お勉強39 想いが救われる時

 一度息を吸い、細く吐く。


「ずっとここに居るつもりですか?」


 俺の問いにすぐに答えることなく、胡坐をかいたまま頬杖をついて、ジッと見つめられる。

 睨まれるかと思ったがそんなことはなく、ただ真っ直ぐに見つめられるのに変な圧を感じて、思わず口に溜まった唾を嚥下えんかした。


『……変な質問してきたよね。囚われているんだから、自力で出られる訳ないじゃん。馬鹿なの?』

「え。……あ、そっか。すみません」

『あーヤダヤダ。どんなのが勇者かと思ったらこんなのが勇者? もうちょっと賢いヤツが来るかと思ったのに、拍子抜けなんだけど』

「偏差値馬鹿ですみません」


 マジで神風くんに言われている気がしてリアルにへこむんですが。

 ……あれ、普通に話してくれている?


「えっと。外の世界はもう大丈夫です。魔道具止めたし、今の王族でもちゃんとした考えの人間がいます。未来の人間を信じて、これからを俺達に託してくれませんか?」

『過去に何があってこうなったかを悟った、その上で? 簡単に言ってくれるね』


 嘲りを表情に乗せ、ハッと嗤う。


『勇者だから世界を救わなくちゃ。魔王を倒さなきゃ。人間を守らなきゃ? ……魔物は悪だと決めつける人間が多過ぎて、本当うんざりする。迷いに迷って、それでも信じて託したのにあっさり裏切られてさ。……なぁ勇者』


 泥濘の動きが変わる。


『お前のその言葉に、どれだけの信用性があるんだ? 歴史は繰り返される。覆されることなど有りはしない』


 チョコレートファウンテンみたく循環し続けていたそれが、引いた潮を満たすように内部で溜めようとしている。


『なら、ずっとここに居た方がユグドラシルは安全だと思わないか? ここならもう、何にも傷つけられることはないのだから。大地にだって今まで中から配給していたんだから、ずっとそうすれば――』

「傷ついているよ。ずっと」


 夜空の瞳がパチリと瞬く。

 遮られたことに対してか言葉の意味に対してか、分からないけれど。


「今もずっと、ユグドラシルは貴方に傷つけられている。ここに囚われている貴方を救いたいのに救えないと、ずっと苦しんで、悲しんでいる。もう自分の声が貴方に届くことはないって、そう言っていた。貴方がそうやって穢れを取り込もうとしているのを取り込まれていると勘違いして、助けてほしいって、そう言ったんだ!」


 分かるよ、悟ったから。日記を読んだから。

 後から知ってどれだけ傷ついたのか、守りたかったのか。……守りたいのか。


「本当は分かっているんじゃないのか? 自分が傷つけているって。自分じゃユグドラシルの存在を、消滅することからは守れても、心は守れていないって。だから貴方だって助けを求めていたんだろ!?」


 幾度も呼び掛けていた。でも声が届かない。

 巨大になっていく泥濘。


 軽い口調で言っていたけれど、本当は必死だった筈だ。届かなくて、焦って、魔素の分配を間違えた。彼への呼び掛けと魔素の分配で精一杯で、


 ……助けたいのに、どうしてお互いがその想いのせいで傷つけ合うことになるんだ!!


「――トールに助けを求めていたのは、貴方だ!! ユグドラシルを助けてほしいと、そう言っていたのはセルジュ王子、貴方だ」

『……どうしてそう思う』


 嘲りが消え、純粋な疑問が向けられたことにこっちがどうしてと思う。だって、そうだろう?


「泥濘を取り込んでも、それで力を蓄えて魔道具から守っていても、ユグドラシルは幸せじゃなかった。自分を守るために貴方にそんなことをさせていると、自分のせいだと思っている。なら、逆に貴方の声だってユグドラシルに届かない。自分のせいで彼女を死なせかけさせたのに、自分をここから救おうと必死になっている彼女に、貴女のせいじゃないって声が届かない。だから、外に助けを求めるしかなかったんじゃないか? だって貴方が本当に望んでいるのは――」



『……生還を果たして後、我が家族、偉大なるユグドラシル、我が親友であるサウザスの笑顔を、再びこの目にすることを願う。祈りを込めて――――』



「――ユグドラシルの、笑顔だから」



 フッと、相好そうごうが崩れた。

 『はぁーあ』と言って顔を上向かせる姿に、そんな様子を見せられてえっとなっていたら再び顔が戻ってくる。


『日記読んで来たの、ズルじゃない?』

「え?」

『だってそうじゃん。本当に勇者ってヤツは、運が良いんだか悪いんだか。ま、良い方向に持っていけるんだから運は良いよね。そこまで正確に情報読み取れて判断出来るんだったら、俺、アンタのこと信じてみても良いよ』


