お勉強40 目覚めた後のこれから

 チチチ……と、どこからか鳥の鳴くような音が聞こえる。緩く風が吹くのを、浚われる髪と木の葉が互いに擦れる音で感じ取り、心地良い目覚めの気配が自然とやって来た。


 覚醒する意識を自覚して目を開ければ、視界に入ってきたのは若々しい緑色の草。

 息を吸い込めば、若干湿った土と草特有の匂いが鼻に抜けていく。覚えのある、どこか懐かしい匂い。


 更屋敷くんにシゴかれて地面に転がされた時、こんな匂いがしたのを覚えている。世界は違っても、匂いは変わらないんだな……。


「……ん?」


 目覚めた直後だからかそんな風に暢気に物思いに耽っていたものの、現在の状況にハッと脳が覚醒する。


「ちょっと待て俺いまどうなってる!?」


 起き上がって周囲を見回して確かめれば、そこはブラックルームの穢れの中でもなく、城の中でもなく、緑の葉を茂らせた木々しかない森の中。

 え? 水の穢れの時は普通にダンジョンの中だったのに、外に出されたんですけど。


 地面についた手を動かしてそこに固い感触があったので見れば、聖剣が銀の単体色になって転がっていた。話し掛けてみたが、やはりあの時と同じで反応のない聖剣を鞘に仕舞い、よっ、と立ち上がる。


 一人と剣で投げ出されるのは初めてじゃない。

 船ではいじけたが、森の中でいじけている訳にもいかないので、取り敢えず考えてみることに。


 仲間達のいる城よりは、大樹に向かった方が近いだろう。そうなると、この同じような景色を大樹目指して歩かなければならないが、森の中は山と同様、進む時は目印をつけておかないと迷ってしまう。


 じゃあ目印になるものを探すかとそこまでを考えたところで、「坊やァーー?」と上からゴリピーの声が聞こえてきた。


「あ。おーーい、ゴリピィーー!」

「坊や!」


 見上げればゴツいハーピーが飛んでいるのが見えたので手を振りながら呼べば、相手も俺を見つけて降りてくる。


「もう、やっと見つけたわァ!」


 手の代わりに両の翼を胸の前に持ってきてブリブリしながら言われるの、ただの視覚の暴力。


「俺のこと捜してくれてたんですか?」

「そりゃ勿論! 穢れが浄化された後に坊やをトリィちゃんに乗せて大樹に向かっていたんだけど、途中でトリィちゃんが坊やのこと、森のどこかに落として来ちゃったって言うんだもの。一応魔物達には周知させてるけど、襲われてなくて良かったわァ」

「俺リアル落とし者!? ていうか、え。何で俺も連れて行こうと?」

「……何となく?」

「何となく!?」


 何だその訳の分からん理由!

 また仲間達から引き離されて誘拐されてんじゃん! 某桃色プリンセスかよ!

 ……あれ? え、でも同じ場所にエミリアもビルもいた筈だよな?


「仲間達は俺を取り返そうとはしなかったんですか?」

「してきたわよォ。でも聖女は浄化直後だったし、盗賊の坊やはトリィちゃんが隙をついて石化して。あ、ちゃんとあの時採取したベネロ草を残してきたから大丈夫よ? 悪いようにはしないからってことも言ったわよ?」

「……何か、もう…………はい」


 何て言ったら良いのか分からん。

 俺も穢れの中で巨大泥濘に対峙したし、エミリアの方も浄化するのに大変だったんだろう。


 ビルもあれか? 俺と魔物が何か仲良くなっちゃったから、油断しちゃった感じか?

 つかこの場合、悪いのは何となくで俺を誘拐した魔物側だな。


 起きてしまったことはもうしょうがないので、ゴリピーに掴まれて飛び、大樹へと向かう。

 上空から見渡す限り、先程まで枯れていたなんて思えないくらい緑が一面に広がっている。


「……ユグドラシルは、ちゃんと中から出てきました?」

「ええ。翡翠の光を纏ったユグドラシルさまは、とてもお美しくて。あの御方の温かな魔力が大地に注がれて植物が甦る様は、言葉に表せないほどの圧巻さだったわ……」


 うっとりとした口調で説明されたことを聞いて、ホッとする。


 守護水晶の浄化も、ユグドラシルの解放も為せた。

 植物は甦って、魔素の吸収もなくなったから魔物達も目覚め……。


「ゴリピー」

「なァに?」

「……森の魔物達は、これから……その……」


 歯切れ悪く言う俺に上から苦笑が降ってくる。


「アタシからは何とも言えないわね。アタシ達はユグドラシルさまに従う。魔物は力の序列が全てだから、彼の御方が何もしないと言えば何もしないわ。例え、人族から長年苦しめられ続けた恨みがあったとしても」


 それを聞いて、複雑な胸中になる。


 やったことは自分に返ってくる。

 正に因果応報としか言えないが、けれど事を起こしたサウザス本人は既にもうおらず、子孫は子孫で好き勝手していたものの、トールがいる。


 それに人族というくくりにされてしまうと、何も知らず食糧難に喘いでいたコケコットの領民や、他の村や町に関して罪はないと思う。


 穢れの中で会ったユグドラシルを思い返せば、けれど彼女が人族に対して復讐心を抱くとも思えない。

 あの中でずっと彼の王子を想い続けていた、彼女だから。


「勇者」


 穏やかな声に思わず見上げる。

 彼……彼女は真っ直ぐに前を向いていて、視線が合うことはなかった。


「どうして魔物と一番敵対する筈の勇者が、そうも両種族のことで板挟みになっているのか、本当に不思議だけど。坊やが“勇者”で良かったって、アタシは思うわ」


 人族と魔物。

 ちゃんと話せば見た目や持つ力だけで、人も魔物も中身はそう変わらない。


 そう思う俺はやっぱりおかしいのかなと、ゴリピーがそんな風に言ってくれても自分が“勇者”であることに、疑問を抱いていた。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 大樹の周囲には山でエンカウントしたようなマッドマッシュやらマッドトレントやら、その他諸々の植物系魔物がひしめいていた。


