お勉強18 そして勇者は穢れを浄化する
ひんやりヌチャヌチャとしたものが、足からその先へと向かってくる。この
だけど、足が動かない。手も、顔も、喉でさえも恐怖がそこかしこに張りついて、動かせない。
今まで仲間や聖剣頼みだったのに。元の世界でさえ幼馴染頼りだった。そんな俺が、どうして戦えるんだよ。こんな訳の分からない場所で!
全部黒い、重い、吐きたくなるぐらいの絶望に満たされた場所で!!
救いなんて何もない。呑まれる。
落ちる。堕ちる……。
『何モ考エズ……全テヲ忘レテ……深キ眠リヘ……』
眠り。眠り?
寝たら、この重圧から解放されるのか……?
『ソウ……眠リニ落チレバ……全テノ嫌ナコトカラ解キ放タレル……』
……あぁ。
だったら、眠るのも悪くないかもしれないな……。
泥濘が胸まで這い上がってきた。
ひんやりヌチャヌチャも、慣れてきたら心地良い……。
そうして瞼が再び下がりそうになって――――ポーン、と丸い何かが視界を
何となく気になって目で追うと、薄いピンク色をしたボール……
ボールがここまで転がってくると、今度は小さい子供がテッテッテとそれを追い掛けて来たのか、こっちに向かって走って来る。年齢は大体四、五歳か?
ぼんやりした頭で見ていると、その子(女の子かな?)が、しゃがんでボールを拾った状態で話し掛けてきた。
『おじさん、寝ているんですか? そこで寝ると踏まれますよ』
「俺まだ十九歳。未成年。あと誰に踏まれるん」
おじさん発言で一瞬にして目が覚めた。
まだ高校卒業して一年未満のプライド!
肩まである空で染めたかのような薄い水色の髪を揺らして、その子供は『そうですね、』と呟くと。
『不審者はうつ伏せに転がして、背中を足で踏みつけると良いと本に書いてありました』
「不審者扱いされた! 本の内容! ……うわっ」
親はこの子にどんな本を読ませているんだ!
絶対教育によろしくないだろ!
と、突っ込みを入れたおかげで自分がどういう状況か気づいて、喉まで覆おうとしていた泥濘を掴んでペイっと放り投げる。危なかった!
あやうく取り込まれるところだったと起き上がってドキドキしていたら、ジッと子供が俺を見ていることに気づく。
正気を取り戻してくれたお礼を言おうと口を開くより先に、子供の方が話し出した。
『おじ……お兄さん、もしかして勇者さまですか?』
「えっ」
ドキドキして何も言えないでいると、子供は首を傾げて薄く笑った。
『本を読んで勉強しました。そうですか。何だか頼りなさそうな勇者さまですけど、まぁいいです。守りがいがあるということですので』
「守る? っていうか、ここ多分穢れの中で……何で子供がいるんだ!? 早くここから出る、ぞ!?」
今更なことに気づいて慌てて子供の腕を取ろうとするも、スカッと通り抜ける。
唖然として自分の手と子供を見比べるが、何が面白かったのか、今度は年相応に楽しそうに笑い出した。
『あはははっ、私を守ろうとしている! やっぱりそうです! 勇者というのは総じてお人よしで事件に巻き込まれる、可哀想で愛しい者だと本に書いてありました!』
「待って、え? お前、一体」
『
スッと、笑みの消えた表情に、選択を迫られていることをはっきりと感じ取る。一体何がどうなってこんなことになっているのか、目覚めた時から意味不明でさっぱりだけれど。
きっとこれが、勇者の方で浄化する方法の答えなのだと思った。
両目を閉じて考える。選択肢は二つ。消滅と解放。
浄化という意味なら、間違いなく跡形もなく消し去る消滅の方が合っている。……けれど。
消して、いいのか? あの絶望と悲哀、慟哭、憎悪、執着を全部失くして。
『サトーは文句言いながらも現実見て頑張っていると思うぜ? 嫌なことさせられるって、本当に苦痛だよな』
宿でビルが言っていた。
嫌なことをさせられるのは、苦痛でしかない。
『……穢レニ呑マレタ部下モ、キットソレヲ望ム』
『……戦イタクナカッタ……』
望まない。誰も望んでなんかいなかった。