 どういう態度の変わり様なのか、そんなことを言われても本当に?と疑問が沸いてしまう。

 手の平返すの早くない? いや、そりゃ俺の言葉が届いたんなら嬉しいけど。


『それじゃ、早く助けてよ』

「はい?」


 何を? ユグドラシルのこと?と思うが、そんな俺を見てまた目を細めてくる。


『泥濘、俺もう腹まで浸かってるんだけど。取り込まれそうなんだけど』

「え? 取り込んでるんじゃ」

『アンタが俺の気持ちを正確に汲んじゃったから、気が抜けて主導権奪われたんじゃん。ほら、アンタも背中から取り込まれそうになってるよ』

「えええええええ」


 そういやさっきから首根っこ掴んでいるモノが、ヌチャヌチャと肩まで広がっているような……マジで!?


「もう主導権取り返せないの!?」

『無理。できない。疲れた』

「疲れた!?」

『早く聖剣呼びなよ。勇者だろ?』

「さっきアイツ呼んだけど来なかったぞ!?」

『ちゃんと答え出してなかったからだろ。今は出しているだろ。馬鹿?』


 馬鹿馬鹿言うなや! 馬鹿だけど!

 しかし言うほど彼の表情は俺を馬鹿にしているようには見えず、むしろ穏やかで仕方なさそうな顔をしている。……本当に似ている。


 目を閉じて、祈るように呼ぶ。


(来い! 聖剣オルトレイス!!)

<勇者あああぁぁぁぁ!!>


 さっきは聞こえなかった声がして――ズドオオオオォォォォンッッ……!!と、いつかのようにやって来た。真上から。泥濘に穴開けて。俺の足元へと。


<勇者よ、また答えを見つけたのだな! 我はどうも勇者が浄化を受け入れておらぬと察し、ずっと冷や冷やしてお>

「さっさとやるぞ」

<我の言葉を遮るでない!>

「お前の話全部聞いてたら取り込まれるわ!」


 泥濘にぶら下げられていても届く位置に刺さっていたので引き抜き、首根っこ辺りを掴んでいるそれから切り離す。

 肩に乗っかっている切り離した小さい泥濘を掴んでペイし、刀身を真下に向けて握った。聖剣が青銀の光を帯びる。


 ――縛られ続けて、止まってしまった彼等の時間

 ――彼等が歩んでいくための新たな道を作り、明るく照らしてほしい



「大切なものを守りたいのは分かる。けど、何を守りたいのかを間違えるな! 想いの果てに暴走する穢れ! 俺はお前から、全てを“救う”!!」



 振り上げた聖剣を勢いよく突き立て、カッと青銀の光が強く輝く。

 突き立てた場所から円状に広がる光が、閉じ込めていた檻を壊す。泥濘が溶け消え、先の見えない黒の空間へと灯されていく。


 檻が壊されたその近くで、翡翠が視界に入ってくる。

 彼女は変わりゆく空間には反応せず、ただジッと一点だけを見つめて――花がほころぶように笑った。


 彼はそれにどういう反応を返したのか。

 言葉もなかったし、俺もそっちを見なかったから迷宮入りだ。


『勇者』


 ……ここで呼ばれるの俺じゃなくない?

 しかし無視する訳にもいかないので振り向くと、その身が光に包まれている彼もまた、晴れやかに笑っていた。


『俺、別にアンタを攻撃した訳じゃないから』

「え?」

『俺がユグドラシルと話せないのに、普通に会話してるのが腹立ったからちょっと意地悪しただけだよ』

「当たったら絶対溶けるの、意地悪の範疇はんちゅうから明らかに越えてますけど!?」


 とんだ暴露に目を剥くも、粒子となって消えていく姿にやっぱり――喪失感が広がっていく。


 どうしてだろう。似てはいるけど、彼は神風くんじゃないのに。

 前の時も消えてしまうと思ったら、こんな気持ちになった。


 見つめていると、『どういう顔してんだか』とおかしそうに笑いながら。


『だって****の俺が勇者を攻撃する訳ないじゃん。もっと堂々としなよ。アンタのこと、信じて見ているからさ――……』


 青銀が空間を満たす。


 粒子が昇っていくのを見届けて、俺の意識はそこで途切れた。

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