休憩時間 魔王の計画を勇者は知らない

 勇者一行を海面から見送り、彼等を乗せた船が見えなくなってから、キングサハギンは部下に命じた。


「俺達も住処へ戻る。行くぞ」

「「「はっ!」」」


 トプリと海中に頭を沈ませ、泳いで海底の底にあるサハギン族の住処へと向かう。


 穢れに侵されていたこの地は海の中もどことなく暗くよどみ、浄化された現在では空から照らされる光が差し込んで、明るく美しく輝いている。


 穢れの影響でダンジョンに呼ばれずとも、海中の魔物達は個を失いかけて凶暴化していた。

 サハギンの中でも最上位種である己はその影響下からは逃れられていたが、それでも課せられた使命とダンジョンに縛られていたのは――……。


 そうキングが回想していた時、住処である海底洞窟の入口で見張りが忙しない様子でいるのが、遠目からでも分かった。

 何かあったかと泳ぐ速度を上げて、見張りへ問う。


「今戻った。何かあったのか」

「キングさま! それが――」



「――――魔物が。それもダンジョンの主と命じ使命を課した者が、勇者一行の見送りへ向かったとは」



 見張りの声を遮って発せられた、静かで冷たい声に一気に背筋が震え上がった。


 声を聞いた瞬間に部下は勿論、己も地の底へと即頭を垂れる。

 キングサハギンである己でさえも決して敵うことのない、本能で感じ取る明確な力の差。魔としての階級でさえ、この御方の足元にも及ばない。


 魔族と、魔物。この明確な差。


 後ろに従えている部下達は、呼吸一つすることさえ、この御方の前ではままならない。畏怖いふの念に強く押さえ付けられるが、種族の長であることに奮起ふんきして耐え、震える口をやっとの思いで開いた。


「訪れを知らず、申し訳ございません――水禍の将アクアトゥリティスさま」

「勇者の携える聖剣に悟られぬよう、可能な限り魔素を態々わざわざ削ぎ落して来たのです。魔物程度に簡単に悟られるようでは困ります。……私がいつまでも居ては、皆に負担を掛けるようですね」


 淡々と言葉を連ねた後、フッと纏う水の気配が変わって瞬けば、見えている下の景色が変わっていることに気づく。


「ここは」

「よく知っている筈ですが? ダンジョンと化していた水の聖域。頭を上げ、私に顔を見せることを許可します」


 相手にとっては許可でも、己にとってそれは命令と同義。

 恐る恐る顔を上げて、その御方の姿を視界に映す。


 己がダンジョンの主となること、勇者一行と対峙するように命じたその御方は己に命じた時と何ら変わらない姿で紫色に輝く水晶の鎮座する台座に腰掛け、己を見下ろしていた。


 魔物の中で完全な人型をとれるのは、魔物の上位種である魔族の中でも、僅か一握りしかいない。


 ――水を支配する魔王配下四天王が一人、称号・水禍の将アクアトゥリティス


 空で染めたかのような薄い水色の長髪を緩く編んで前に垂らしているそれが、首を僅かに傾けたことで揺れる。何も感情を映さない銀色の瞳が一度瞬いて、薄く細まった。


「何故この私が態々出向いて来たのか、分かりますか?」


 問われたことに、心臓がその手に握られたかのような心地になる。



『お前の使命はこのダンジョンの主となり、海に棲む魔物達の監視をすること。勇者一行と対峙し、見定めることです』



 そう命じられていた。


 己は何か間違ったのか? 一行と対峙したのは明確には己ではなく勇者で、彼がその仲間達としていた。これは命令違反になるのだろうか……!?


「あ、あの、己の願望を優先し穢れを浄化させてしまったこと、この首を以ってお詫び――」

「そんなことはどうでも良いです」

「……え」


 遮られて言われたことに固まる。


 ど、どうでも良いとは。穢れの浄化のことか、己の首のことか。まさか前者である訳が……。


 水禍の将の視線が水晶を向き、見下すように鼻を鳴らした。


「魔王さまが誕生されたと同時に生まれた遺恨いこん残骸ざんがいなど、どうなろうと知ったことではない。むしろあんな塵屑ちりくずは、浄化されてしかるべきです」

「え」

「それで、お前の見解は?」

「け、見解」

「命じていたでしょう、見定めろと」


 聞いたことの何もかもが付いていかず、頭が回らない。

 水から生まれた魔物は智の部分が突出していると言われている。だがキングサハギンとなった己でも、水属性魔物の頂点である水禍の将が何を考え己に求めているのかが、全く分からなかった。