 上空からドキドキしてそれらを見ていた俺を降ろし、三度目の坂を下りていく。

 途中でゴリピー以外のハーピーにもすれ違って会釈されたりして、一体俺はどんな風に周知されているのかと冷や冷やしながらやっぱり途中から風に飛ばされて到着すれば、そこには女王とトリィしかいなかった。そして何故かトリィはミニサイズに戻っている。


「来たか」

「コケェ」

「『落っことしてごめんちゃ』って」

「お茶目か。あの、女王とトリィだけですか? 何でトリィはその姿?」


 テッテケテー!と相変わらず俺に向かってジャンプしてきたトリィを受け止めて聞くと、その場に座っている女王がフンと鼻を鳴らした。


「森に棲む魔物にもそれぞれの住処がある。奴らは己が住まう地へと帰っていくさ。元々ここは妾らハーピー族とコカトリスの住まいだからな。トリィはその姿で慣れたというのと小さい方が可愛がられるから、そっちの方が良いらしい」

「コケコ!」

「あ、そうですか」


 威厳よりも可愛さを取るのか。

 一体トリィは何を目指しているんや。


 そして居住まいを正した女王が、俺に向かって頭を下げてきたのを見てギョッとする。


「じょ、女王!?」

「勇者に感謝申し上げる。ユグドラシルさまのご帰還は、妾ら森の魔物達の悲願であった。あの御方は特別な方だ。妾らは風属性しか持たぬが、彼の御方は風と土の二属性を操る。そのような複数属性の魔物は、総じて世界より別個に役割を与えられておる。ユグドラシルさまが消滅してしまえば、世界は均衡を崩し、どうなるか知れなかった」

「何それまた初耳事項キタ。あの、俺の心臓が縮みそうなので、取り敢えず姿勢元に戻して下さい」


 暴虐されるのも怖いが、しおらしくされるのも怖い。


 ……ん? いや待てよ、確か大陸全土の危機とは言われていた。あれだけで察せられるか!!


 しかしキングばかりでなく女王も立場的にその種族の頭なのに、頭を下げてくるとは。魔物達は良い上司に恵まれている。


 姿勢を元の踏ん反り返りスタイルに戻した女王が、ゴリピーに顔を向けた。


「妾はもう良い。勇者の仲間がここに来る前に、ユグドラシルさまの元へ連れて行け」

「え」

「了解よ!」

「妾らは、ユグドラシルさまを救ってくれた勇者一行と敵対する気はない。他のハーピーにお前の仲間を迎えに行かせておるがその前に、ユグドラシルさまはお前との対話を望んでおられる。お前達のこの地での目的は穢れの浄化。それを果たした今、もうこの地に留まる理由はない」


 淡々と告げられるそれは、遠回しの別れの言葉。

 勇者パーティの目的は魔王の討伐と、穢れた地の守護水晶の浄化。確かにこの大陸にいつまでもいる訳にはいかないけど……。


 何となくモヤつくものが顔にも出ていたようで、「ハハッ」と笑われた。


「お前のような人族もいるということが、情報として知れた。それを加味した上で妾らも行動する。後のことは……未来はこの地に棲む者らの問題。それぞれが過去を背負って、これからを生きていく」


 力強く輝く瞳に射抜かれる。

 ……女王は、やっぱりその一族を束ねる“女王”なんだな。


「俺も。色々教えてくれて、あと蔓ポシェットも作ってくれてありがとうございました。クイーンハーピー」

「……連れて行け」


 腕をバサリと振られる。

 ゴウッと風が俺の身体を浮かせたと思ったら、突風に飛ばされてあっという間に大樹の入口へと運ばれた。


 ……その間来る時と逆で、仰向けの状態のまま頭を先頭に飛ばされる俺の恐怖が誰か分かるだろうか!?


 しかも背中からボテッと落とされた。

 感謝している筈の人間に対してひどい扱いである。


「坊や、顔が凄いことになっているわよォ?」

「女王はやっぱり暴虐の女王だった」

「ウフフ、やあねェ。クイーンハーピーさまの照れ隠しよ、アレ。坊やが初めて名前で呼んだかいったァーい!」


 翼で口許を隠してニヤニヤしているゴリピーの後ろ頭に、もの凄い勢いで羽が突き刺さった。聞こえていたらしい。

 トリィまで一緒に俺と飛ばされて、置いて行こうと放そうとしたらまた暴れられた。コイツマジで俺のこと好き過ぎだろ。


 仕方がないのでまたこのメンバーで連れ立って、森の聖域へと赴く。

 大樹からは近いのですぐに到着し、入れないゴリピーとトリィは入り口でお留守番。一応祭壇まで行ったからか、入口に既に白いショートカット魔法陣が出現して上に乗る。


 ヴォン!と空間を転移して、そして目の前に現れる外と同様の景色。異なるとすれば、そこに石段と台座があるかどうかの違いだけで。


 台座には、緑色の輝きを放つ水晶が鎮座している。

 穢れ浄化後のそれはやはり守護水晶しか放てない、神秘的なものを感じさせた。



「勇者」



 穏やかで柔らかな声に振り向けば。

 色とりどりの花束を抱えて微笑んでいる――ユグドラシルが、そこにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る