第3話

覇王賞が始まるのは、二日後。

アズマとスカーレットは、稲荷市の安い民宿を借りて、その日を待つ事にした。


スカーレットはカジノには行った事はあるしギャンブルもするが、ギャンブル中毒ではない。

資金の分配は、ちゃんとしているのだ。



『ブーケトスの墓だな』

「ブーケトス?」

『昔の競走馬だよ、遺骨が丸々入ってるって話だ』



割り当てられた個室にてアズマは、Dフォンの遠隔通信機能を使い、あけぼの市にいるキンノスケとリモートで話をしていた。

あの墓について、キンノスケなら知ってるのでは?と思ったからだ。



『だが、確かにブーケトスを知ってるなら、競馬に対する感情が微妙なのも頷ける………』



お爺ちゃんだから競馬も詳しいだろうという、偏見にも似た考えから、アズマはキンノスケに聞く事にした。

が、予想は当たっていたようだ。

キンノスケは、その「ブーケトス」について何やら知っている様子だ。



「有名な馬なんですか?」

『ん、まあ………有名っちゃ有名だけど………な』



しかし有名な馬について話すにしては、どこか気が引けているというか、あまり明るい話ではないような態度だ。


もしかして、ブーケトスという馬には、何か「いわく」のような物があるのではないだろうか?

そう思ったアズマの頭に、ほんの少しの好奇心が生まれる。



「………詳しく、聞かせてくれますか?」

『いいけど………気持ちのいい話じゃねえぞ』



ふう、とため息をつき、キンノスケは語る。

ブーケトス………その「黒き刺客のレッテル」を張られた、一頭の競走馬の話を。





………………





ブーケトス。

その馬は1991年に、北海道のある牧場で生まれた。

父はダービー馬ハッピーラック。

母はエルシャダイ。


大人しく、人の言うことを聞く優しい性格のこの牡馬は、小さな身体から競争には不向きに思われた。

だが、調教師は彼の心臓の音を聞いて確信した。

「この馬は走るぞ」と。



調教師の見立て通り、ブーケトスはメイクデビューで一位を獲得し、その後もメキメキと実力を伸ばしていった。

だが、そんなブーケトスの前に協力なライバルが現れる。


それが「ボーンガスト」。

ブーケトスのデビュー時既に有名だった人気馬であり、既に無敗で二冠を達成した強豪中の強豪として知られる。

その、疲れという概念すら無いのでは?と思わせる無尽蔵のスタミナから、ついたあだ名は「バトルマシーン」。


運命の悪戯か、ブーケトスは何度もボーンガストとぶつかる事になった。

ブーケトスは決して悪い馬ではなかったが、ボーンガストは強すぎた。

その度に何度も敗れた。


しかし、レースを繰り返すウチに、ブーケトスとボーンガストの間は、徐々に縮まっていった。

そして迎えた、夏の覇王賞。

ついにブーケトスは、ボーンガストを破り、一着を勝ち取った!


