所詮は聖女も俗物

 聖女、それは勇者を導く神聖な存在だ。

 人々の希望と想いを背負い、国の行く末のためにその命を賭す存在だ。だが悲しいかな、そのような重荷を背負い心から国に奉仕しようとする聖女はごく僅かだ。最近その命を散らした老聖女が特別すぎた例であり、多くの欲望に忠実な人間たちはこう呟くだろう――彼女は哀れな人生を送ったのだと。


 勇者が敗北し、国が次のパーティメンバーの選出に頭を悩ませる中、現聖女でもある女性はアバランテの街に静養の目的で訪れた。


「ここがアバランテですか。とても活気のある街なのですね」

(何よこの辺境の街……こんなゴミの掃き溜めみたいな街に私を寄こすなんて)


 人々の希望たる聖女、しかし彼女もやはり欲望に忠実な女だった。

 表に出る言葉と裏で出る言葉は二重人格と思わせるように全く違う。老聖女のように生涯に渡って国に尽くすつもりなどなく、とっとと隠居してイケメンに囲まれながら宝石に囲まれてひっそりと生きていきたい……そう考えるような女だった。


「おぉ聖女様だ。噂に違わぬ美しさだ」

「怪我をされたとのことだが大丈夫なのか?」

「……ニアちゃんとリリスちゃんの方が美人じゃね?」

「それを言うんじゃねえよ。あの人たちは例外だろ」


 聖女である彼女を称える声は数多かった。自身の能力と美貌にそれなりの自信を持つからこそ、心の中で当然だとドヤ顔をする。しかし後に聞こえた声には眉を顰めそうになった。聖女たるもの決して外には出さないが。


(ニアとリリスって誰よ。この私以上に美しい存在が居るっての? ……忌々しいことに魔王は確かに美人だったけど……って、魔王を思い出すとあの人間を思い出すわ腹が立つ!!)


 煮えくり返りそうになる気持ちを何とか抑え込み、静養の目的もあって到着したことを街の管理者であるギルド長に報告するため向かった。会談というわけでもないので話は早めに済み、受付嬢の女性に部屋に案内された。


「それではこちらに滞在する間はここを使ってください。王都で与えられた部屋に比べれば小さいですが」

「いえいえ、ぜひこちらの部屋を使わせていただきます」

(いや小さすぎでしょこの部屋舐めてんの? 私は聖女よ? その聖女にこんな部屋を使わせるなんて頭おかしいんじゃないの?)


 相変わらずの切れ味ある脳内の言葉だ。

 しかし、その心の声が漏れたわけでもないのに受付嬢の真っ赤な瞳に見つめられ聖女は心臓を掴まれた錯覚に陥った。


「おや、どうかなさいましたか?」

「……いえ、何でもありませんわ」


 何だ今のは、そう問う間もなく女性は部屋を出て行ってしまった。

 その場にへたり込むほどではないが、気が抜けたかのように溜息を吐く。一応滞在期間中は好きに過ごしていいとのことだが、魔王にやられた代償としてあまり魔法を行使することが出来ない。


「……ちっ、本当に面倒なものです」


 心の中では罵倒を叫んでいても、表に出る声は全て丁寧な言葉に変換される。元々口の悪い女だったが、聖女としての仮面を被り続けた結果こうなったのだ。


「ジッとしてても退屈ですし、ちょっと外に出ましょうか」


 何より聖女は退屈を嫌いだ。

 教会にこもってお祈り? 孤児院に行って子供たちに読み聞かせ? 霊園に行って死者の追悼? 全部クソくらえ、何が面倒でそんな自分の益にならないことをしないといけないのか。その制度を作った人間全員首を吊れと本気でこの聖女は考えているくらいだ。


「すみません、少し散歩に向かいます」

「分かりました。お付きは必要ですか?」

「必要ありません。治安は良いようなので安心できるでしょう」

「畏まりました」


 今回の付き人にそれだけ言って聖女は建物を出た。

 王都のように発展したわけではない古い街並み、色々と不便そうだがだからこそ新鮮な空気が入り込んでいる。肺いっぱいに吸い込んで吐き出すととても気持ちがいいのだがそれだけは及第点だった。


