お勉強41 ユグドラシルの問い掛け

 空から降り注ぐ陽の光が柔らかくその場を照らす。

 抱えている花束――目にした時は花だと思ったが、陽の光を受けてまるで宝石のように反射して輝いていることから、生花ではないのだと知る。


「その花……」


 ポツリと零した音を拾って、ユグドラシルはほんの少しだけ、その顔に哀愁あいしゅうを滲ませた。

 とても大切なものを守るように抱え直したことで、揺れた花からシャラリと音が鳴る。


「これは心中珠花クオーレ・ブルーム。私を構成する魔素の中心である角から生み出した、彼等へ捧ぐ手向けの花。私が消滅しない限り、永遠に咲き続けるわ。思い出を振り返っていたら、こんなに様々な色を映して咲いたの」


 楽しかった時、嬉しかった時。

 怒った時、悲しかった時。


 言葉で言い表せない気持ちが、原色だけではない、混ざり合った色で表れている。

 彼女は抱えている心中珠花をゆったりとした動きで、守護水晶が鎮座している台座の下へと捧げた。


 死してなお、ずっと水晶の……穢れの中に囚われていたから、もうそこに居ないとしても祈りを捧ぐ場所としたのだろう。

 裏切り者のサウザスが、死んでしまった王子の墓を造ったとは思えない。もしどこかに造られていたのだとしても、そんな処よりはこの美しい静謐せいひつな空間の中、ユグドラシルと共にある方がきっと幸せだ。


 心中珠花が捧げられた台座を前に、俺も彼女の隣に並んで手を合わせて祈る。


 墓扱いされて守護水晶も困惑しているかもしれないが、これが最適だと思うので許してほしい。

 この異世界に宗教があってあがめられている神様がいるのか知らないので、取り敢えず神様とだけ呼び掛けて。



 ――王子の魂が、思念が安らかに  生まれ変わる時はその生が、幸せでありますように



 暫くの間目を閉じて、そうして俺とユグドラシルは祈りを捧げていた――……。






 パチリと目を開けて隣を見る。

 守護水晶を真っ直ぐに見つめていたユグドラシルは俺の視線に気づいて、微笑んだ。


「……何だか、不思議な感じね。私と勇者である者が、同じ誰かの為に祈りを捧げるなんて」

「まぁ、普通だったら戦わなきゃいけないんでしょうけどね」

「そうね。本来であれば、私の役目は勇者一行の見極め。守護水晶を穢れから浄化するに足るか。そして――この先を進むに足るかどうか」


 微笑みを消し、真剣な眼差しで俺を見据えてくる。


「先代の勇者達は確かに強く、それぞれの立場があっても目標は一つだった。けれど当代の勇者とその仲間である貴方達からは、強さも何も感じられないわ」


 告げられた内容に一つ、心臓が嫌な音を立てた。


 目標。表向きは魔王討伐という大きなことを掲げて進んでいるが、俺の本心は魔王友好相談。

 戦うことは微塵も考えていない。


 それに確実と言えるのが、俺達には――信頼関係がない。


 カインとクリストファーとエミリアの関係性も俺は知らないし、三人の中でギクシャクしている。

 ビルも三人の関係を見ていて、だからこそ俺にしか情報共有しないという判断をした。


「けど、浄化は果たせました」

「穢れの浄化は、勇者と聖女次第。それに関しては他の仲間の関与は関係ないの。浄化中の二人はそれに集中するから隙だらけになる。浄化させまいと強襲してくる外敵を退しりぞけるために、聖騎士・賢者・盗賊が存在する。それなのに、どうして貴方達の傍には盗賊しかいなかったの? 優先させるものを吐き違えていないかしら?」

「それは……」


 逃げた偽王族を捕まえるためで。

 それに、俺達の傍には強い魔物であるゴリピーとトリィがいた。状況だって、他の魔物が襲ってくることはなくて。だから。


 それを説明しようとする前に、ユグドラシルが先手を放つ。


「解っているわ。今回のことに関しては、変異種のハーピーと長き時を過ごして強く成長したコカトリスに攻撃の意思はなく、他の魔物達も動けず外敵の心配はなかった。けれど、この状況は何? 攻撃の意思はなくとも、人族にとって浄化と魔王さまを倒すのに重要な存在である貴方を、まんまと連れ浚われているわ。人族に対して森の魔物達が攻撃の意思を見せた時、浄化後の勇者と聖女にそれらを退ける力なんて、残っていないのよ」


