第194話 おかえり
◆スサノオを身に秘めた男◆
「こ、ここは…………」
彼が目を覚ますと共に、全身に痛みを感じて中々立ち上がれなかった。
そんな時、物音を聞いたのか誰かが急いでやってくる音が聞こえる。
それに対峙することもできず、ただベッドに横たわったまま、音がする方を見つめた。
「起きたの!?」
「…………ここは?」
「はぁ……何とか命は助かったみたいだね」
男は溜息を吐きながら、自分を見つめる女性に目を奪われた。
初めて感じる感情。その美しさに全てを奪われるかのようであった。
「貴方は一か月も眠っていたんだよ? 凄い大怪我だったけど、何とか助かったみたいだね」
「ずっと……看病して……くれたのか…………」
「ええ。病人を放っておく訳にもいかないでしょう。それにしても黒髪黒目って珍しいわね。私はセリナ。貴方は?」
「…………お、俺は…………」
男はそのまま言葉を続ける事ができなかった。
何故なら、自分の名前を思い出せないからである。それどころか、自分が何者なのか、過去の記憶が一つもないのを知った。
男は自分が感じているものを隠す事なく全てセリナに打ち上げた。
「そっか……記憶喪失はたまに聞くからね。そればかりは仕方ないわ。記憶が戻るまでに人生楽しみながら生きるといいわ!」
「人生を……楽しむ?」
「ええ。何もしないよりずっと楽しいわよ? まぁ、病人に言う事ではないけれど、元気になったらここまで看病したお礼くらいはしてね!」
彼女の天真爛漫で真っすぐな言葉に男はどこか救われるかのようだった。
「もちろんだ。この恩義は必ず返す。俺にできることなら何でもしよう」
そうして男とセリナの生活が始まった。
セリナはとある事情により、人里から離れた場所に住んでいて、二人だけの生活が始まった。
最初は疑問を思いながらも、彼女の明るさに照らされて、男は次第に悩むことなく彼女のために生きる事にした。
それから数年後。
記憶はなくとも身に染みついた剣術は錆びることなく、中央大陸最強の剣士はセリナのためにその剣を振るい続けた。
そんなとある日の事。
セリナを狙った白装束の人達が襲来して、それを男は一人で撃退する。
それにより、セリナは自分は聖女という特殊な職能を持っており、教団と呼ばれている者達から追われていたのだ。
事情を知った男はセリナを守るため、単身で教団に戦いを挑み――――殲滅させたのである。
皮肉にも、この時の事件により大陸中の力のバランスを保っていた教団が崩壊した事により、大陸は戦火の灯火が燃え上がる事になるのだが…………。
セリナと彼女を救った男は、自然とお互いを想うようになり、愛を育む。
そして、金髪の可愛らしい娘を産んだ。
しかし、娘が生まれた時、異変が訪れた。
男の中にあったスサノオの記憶が男から娘に移動していた。
娘が生まれてすぐにスサノオの記憶の単片が蘇った男だったが、それに伴い娘の中にあったスサノオの記憶と力の封印が解けかけたのである。
封印が解けてしまっては娘はスサノオに完全に乗っ取られてしまう。
二人は最後の望みをかけ、命を使い封印を伸ばす事に成功した。
しかし、二人の命を持ってしても、その期間はたったの15年。
その間に、娘が強く育ってくれて、スサノオから逃れる事を祈りながら、二人は命を果たした。
その後は、たまたま訪れた元教団の善良な信者によって、新しく発足した教会に連れられ、孤児として育つ事となる。
本来なら両親から愛情を注がれるはずだった娘は、生き長らえるために両親の命を持って生き長らえる事ができた。
そして、たった一つ。
『フィリア』という名前だけが、彼女に送られた両親の贈り物であった。
◇
スサノオは淡々とフィリアの過去の話を続けた。
きっと、本人も気づかないだろうけど、スサノオは涙を流していた。
「スサノオ。俺はお前を許さない。だが、お前にもそれなりの事情があると思う。だから、お前が成し遂げたかった事はなんだ?」
「…………姉を止めたかった」
「っ! それなら!」
「我には姉を止める事ができない。我が生まれたのは姉の力によるものだ。逆らう事はできない」
「くっ…………」
俺は思わず拳を握りしめた。
「それなら…………それなら俺達に協力すれば……っ!」
「……我は神である時も、あの男であった時も、この娘であった時も、誰かを信じた事がなかった。お前とツクヨミのように誰かと手を取り合うのも…………よかったのかも……知れんな…………」
フィリアの身体を奪ったスサノオを今でも憎んでいる。それは変わらない事実だ。
でも……どうしてか、ずっとひとりぼっちであったスサノオの気持ちが痛い程伝わってきた。
どうして…………俺達は分かり合えなかったのだろう…………俺が怒りに支配されずにずっと説得すれば良かったのだろうか…………。それがまた悔しかった。
「ソラ……と言ったな」
「……ああ」
「……………………姉を……よろしく……頼む…………娘は……返す」
「分かった。必ずや」
その言葉を最後にスサノオは口を開かなかった。
涙を流しながら、でも嬉しそうに空の彼方を見つめた。
沈黙が数秒過ぎ去り、スサノオの身体を眩しい光が包み込んだ。
スサノオの光る身体が俺から離れ、数メートル先で止まり、光りが収まる。
そこには傷一つないフィリアが立つ。
「フィリア」
振り向いた彼女は不安な表情で俺を見つめた。
「わ、私……みんなを……ソラを…………」
きっと、みんなと俺を傷つけてしまった事に罪悪感を感じていたのだろう。
スサノオに身体を乗っ取られていても、それを止められなかったからこそ、そう感じてしまうのは、フィリアだからこそだと思う。
そんな彼女に俺は両手を開いた。
「フィリア。おかえり」
「私は……この手で…………」
フィリアの目から大粒の涙が流れる。
ずっとスサノオの中で不安な時間を過ごしていたはずなのに、自分よりも俺や仲間を尊重する彼女がとても愛おしい。
「フィリア」
不安に満ちた表情の彼女と目が合う。
俺は彼女に何も告げる事なく、ただ手を広げて笑顔を見せる。
言葉は必要ない。
俺は、俺達はずっと君を待っていたんだ。
だから――――――
「おかえり」
フィリアが不安に染まったまま、俺の胸に飛び込んできた。
ずっとごめんなさいと繰り返す彼女を、俺は優しく抱きしめてあげるしかできなかった。
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