「それじゃあ行きましょうか」

(古臭い街に何も期待してないけどねぇ)


 内心で思いっきり見下しながら街中を歩いていく。

 すれ違う人たちがみな聖女である自分に頭を下げるのは快感だった。全く変わり映えしない街並みの中を進んでいると、ふと聖女の動物並みに鋭い嗅覚がとても甘い香りを感じ取った。


「この匂いはなんでしょうか……とても甘い香り」


 その匂いに釣られるように進んでくと、そこには二人の男女が居た。


「そのイチゴタルトって言うの凄い人気なのねぇ。でもわかるわ凄く美味しいもん」

「だろ? ほら、手伝ってくれたお礼だ。サンも食べてくれ」

「ほんと!? ありがと!!」


 パッとしない見た目の男と、どうしてそんな男の傍に居るのか理解できないくらいに整った顔立ちの少女が目に入った。


(……何よあの小娘、凄い可愛いじゃない)


 男の傍に居る少女はとにかく可憐だった。その小さな体躯に似合わないスタイルの良さは変な興奮を誘いそうで、これでもかと男好きする要素を詰め込んだ少女に嫉妬心が沸き上がる。


「……うん?」


 そこで男が聖女の存在に気が付いた。

 同時に少女も聖女に目を向けたが、その瞬間聖女は少女に対しどこか人間ではない何かの気配を感じた気がした。


「……気のせいですかね」


 しかし、こんな何もない街に魔族が入り込んでいるとも思わないのでその考えは頭の隅に捨て置いた。というよりもこの聖女、とにかく自堕落が好きなので本当にどうでもいいと思っているのだ。


「……あ、この人が」

「うん。みたいだねぇ」


 何やら自分のことが分かっているようだ。

 頭を下げるとあちらも頭を下げてきた。せっかくだしということで聖女は彼らに近づいた。


「こんにちは。何をされていたんですか?」


 その問いかけに男がまず答えた。


「お金を稼ぐためにお菓子などを売ってるんですよ」

「お菓子を……その甘い香りの正体ですね?」

「あ、分かりますか?」


 そう言って男が差し出したのがイチゴタルトだった。

 この世界では決して見ることがないそれに聖女は視線を釘付けにされる。


(なにこれ最高に美味しそうなんだけど……欲しい……凄く食べてみたい!)


 お口ワルワル聖女だが、やっぱり彼女もまた甘いものが大好きな女の子だった。傍に控えていた少女が男と手を繋ぐと、男が何故か頷いてそれを差し出した。


「良かったらどうぞ、聖女の意見も聞いてみたいですし」

「……? 本当ですか? ありがとうございます」


 どこかで聞いたことのあるような声だったが、甘い香りにかき消されるように聖女は全く気にしなかった。渡されたイチゴタルトを手に取り、クッキーの部分とクリームを一緒に食べるように噛んだ。


「……っ!?」


 その瞬間、聖女は大きく目を見開いた。

 今まで感じたことのない食感、何よりクセになってしまいそうなその味に一瞬で心を奪われたのだ。


(美味しいなにこれどうなってるの!? こんなの王都でも食べたことないわ……まさかこんな街にこれほどのモノを作れる職人が居るなんて……私、この街に住む!)


 聖女、陥落――敗因は未知の甘味だった。


(……でも、やっぱり駄目ね男が居ないわ良い男が!! 勇者たちもイケメンだったけどつまらないのよねぇ。こう筋肉モリモリで、顔に傷なんかもあって、その太い腕で抱きしめられたりしたらもう……きゃああああああっ!!)


「どうしました?」

「……っ、失礼しました。おほほほ」


 一瞬で表情を聖女は取り繕った。だが、男とは別に少女がジッと聖女を見つめていた。ジッと見つめられれば目が合ってしまう……そして、その少女の瞳が不気味に光ったと思ったら脳内にとんでもない映像が流れ込んだのだ。


(……これは……ドラコ? っ!? イケメン! 何よこの私の好みど真ん中のイケてる男は! どこの人!? どこに居る人なの!?)


 再び桃色に染まり切った思考に少女がニヤリと笑った。

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