、涙がボロボロと溢れ始めた。

 お母さんが死んだんだ、と自覚するように、心の中で、もう一度呟いた。

 俺は妹の手を握った。

「それで私は通りすがりの冒険者に助けられて、……お兄ちゃんが寝る前に喋りかけて来た女の人に助けられてココまで来たんだ」

 と妹が言った。

「みんな死んだよ。お母さんも死んだし、友達も死んだし、近所の人も死んだよ。もうみんないないんだよ」

 妹がボロボロと涙を流す。

 俺は純子の背中をさすった。

「純子が生きててくれて、よかった」

 生き残った人間は一握りなんだろう。

 シェルターに避難できた人だけなんだろう。

 純子だけでも生きていてくれてよかった。



「小林さん」

 と誰かに呼ばれた。

 顔を上げると、おばちゃん教頭先生がいた。

 純子が俺を抱きしめて泣いていた。俺は妹の背中をさすった。

「他の冒険者は食料を取りに行ったわ」

「……」

「起きたんだったらアナタも食料でも取りに行ったらどうなの? 冒険者だったら少しは働きなさいよ」

 純子がおばちゃん教頭先生を睨みつける。

「お兄ちゃんはイフリートを倒したんだよ。私達を助けてくれたんだよ」

「冒険者なんだから当たり前でしょ」

「まだそんなことを言ってるの? もうほとんど冒険者は生き残ってないんだよ」

「ココにいるでしょ」とおばちゃん教頭先生に俺は指さされる。

「もし今、強い魔物が襲って来たらどうするの? お兄ちゃんがいた方がいいでしょ」

「働かない者、食うべからず」とおばちゃん教頭先生が謎言葉を言う。

 コイツは何を言っているんだろう?

 少し考えて意味がわかって、腹が立った。

 冒険者のくせに食料も取りに行かないんだったら、他の冒険者が食料を取って来ても食べるな、とこのババァは言っているのだろう。

「いいかげんにして」

 と妹が怒鳴った。

「ずっと文句ばっかり言って、アナタこそ何もしてないじゃない」

「年上に、そんな口の聞き方していいと思っているの? やっぱり小林さんの妹さんだわ。出来が悪いったらありゃしないわね」



「いいかげんにしてください」と別のところから声が聞こえた。

 誰か言ったのかはわからない。

 わからないけどシェルターのいる人達がおばちゃん教頭先生を睨んでいる。

「アナタ達の声を代弁して言ってるんでしょ?」

 とおばちゃん教頭先生が言った。

 あのババァ、シェルターから追い出した方がいいんじゃねぇ?

 どこからか声が聞こえた。

「今のは誰ですか?」

 プリプリと怒りながらおばちゃん教頭先生が辺りを見渡す。



 その時に地震のように大きく揺れた。

 おばちゃん教頭先生が俺を見る。

「外で何かあったみたいよ。冒険者なんだから見に行きなさいよ」

 俺は立ち上がる。

「お兄ちゃん」

 と妹が言った。

「大丈夫」と俺が言う。

「ちょっと見て来るだけだから」

 他の冒険者が食料を取りに行っている。

 強い魔物が現れたなら彼等はシェルターに戻って来れないだろう。もしかしたら襲われる危険性だってある。

 扉までの道のりには階段があった。登るとトントントンと音がするような階段。扉は二重扉になっている。

 扉の前には見張りをしているオジさんがいた。

「帰って来る時は扉の横にあるインターホンを押してくれ」とオジさんが言う。

 俺は頷く。 

 分厚い扉を開けると、また分厚い扉が現れた。

 2枚目の扉を開けると外に出た。

 見張りのオジさんが、すぐに扉を閉めた。

 ガシャン。

 イフリートの炎が少しだけ残っていた。

 瓦礫の山で、水道管が壊れているのか、異臭がした。

 運動場の中心には怪物がいた。

 ドラゴンの姿をしている。だけど鱗は魚のように光っていた。

 大きな翼をたたみ、俺のことを見ていた。

 バハムート。

 ドラゴンに見えるけど実は魚類に分類されるんだっけ?

 宇宙海に生息する魚類。

 最強の大精霊。

 初めて見た。

 たしかに顔もウツボに見えなくはない。

 だけどドラゴンらしい角がある。

 大きさを表現するならビルだった。

 バハムートの頭の上に、アイツが乗っていた。

 神田英二。

 魔族バージョンになった英二が俺のことを見下ろしている。

 体が熱くなって行くのがわかった。

 コイツは俺のお母さんを、好きな女の子を、俺自身を殺した。

 コイツを倒さなくてはいけない。

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