第60話 乙姫は主人様の子どもを孕みたい

 誰にも見つからないように、隠れながら部屋に入った。

 その部屋は空気があった。

 だけど色んなところが、びしょびしょに濡れている。

 一応、畳の部屋なんだけど、踏むとグショ、っと水が畳の隙間から溢れ出る。

 さっきまで海の中にいたから酸素があるだけでもありがたい。

 布団が一つ置かれているだけで、その部屋には何もなかった。

「お疲れでしょう。主人様、お座りください」

 と乙姫が布団の上に座るように誘導してくる。

「布団の上じゃん」

「申し訳ございません。座布団があればよかったんですが。なにせココは竜宮城。海の中で座布団に座るマーメイドもマーマンもいませんので」

「そうですか」

 言われた通りに布団の上に座る。

 グショ〜、と布団から海水が溢れ出る。

 別に気にならない。こんな布団を家で出されたら気になるけど、ココは海の底なのだ。

 乙姫が俺の隣に座る。

 しかも密着して座って来る。

「近くないっすか?」と俺が言う。

 そんなに近づかれたら、ギラギラしてしまう。

「これぐらいの距離が普通なんですよ。マーメイドの世界では」

「ホンマかいな」

 と俺が言う。

「そんなことより、スキルを返してほしいです」

「スキルは返しますよ」と乙姫が言う。

 そして俺の手を握って来る。

「なんで手を握るんですか?」

「嫌ですか?」

 それが嫌じゃないから困ってるんだよ。

「別に」

「よかったです。主人様の手を握れて私も嬉しい」

「さっきから、その主人様って何なんっすか? 俺、主人様じゃないっすよ」

「本当に覚えていらっしゃらないんですね」

 ウフフフ、と乙姫は笑った。

「昔、直子様という異世界人がココを統治していたんです。魔王様の妻の1人でした。彼女は暴力も使わず、汚い言葉も使わず、魔物達を統治しました」

 乙姫が話し始める。

 強さを判断基準にする魔物に対して、暴力以外で統治した1人の女性がいた。彼女は優しさや、思いやり、そして知識で魔物達の生活を豊かにした。

 彼女の意思で鎖国していた鬼ヶ島に他の種族が入って来るようになった。その頃に絶滅寸前だったマーメイドも配下になったらしい。鬼の配下にならなかったら今頃は滅んでいた。

 その事を知るものは、もう数名しかいない。

 直子の息子であり、彼女を支えるように尽力していたのが少年がナオヤ・シューベルトだった。直子の次の主人だった。そしてナオヤ・シューベルトは魔王候補だった。

 彼が魔王になれば世界は変わる、と魔物達は信じていた。

 暴力が支配する魔王の独裁ではなく、魔物達が助け合う世界になると思っていた。

 だから魔物達はナオヤ・シューベルト様のことも直子様と同じように尊敬していた。

「そのナオヤ・シューベルトっていうのが俺なのか?」

「はい。そうです」

「一切、記憶にございません」

 ウフフフ、と乙姫が笑った。

「魔族に覚醒したら、覚え出すかもしれませんね」

「だから冒険者ギルドで俺の名前を聞いた時に、魔物達が頭を下げていたのか」

「それは違うと思います」

「えっ、なんで?」

「昔を知る者は、もう少ないんです。シューベルトという名前を聞いて頭を下げたんでしょう。シューベルトというのは魔王の名前なので」

 独裁者の魔王の名前。殺されるかもしれないから、とりあえず頭を下げとこう、だったのか。

「昔を知る者には名前がついております。直子様が付けてくれた名前でございます。名前があるおかげで我々は人間に近い姿をしております」

「……だからネームド鬼は俺に優しかったのか」

「主人様達がいなくなった以後に生まれて来たモノは、どうやら主人様に敵対心を持っているみたいです」

 悲しそうに乙姫が言った。

「申し訳ございません」

 謝らなくていいよ。魔物なんてそんなモノだから。

「この町の魔物は主人様が魔王城から追放されたことを知っているんです。伝承で伝えたいのは、かつての主人様が追放された過去じゃなく、知識と優しさで魔物を支配できるってことなのに、悪い事だけを読み取っているんです」

 乙姫が苦い顔で言った。

「魔物は強さを認める性質があります。弱い主人様を認めたくないんです。弱い主人様を認めてしまったら魔王に見放されると思っているのかもしれません。だから昔の事を知らない魔物達は主人様のことを良く思ってないんです」

「……それを言うために、俺をココに呼んだんですか?」

 だから俺にどうしろ? っていう話しなんだろう。

 俺は人間で、冒険者で、仲間を助けて、魔具を獲得して、ココから出て行くのだ。

「……それだけじゃないです」

 と乙姫は布団をモジモジしながら言う。

「昔の主人様は1人の小鬼のことを好いていました。私が主人様に想いを寄せても振り返ってもくれませんでした。だけど今の主人様なら、私のことを……」

 そういうことか。

 だから布団がひかれていたのか。

 俺をバカにするな。

 そんなことするわけねぇーだろう。

 スキルを返して貰って、早く仲間を救出に行かないといけないのだ。

「サキュバスのことを私は気にしていません。だってサキュバスは幻覚を見せて精気を吸い取っているだけなんです」と乙姫が衝撃の事実を言う。

 あのエロいことは、夢だったのか?

 だから淫欲が機能しなかったのか?

 エッチなことをしたら力が漲るはずだった。だけどサキュバスとエッチなことをしても力は漲らなかった。だって実際はしてないから。

「それに私は主人様が他の女性のことを好いていても……いいんです。それでも私は主人様の子どもがほしいです」

 やる訳ねぇーだろう。

 早く仲間を助けに行かなくちゃいけねぇーんだ。

「いただきます」と俺の口が勝手に言っていた。

 そして考えていることとは裏腹に、俺は乙姫を押し倒していた。

 乙姫が嬉しそうに笑っている。

 なにやってるんだ、俺は。

 早くスキルを返して貰って、鬼ヶ島に行かなくちゃ。

 淫欲が機能している。女を求めずにはいられない。

 乙姫とのキスは、ちょっとショッパかった。

 だけど体に力が漲る。グワーーーっと体が暑くなるのがわかった。ステータスが上昇しているのが自分でもわかる。

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