リリスの恋

 人間も魔族も関係ないものなのだが、稀にと呼ばれる現象が起こることがある。原因は何か分かっていないが、初めは僅かな倦怠感を感じることから始まり、そこから急速に症状が出てくる。


 すなわち、マナとは魔力でありロストとは失くすこと……つまり体に流れる魔力が失われる一種の病気だ。体の中に流れる魔力が失われていくと、他の器官にも影響が出てくるそれはこの世界特有のものだった。


「……リリス様」

「大丈夫よ。もう少し、もう少しは大丈夫」


 心配そうに語りかけてくるサキュバスにクイーンたるリリスは安心させるように笑みを浮かべた。リリスは笑みを浮かべているが、顔色は悪くとてもではないが起き上がれる状態でないことが窺えた。


 そう、先ほど説明したマナロストという状態にリリスは陥ったのだ。

 二度目になるが原因は分からない。どうしてそれが発生するのか、いまだにそれは解明されていない。そしてこのマナロストの厄介な部分は明確な治療法が確立されていない不治の病ということだ。


 体に巡回する魔力を補うため、他者から分け与えてもらう方法もあるのだがマナロストになると外から魔力をそもそも取り込むことが出来なくなってしまう。


「……参ったわね本当に。まさか私がこんなことになるなんて」


 最初は僅かな倦怠感だった。

 風邪を引く程度の柔な体ではないため、寝不足ではないかと考えていたがその翌日にはベッドから出れなくなってしまった。普通の魔力の持ち主なら一週間程度で魔力が枯れ果てるが、リリスに宿る魔力量はとても多くそれが幸いにも彼女を長く生かしていた。


「リリス様、どうにかならないんでしょうか……」


 どうにかなる、そう言いたいがどうにもならない。

 マナロストになる方があまりにも稀すぎるため、誰も彼もがマナロストになることを恐れてはおらず、なってしまったらなってしまったでこればかりは仕方ないと言わざるを得ないほどだ。


「楽しくなったのにねぇ……ほんと、ツイてないわ」


 ニアールを含め、他の仲間たちとの日々は騒がしくも楽しい日々だ。

 老聖女の魔法によって危機的状況に陥ったが、ノアというある種救世主の登場によってニアールは救われ……そしてリリスもまたノアという人間に興味を持つことになった。


「……ノア君」


 弱めとはいえチャームを打ち破った男の子、必死に抗う姿は素直にかっこよかったし抱きしめた時に照れる表情はとても可愛かった。珍しい美味しい料理もそうだしとにかくノアは優しい子だった。

 出自は不明だが、この世界では考えられないような価値観のノアの傍に居ることが本当に新鮮だったのだ。


「後何日持つかしら……魔王様にもそろそろ伝えないとよね」


 ニアールに伝えたところで、きっと悲しませてしまうだけだ。色々と軽口を言い合える仲なのはそれなりに長い付き合いだからこそ……マナロストに抗うことは出来ず魔力が完全に枯れ果てて終わるのを待つのみ、本当に残酷な病気だった。


「ノア君は泣いてくれるかしら……付き合いはまだ長くないけど、それなりに仲良くなれたと思うのだけど」

「リリス様お願いですからそんなことを言わないでください!!」


 既に諦めた様子のリリスに傍に控えるサキュバスが大粒の涙を流して縋りつく。弱々しく頭を撫でることしか出来ないリリスの姿に更に泣かせてしまう。困ったわねと苦笑しても、今回ばかりは何も掛けてあげる言葉が見つからない。


 っと、そんな風にリリスも含め現状を知っているサキュバスたちが悲しんでいるその時だった。バンと大きな音を立ててリリスの部屋のドアが開いたのは。


「邪魔するわよ~。リリス、まだ死んでないわよね?」

「……全くもう、魔王様ったら突然なんですから」


 おそらくサキュバスの誰かが伝えたのだろうとリリスは考えた。

 いつもと変わらない澄ました表情で入ってきたニアールと傍に控えるルミナスと、そして今最も会いたくて最も会いたくなかったノアが居た。


「全くもうとはこっちの台詞だわ。一人で苦しんで、しかも悟っちゃった表情してるし何諦めてんだか」

「……随分な言いようですね。これでも色々と考えたのですが」


 勝手なことを言うモノだとリリスは思った。

 しかし、怒鳴る気力もなければ言い返す力もない。そんなリリスを見てニアールは悲しむどころか、ニヤニヤと笑っておりそれだけは少し癪に障った。


「アンタが死ぬことは許さないわ。まだまだ先は長いし、色々とやりたいことだって多いはず……だから魔王の権限によって命じるわ。死ぬことは許さない」

「……っ」


 無茶苦茶だ。

 でも、その言葉がとても嬉しかった。何だかんだ、ここまで気に掛けてくれるニアールの存在は本当に頼もしく……最高の友とも言えた。


 さて、ここで愁嘆場は終わりだとニアールが手を叩いた。


「それじゃあノア、よろしく頼むわね」

「分かった!」

「……え?」

「……って人間!?」


 リリスの傍に居たサキュバスが警戒の体勢に入ったが、ルミナスが肩に手を置いて落ち着かさせた。ノアはそのままベッドに横になるリリスの傍に近寄り、その手を握りしめた。


「ノア……君?」

「大丈夫だ。リリスは俺が助けてみせる」

「……どういう」


 手を握ってくれた真剣な表情のノア、その表情に今の弱り切ったリリスはいつもより胸がときめいた。サキュバスの女王として多くの男を惑わせてきたが、その中で恋というものは全くしたことはない……実を言えば今までのノアとのやり取りもそれは恋ではなく少し気になる男の子を揶揄う程度のモノだった。


「パーフェクトヒール」

「っ……温かい……光?」


 ノアが呟いた瞬間、リリスを優しい光が包み込んだ。

 そして……そしてどうしたことか、体に纏わりついていた重たい何かがどんどん消え失せていく。失われていた魔力が体の中に戻ってくる感覚を感じ、リリスは目を丸くしてノアを見つめた。


「魔王様、これが……」

「えぇ。私を救ってくれたノアの魔法よ」


 ニアールとルミナスの話し声はリリスに届かない。それだけの困惑が胸中に降りかかっていたからだ。光が止みノアがふぅっと息を吐くのを合図に、リリスは今まで通りに体を起こすことが出来た。


「……え?」

「リリス様ああああああああ!!」


 サキュバスの子が抱き着いて来た。

 何が起きたのか分からない中、サキュバスの子の頭を撫でているとニアールとノアの二人から教わった。


 ノアのどんなものでも癒すことができる回復魔法、それは死にかけのニアールに使われ二度と使えないモノとされていた。しかし、どうしたことかもう一度だけ使えるようになったとのことだ。


「……そんな大切なモノを私に?」

「何言ってんだよ。リリスを助けるのに迷うことか? ニアから聞いてすぐにすっ飛んできたんだぞ俺は」


 照れくさそうに、けれどもやり切ったように口にしたノアにリリスは涙を流した。

 涙が流れるのを隠すこともせず、立ち上がってノアの体を抱きしめた。背中に回ってきた逞しい男の腕、その力強さにリリスは初めての恋をしたのだ。


 サキュバスの女王は今、一人の男の子に恋をした。

 それは自身の全てを捧げても良いと思える強い想い、リリスはノアに全てを持って尽くすことをここに誓った。

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