 俺自体に戦う力なんてなく、聖剣の波動頼りで来ている。けれどその聖剣だって、浄化後は暫く応答がなくなり波動を出せない。

 魔物ホイホイ集中砲火の俺がいるからエミリアに向かうことはないと思うが、ぶっちゃけ俺はヤバい。そんな中で襲われたら絶対死ぬ。


 じゃあどうすれば良かったのか。

 済んでしまった今、あの時どうするのが最善だったかと考えても、アレが最善だったようにしか思えない。


「……すぐに追わないと、逃げて見つからないかもしれなかったですし。そうするとシルフィードの国もだし、トールのこともアレだし」


 自分の家族を勇者パーティの始末ついでに、殺そうとしていたような連中だ。

 絶対に野放しにはできない。


 ブツブツ言う俺の耳に、小さく溜息が聞こえた。


「魔物を退けるためには、聖騎士と賢者と盗賊の持つ力は必須。これから先、強力な魔物に出会った時に彼等が弱いままだと貴方、死ぬしかないわよ」

「とても嫌なこと断言された。……というか、あの。どうしてそんなに色々教えてくれるんですか? 魔物側にとったら、大ボスの魔王を守らなきゃいけないんじゃ」


 聞かれたユグドラシルは少し考えた様子で頬に手を当てる。

 憂いの眼差しが、心中珠花に注がれた。


「私は、世界から役割を与えられている。役割を持たされている魔物は他にも存在していて、世界の秩序と混沌を平衡へいこうさせるようにいる。でも……もう、疲れたわ」


 サアァーー……と風が吹き、揺れる花がシャラン、シャランと音を鳴らす。

 美しくもどこか物悲しい音色は、まるで彼女の心情を表しているかのようで。


「勇者と魔王が戦い、雌雄しゆうを決して均衡が保たれても、いつかまた再びその時がやって来る。時を重ね経るごとに絡まり合ってほつれて、一本の糸だった頃の姿にはもう戻せない。どうしてこんな思いをしてまで、私達は一体何を守らなくてはならないの? この世に生きる者の心を置き去りにして、何を……」


 どれくらいの長い時を生きてきたのか、俺には計れない。けれど降り積もり続けていた容認しきれない何かが、ここに来て遂に限界を迎えてしまった。

 世界から与えられた、役目を守るという意志を、ユグドラシルから奪うまでに至ってしまった。


 この世界はどうして均衡を保つために、周期毎に勇者と魔王を生み出している?

 俺がこことは別の世界から喚ばれたこと。魔王が何もしていないこと。どうしてユグドラシルが今、役目を放棄することにしたのか。



<……変わりゆくのか>

「っ!」


 突然頭に響いた声に思わず腰元へと目が向く。


(起きたのか?)

<うむ。……かつての“オクシリエ”が、ユグドラシルに大きな影響を与えたのだな>


 懐かしさを含んだ声に、そう言えばと思う。


(かつての補って?)

<其方らの一代前の力ある者の中で、かつて補の力を有しておったのは、このシルフィード王国の第二王子として生を受けた者である>

(え? それって…………ビルの前の盗賊がセルジュ王子!?)

<うむ>

「うむじゃねえ!」


 どんな繋がりだと声にまで出してしまってからハッとしてユグドラシルを見ると、案の定彼女は目を丸くしていた。そして可笑しそうにふふふと笑う。


「聖剣が目覚めたのね?」

「え、何で分かるんですか!?」

「かつての勇者も、そうやって聖剣とよく口論していたわ」


 よく口論していたって。聖剣を甘やかさないのは前の勇者も同じだったのか。

 だろうな。仲間に嘘情報(俺シチュー具材の危機)は伝えるし、石化解除はこれしかない!って嘘つくし。浄化と魔物を弾くこと以外では、聖剣のくせに碌なことしてないもんな。


<勇者。我をけなしておらんか>

「お前が碌なことしかしてないのは事実だろ。あの、じゃあ貴女と王子の仲が良かったのなら、その時の勇者も魔物とは、俺とゴリピーやトリィみたいに仲良くなったりは」

「残念ながら、それはなかったわね。魔物に対しては敵意を抱いていて、私のこともセルジュの説得があって渋々引いたくらいだったもの」

「ええー……」


 じゃあやっぱり俺だけなのか? でもまぁ、前の盗賊は仲良かったぽいけど。だってトリィは王子の日記のことを知っていた訳だし、遊び場だったし、普通に友達だったんだろうなって。



『……魔物は悪だと決めつける人間が多過ぎて本当うんざりする』



 そう言っていた、から。

 ……国から離れた旅の過程やサウザスのことがあってかと思っていたけど、そこには勇者も含まれていたのか? 王子が心配していたことは一体何だったんだろう?



『彼の言う通り、懸念が杞憂であれば良い。仲間であるから信じたい半面、俺も立場があるから疑いを捨て去ることはできない』



 仲間であるから信じたい。

 立場があるから、疑いを捨て去ることはできない。


 仲間の部分は他の勇者パーティメンバー?

 その中の誰かを疑っていた……?

 だとしたら前のパーティも、それほど信頼関係はなかったんじゃないか? 信頼関係が強さと関係ないのなら、一体何なんだ?


「ユグドラシル。さっき貴女は俺達のことで、強さも何も感じないと言っていました。俺は仲間との信頼関係のことだと考えていたんですけど、違うんでしょうか?」


 問うと苦笑が返ってきた。


「一概にはそうと断言できないわ。確かに絆は強ければ強いほど、人族の力とは成り得るのかもしれない。私が言っているのは、力を持つ者が宿している“力”のことよ」

「宿している力……。俺で言うと言語翻訳とか、聖剣の声が仲間にも聞こえるとか、そんな感じの? え、でも皆それぞれ力使えていますよ?」

「貴方、誰かの力ある者の印を見たことはある?」


 頷く。

 エミリアとカインの肌に刻まれていた、薄い桃色の痣。


「どんな感じだった?」

「どんな? 痣のある場所は違いましたけど、薄い桃色の模様でした」

「それが弱いという証よ」

「?」


 言われていることがよく分からない。

 痣があるのが証明じゃないのか?


 再び真剣な眼差しで俺を見て――スッと、それが聖剣にも向けられた。



「聖剣は解っている筈。このまま先を進んでも、私以外の役目ある魔物に阻まれて殺されてしまうことを」

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