 ただ一つだけハッキリしているのは、魔物にとって穢れの浄化はどうでも良いことではないということ。だってあんなに葛藤したのに。


 しかし何か答えなければ、確実に己の首が物理的に飛ぶ。必死に勇者のことを思い出す。


「く、口がよく回る勇者でした。初めは自分もただの人間と思っており、自分の警戒も反応せず、むしろ同じ魔物でないかとも感じた次第で……」

「ほう」

「自分の願望で、浄化することを見逃しました。浄化の場に立ち会い、勇者の聖剣を扱う姿は正にそれと呼べるものでございました。あの者は確かに勇者でございました」


 そこまで報告したら、口許に細く長い指を当てて何か思考される。


「……なるほど。他の者の情報はなく、勇者のことだけしか情報がないほどに強烈でしたか」

「!!」

水鏡ウォーターミラー


 水禍の将が唱え彼の眼前に現れた、円状の映し。


 その映しに己と勇者の姿が現れ、流れるように出会いから別れるまでの流れが次から次へと水禍の将の目に晒されていく。……己に聞くより、初めからこうした方が早かったのでは。


 ドキドキしながら待っていたら、一通り観終わったそれを指先で振って消し、小さく息を吐かれた。


「一体何をやっているのか」

「! も、申し訳」

「お前にではない。むしろよく戦闘せずにいられたこと、私はお前を評価しますよ。穢れに支配される中、それに抵抗し勇者を目にして戦闘にならないなど、余程の個と精神力です。キングサハギン、お前をダンジョンの主に命じて正解でした」


 何だかよく分からないけれど、褒められている。

 水禍の将の期待にはお応えできたようだった。


「じ、自分はこれからどうすればよろしいでしょうか?」


 新たな命があるのならと訊ねたが、水禍の将は銀の瞳を向けただけで、己に命を下すことはなかった。


「水のダンジョンは聖域と化し、魔物達も穏やかな気性となりました。お前に課した命と縛りは、穢れが浄化された時点で解かれている。在りのままに生きるが良い」


 最後まで冷たく、静かな声音で告げる彼の腕が薙ぎ払うかの如く振られる。そうすると一瞬後には、己の住処である海底洞窟の入り口へと戻されていた。


「キングさま! ご無事で!」

「滅多なことを口にするんじゃない! 俺は水禍の将さまにご報告をしていただけだ」


 己を発見し寄ってくる部下達をいさめ、ダンジョンの……聖域のある方角へと顔を向ける。


 一体、あの御方は何を求めていらっしゃったのだろうか? しかし穢れの浄化を見逃し、勇者らと戦闘をしなかったことを許された。むしろそれを望まれていた節がある。


 先日勇者に言ったことを思い返す。



『俺は魔物の中でも中位だ。上位ともなればお聞きされているかも知れない』



 上位である魔王配下四天王の水禍の将。

 あの御方の考えは、魔王さまのお考えであると同義――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「……」


 一人残った者は、今は紫に輝く守護水晶を忌々しそうに見つめていた。


 聖域に魔物は留まれない。しかし守護水晶に望まれた者、その者に認められた者は例え魔族・魔物であっても留まれることを彼は知っていた。


「魔王と勇者が新たに誕生すれば、勇者に求める穢れの答えも新たに変化する」


 水鏡ウォーターミラーに映された、穢れの中での勇者と遺恨の残骸の接触。


 その中には己と同じ姿の者も映っていた。

 よりにもよって勇者の手助けをするとは。


「……それにしても有り得ませんね。こんな体たらくでよくも」


 比較的四天王の中では穏やかな気性の己でさえ、植えつけられた衝動のまま――――殺してしまいたくなった。


 己でさえそう思うのだから他の面々、特にだとそれも顕著けんちょだろう。

 勇者一行が最初に訪れた穢れの地が、水の支配者である己の管轄で良かったと心底思う。


 水鏡に映った最後では、船に乗り手を振る元気な姿があった。

 船であれば次の行き先は大地の聖域ではない。森の聖域か、火の聖域か。


 火の聖域でないことを願いながら、彼は腰掛けていた台座から立ち上がる。


「“覚醒”はまだ遠いようです。あれでは私達が成り代わった方が余程――……いえ、私達が浄化を許容している時点で、この世界の混沌を狂わせている。願ったり叶ったりか」


 銀の瞳をきらめかせ、緩く口許を上げて誰にともなく呟く。



「……誰にも、世界でさえ魔王さまの邪魔はさせません。必ずや魔王さまのお望みを大成させましょう――――人魔類皆幸福生活計画エブリワンハッピーライフプロジェクトを」



 その呟きは、誰の耳にも聞こえない――……。

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