………しかし、ブーケトスが称賛を浴びる事はなかった。


無敗の三冠馬を期待されていたボーンガストを直前で破ったブーケトスは「スターの邪魔をする空気の読めないヤツ」として観客から罵声を浴びる事となった。

加えて、その後燃え尽き症候群になったのか敗けが続いた事もあり、ブーケトスは観客やファンからヘイトを集める事となってしまった。



………しかし、ブーケトスは、そして彼を預かっていた調教師や関係者達は折れなかった。


一年後、再びブーケトスは勝ちはじめた。

そんな時、運がいいのか悪いのか、再びブーケトスの前にライバルが現れた。


その名を「グレースサクラ」。

美しい芦毛の馬体を持つこの馬は、競走馬の名門とされるサクラ牧場の出身の「サクラ軍団」と称される馬達の中でも、代表格として扱われている。

実力も凄まじく、奇しくも彼もまた二冠を達成した実力の持ち主だ。


並みの努力では、グレースサクラには勝てない。

それを知っていた調教師は、心を鬼にしてブーケトスに苛烈な調教を行った。

その様は、「ブーケトスを殺す気か」とまで言われた程だ。


だが、ブーケトスは乗りきった。

ブーケトスが強くなったのは、目に見えて解る。

最早馬ですらない別の何かになってしまったのではないか?という、殺意にも似たオーラを纏ったその姿は「戦神」とも呼ばれた。


そして迎えた、冬の覇王賞。

接戦の果て、ブーケトスはグレースサクラを抜き、勝利を納めた。

走破タイムは3分17秒と、当時最速の記録だった。


………しかし、ブーケトスはここでも称賛される事はなかった。

グレースサクラも三冠が期待されていただけあり、再びスターの邪魔をしてしまったブーケトスは「悪役ヒール」「刺客」として認識されてしまう事となった。


そして、苛烈な調教が祟ったのか、ブーケトスは調子を崩してしまう。

復帰後も成績は振るわず、高齢だった事もあり、もう終わった馬とさえも言われていた。



が、これを引退レースにしようと挑んだ翌年の夏の覇王賞にて、まさかの復活劇を果たし、他の馬と大差をつけて勝利。

待っていたのは、罵声ではなく歓声。

ようやく、ようやく報われた瞬間であった。

もう、ブーケトスを悪役呼ばわりする者はいなかった。

今度こそ、ブーケトスはヒーローになったのだ。


そして、ファンの声に答える形で、95年の「姫路記念」に出走。

これは、引退後に種牡馬としての跡をつける為という意味合いが大きく、無事走りきれればよかった。


が、姫路記念の会場が原因不明の倒壊事故を起こし、急遽この稲荷レース場で開催する事に。

ブーケトスの勝ち星の多くがこのレース場で、得意としていた場所だった事により、ブーケトスの有利に働いたと皆が喜んだ。


………この時までは。


そして迎えた姫路記念。

ブーケトスが第三コーナーの坂を登っていたその時、悲劇は起きた。


ブーケトスが転倒した。

左前足が故障し、身体のバランスが保てなくなり、前のめりになるようにそのまま転げ落ちたのだ。


無茶な調教のツケが、よりによってこの時に回ってきた。


騎手は打撲で済んだが、ブーケトスはもう助からなかった。

足を粉砕骨折し、歩く所か、その場から動かせない状態にあったのだ。


馬という生き物は、その心肺の機能の一部を歩く事によって動かしている。

歩けなくなるという事は、馬にとっては死ぬ事を意味する。


結果、ブーケトスに取られた処置は、その場での安楽死。

黒い刺客のレッテルを張られ、ようやく皆から認められた矢先、ブーケトスはその生涯に幕を閉じる事となってしまった………。






………………






「そんな………そんな、事が………」



アズマは、なんと言っていいか解らなかった。

たとえ動物と言えども、あまりに壮絶で、不憫な生涯。

アズマも、スカーレットと共に旅をするまでは、毒親の元といういくら頑張っても認めてもらえない場所にいたからこそ、その気持ちは痛いほど解る。



『それからだな、一部の競走馬について罵声を飛ばしたりする事が減ったのは、今も無くなってはないが、当時は酷かったもんだぜ………ん?』



対するキンノスケも、ふとアズマの話を聞いて何かを思い出した。

ブーケトスの墓の前にいた、謎の男。

もしかすると、彼は知っている人物かも知れないと。



『時によ、そのブーケトスの墓の前にいたっつーオッサンだけど、胸に青い薔薇のブローチをしてなかったか?』

「え、はい、してました」

『やっぱり………』



ビンゴだった。

その人物なら、競馬にそういう感情も抱くだろう、と。

何故なら。



『そいつぁ多分米雨流ヨネザメ・ナガレだ、米雨コンツェルンの代表取締役で、今回の覇王賞のスポンサーの一人で………その、ブーケトスの元調教師だよ』



そのブーケトスの、近くにいた人物の一人なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る