第3話 頼まれごと
スマートフォンの表示には名前は出ていなかった。
番号の羅列。携帯電話ではなく、固定電話の市外局番から始まる電話番号だった。
電話に出るか、それとも死ぬためにホームセンターへ行って自殺の道具を買い揃えようか迷っていると、電話は切れた。
しばらくスマートフォンを握って立ち尽くしていた為男だったが、改めて、ホームセンターで何を買おうか自殺用のメモを書きだし始めたところでまた電話が鳴った。
先ほどと同じ番号からの着信だった。
『ジュ・トゥ・ヴ』は鳴り続ける。
三拍子はがらんとした部屋に弾む。
為男の心はそんな風にはもう踊れない。
着信音を変えよう、と思いながら、結局為男は通話のマークをスワイプする。
どうせ死ぬなら最後に電話に出てもいいだろう。
どうせ死ぬのだから。
どうせもうどうでもいいのだから。
「もしもし」
訝りながらも冷静な声で為男は言った。電話ではいつも冷静になれる。ずっと電話だけで人と接することができればいいのに。
――こちら、亜梅さんのお電話でよろしいでしょうか。
電話の声は女だった。高い、まとまりのある発声。抑制の利いた声。
為男の声も女の声に触発されるようにより引き締められ抑制された声になる。為男の心の内とは真反対の発声だ。
「はい、亜梅です」
――あの、わたくし、喜多瀬川章世と申します。奥さまの、佳乃さんの古い友人でして・・・・・・。
為男はなにも言わなかった。どこで調べたかはわからないが、こうして為男に直接電話をかけてきているということは、佳乃がもう死んでいるということも知っているのだろう。
であればわざわざ説明をする必要はないはずだったし、説明をするのも嫌だった。
――佳乃さん、お気の毒さまでした。
為男はやはりなにも言わなかった。ただぼんやりと、この人が焼香に来たいと言い出したら厄介だなと考えていた。それでは今日死ぬことができない。
女は……喜多瀬川は、少し間をおいて息を吸い込んだあと、意を決したかのように言った。
――奥さまに、お会いしたいですか。
「はい」
条件反射の返答。為男は自分でもその反応に驚きながら、しかしそれを確かめるように続けた。
「はい、会いたいです」
――そうでしょうねえ。
喜多瀬川の声は応答ではなくむしろ思案しているかのように聞こえた。
同情とも違う。検討だ。
それはわかるんですけどねえどうしてあげましょうねえ、という響きだった。
――わたくし、実はですね。奥様から頼まれごとをしておりまして。今日もその件でお電話を差し上げたんですけども。
「頼まれごと、ですか」
――ええ、わたくし、ちょっとした特技と言いますか、特殊技能を持っておりまして、そのことで少し。
話の行く先が見えず、為男は適当な気の抜けた相槌を打つ。
自分がこれから死のうとしているということはすでに半分ほど忘れかけていた。
――佳乃さんとわたくしは高校の頃からの付き合いなんですけども、最近は連絡を取り合うこともなくなっておりました。それが、おそらくご自身の、その……残り時間がわかって、わたくしのことが頭に浮かんだのでしょうね、すぐに連絡をして来まして、例の特技はまだ使えるのか、というようなことを尋ねられまして。わたくしは、使えるどころかそれを生業にして今は生活をしている、と話しました。すると佳乃さんは大変喜びまして、それならば是非仕事として依頼をしたい、と。
弁護士だろうか。
と一瞬為男は考えたが、女の口調からは弁護士らしさは感じられなかった。
弁護士らしさというものがどういうものなのか、為男にもよくわからない。しかしそれでも、女の口調には知性を武器にしているような雰囲気がなかった。
ただ感情をひとまとめにして薄い膜につつみ、気をつけながらホイップクリームのように美しく絞り出している、そんなきめ細やかさとそして生命力が感じられる声だった。
――わたくし、魂の居所がわかります。
「そうですか」
返事をしてから、自分が今何を聞いたのか、為男は一瞬考えた。
魂の居所がわかる?
それがどういう意味かはわからない。でも言葉は聞き取れた。だから、そうですか、だ。
――生き物の魂の居所がわかるのです。普段はどのようにも役に立たない特技です。通り過ぎる車やふと手に取ったコンビニエンスストアの商品、そこいらの草木や花、そう言ったモノに誰彼の魂が宿っているということを感じるだけです。ただそれだけです。ですが、それに加えて、わたくしはその居所が次にどこかへと変わろうとするときに、ちょっとしたおまじないをかけることができるのです。
「ああ、そうですか」
――わたくしは、その魂の次の行き先を、ごく大まかにですが、選ぶことができるのです。通常であれば魂というのはこの広い世界、広い宇宙の中を場所も時間も関係なく行き来しています。現世現代で肉体を失った魂も、時間をさかのぼったり国を違えたり、時には星すらも越えて、色々なところへと出向き、新たに肉体が生ずるとそこへ宿るのです。その行き先をわたくしは特定の時間と範囲へ促すことができます。例えば、近い数週間の内の東京都の23区内のどこかへ……と言う様に。
そうか、そういうこともあるのか、と今度は素直に為男は納得していた。
普通の状態の彼なら疑うか鼻で笑うか相手の正気を心配していたはずだったが、でも、彼は普通ではなかった。
その時その瞬間だけではなく、佳乃が入院をしてからずっと、彼は普通の彼ではなかった。普通の彼でいることを放棄していた。
――佳乃さんの依頼も、ご自分が、その、お亡くなりに……なられてからの、魂の行き先を指定したいとのことでした。
「はい、ええ」
――わたくし、最初は嫌だと言いました。万が一でも佳乃さんの死を約束するようなことはしたくないのだと、言いました。しかし佳乃さんは強情でした。頑なでした。佳乃さんは昔から、頑なで強情な人だったというのをわたくしその時やっと思い出しまして、気が付いたら了承してしまっておりました。
「それは……ありがとうございます」
言いながら、為男は知らず知らずのうちに笑っている自分に気が付いた。
笑いながら、目からは涙が流れている。自分でも驚いた。
しかし、喜多瀬川の話の中の佳乃はいかにも佳乃で、それを思い出しただけで嬉しくて悲しい。切なくて死にたい。感情の統制が一切できなくなりつつあった。
声だけは依然として冷静なままだったので、喜多瀬川にも内心は伝わらなかったはずだったが、心なしか彼女は口調を優しくして続けた。
――と、いう訳で、きちんと前金で依頼料もいただきまして、わたくし仕事をいたしました。
喜多瀬川は誇らしげに言った。晴れ晴れとした声だった。
――おまじないはうまくいったようで、佳乃さんの魂はきちんと、指定通り、ご自宅の中のものに宿りました。
為男は呆けた様に、思わずスマートフォンを耳から離し、じっくりとその画面を見入ってしまった。
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