穢れに呑み込まれた魔物の声。
その魔物に
今もまだ、ずっと縛りつけられているのなら。
それに、ちゃんと言っていたじゃないか。俺は確かにそれを聞いていた。
目を開ける。水色の髪を揺らし、ジッと見つめてくる銀の瞳をまっすぐに見つめ返して。
「俺は、穢れの解放を選ぶ」
子供の表情は変わらない。
『何故ですか』
「ここで聞いた声は、解き放たれることを望んでいるから。縛りつけるものから解放する方が、文法的にも合っているだろ?」
回答した後で、そういう場面じゃないのに何だかおかしくなって少し笑ってしまった。
選択肢を提示された時からのやり取りが、幼馴染の――瀬伊くんとのやり取りと重なったから。
そして違う答えを言おうものなら目を細めるが、合っている時はこの子供のようにふぅと小さく息を吐き出して――
『『正解です。よくできました』』
――と、柔らかい笑みを浮かべて褒めてくれるのだ。
「……ん? あれ、今まんまだっ――」
『では勇者さま、その手に聖剣を』
「え、え? いやアイツ今どっか行ってて」
『答えを選んだ今の貴方が呼べば、聖剣オルトレイスは応えます』
「えええ??」
本当か? しかし瀬伊くんぽい子供に断言されてしまえば、試してみない訳にもいくまい。
これは口で叫んだ方がいいのか、それとも思念で呼んだ方がいいのか?
叫ぶのは見られていると何か恥ずかしいので、思念の方でやってみた。
(――来い! 聖剣オルトレイス!!)
<勇者あああぁぁぁぁ!!>
あ、すぐ声聞こえ……どっから?
そう思った瞬間に、青銀の閃光がズドオオオオォォォォンッッ……!!とやって来た。
真上から一直線。目と鼻の先であともう少しずれていたら、確実に足に突き刺さっていた。
<勇者よ、答えを見つけたのだな! 我は勇者ならやれると信じておったぞ!>
「マジでお前浄化済んだら叱るからな」
<えっ>
そうだ、何で気づかなかった。コイツの指示で俺、水晶に触ったじゃん。
勇者の浄化方法知ってたよな? 何で触る前に全部教えてくれないん? ふざけてんのか?
「この世界
見ると、今までそこにいた筈の子供の姿が消えていた。見回してもどこにもいない。
「何で」
<穢れの中には生物など存在せぬ。此処に在るのは穢れに囚われた思念のみ>
「思念……」
じゃあ、あの子供ももしかして、穢れに呑まれた魔物に屠られた中の一人だったのか……?
途端に胸に広がる悲しみと喪失感。たった少しの短い会話だけしかしていないのに、どうしてこんな感情が生まれるのか。
口を引き結んで俯く俺に、聖剣が真剣な声で告げる。
<答えを選んだのであれば勇者よ。その想いを我に込め、穢れを薙ぎ払うのだ!>
力強い言葉に柄を掴んで引き抜き、両手に構えて前を見据える。
――暗い黒の空間が光で満たされるように
――雲の切れ間から太陽の光が差し込み、明るく照らすように
「望まないことを強制し、死んだ後も呑み込み縛り続ける穢れ! 俺はお前から、全てを“解放”する!!」
鎖を断ち切るように、俺は青銀の光を強く帯びた聖剣オルトレイスをそこに敵が居るかの如く、斬りつけた――……!!
暗い黒の空間が青銀の光に両断され、割れたそこから青銀が広がる。
たちどころに黒い粒子となって天に昇るように上に向かって消えて行くその中で、数え切れない程のサハギン、他にも海に棲息する魔物や、屠られた人々が姿を現す。
涙を流しながらも嬉しそうな顔でいるのを目にする中で――あの子供がテテテッとまた走って来た。
『さすがです、勇者さま』
「……お前も行くのか?」
魔物や人々と同じように、足元から光の粒となって消えていく。聞くと、その子は楽しそうに笑う。
『私が勇者さまを置いて、どこへ行くと言うのですか? だって私は****ですよ――……』
青く銀色に輝く空間で聞くその声が最後となって、俺の意識は光に呑み込まれていった。
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