第2話

グレンダ率いるグリーンガードのデモ行進から逃げて、アズマとスカーレットはレース場の反対側にある広場に来ていた。

人通りも多くなく、少し静まり返っている。

喧騒と騒音から耳を休めるには、丁度いい避難地だ。



「………あの、スカーレットさん」

「何?」



ふう、と座って息を整えているスカーレットを見つめるアズマの顔には、疑問符が浮かんでいる。



「あの人達………グリーンガードの言う通り、競馬が無くなったら、馬達は幸せになれるんですか?」

「どうしたのよ、いきなり」

「いや………なんか、疑問に思っちゃって」



アズマが疑問に思うのは、日本人として見れば当然と言える。

元々、アズマを含めた日本人の多くは、ギャンブルにいい感情を持っていない。

それに加えて競馬という、動物を賭け事の対象にしているとなれば、なおの事。


グリーンガードが無茶苦茶な主張を投げてくる過激な団体というのは理解しているが、彼等の主張も正しいのでは?と思ってしまう。



「結論から言うと………それは無いわね」

「無い、ですか?」

「ええ、絶対に無いわ」



そして、スカーレットは言いたい事はハッキリ言うアメリカ人マインドを持っているが故に、ズバッと結論を出した。



「考えてもみなさいよ、競馬が生まれたのはずっと昔、そこから今の今まで競馬は存在する物として社会は回ってきたのよ」



元々、馬の速さを競う事自体は昔から各地で見られていた。

それが近代競馬として確立し始めたのが、16世紀のイギリス。

そこから紆余曲折あって日本を初めとする世界各地に広まった………と、されている。



「今競走馬がこうして生きていられるのは、ある意味では競馬のお陰なの、社会のシステムとして組み込まれている訳だからね」

「はい」

「で………それが無くなったら?」

「………あっ!」



そこで、アズマは気付いた。


競馬が無くなると、今の今まで競馬で速く走る為に存在してきた競走馬達は、その存在意義を失う。

今の人類文明も、かつてのように馬が中心にいた時代はとっくの昔に終わっている。


そうなれば、行き場を無くした競走馬達の辿る末路は………。


確かに、引退した競走馬を積極的に助ける運動もあるが、それでさえ全てを救うにはまだまだ力不足だ。



「全員が全員そうなるとは言わないけど、逆に皆が助かる訳でもないの………無闇な革命は、かえって破壊を呼ぶだけなのよ」

「なるほど………」



某有名ロボットアニメの登場人物風に言うと、たしかに競馬には悪いイメージもあるが、そのシステムに守られているサラブレッドもまた何頭もいるのだ。

それを破壊して、罪なきサラブレッド達を不幸にするなど、自然保護が聞いて呆れる。


グリーンガードええかっこしいのパフォーマンスの為に命が失われるなど、人として許してはいけないのだ。



「………なるほど、聡明なお嬢さんだ」

「っ?!」



そんな、アズマとスカーレットの会話に、割って入る者が一人。

声が聞こえたのは、二人の座っているベンチの、すぐ後ろだ。



「いや、安心してくれ、私はあの連中の仲間ではないよ」



そこに立っていたのは、妙齢の、スーツ姿の男性。


よく言われる「イケオジ」とは、こういう人物の事を言うのだろう。

背はスラリと高く、年齢を感じさせるシワこそあるが、腰は少しも曲がっていない。


アジア人的特徴を持っているのだが顔の堀りは深く、髭を蓄えた姿はどこぞの復讐鬼を思わせる程鋭く、そして美しい。

そして胸には、青い薔薇のブローチが輝いていた。



「私もね、競馬に関わる人間だから解るんだ、競馬が存在しているからこそ、人々から愛され、生きているサラブレッド達もいる事を」



そして、彼の言葉が本当なら、彼は競馬の………おそらく、今回の覇王賞に何かしらの関わりがある人間だ。

レース場の偉い人だろうか?と、アズマはなんとなく予想した。



「………それでもね、競馬の汚い部分、影の側面を無視していい理由にはならないんだ」



だからこそ、その言葉には重みを感じた。

競馬に関わる人間だからこそ見てきた、その影の部分を。



「影………」

「たしかにサラブレッド達は皆優秀で格好はいい、だがそれは、生物の営みを歪めた結果でもある」



それはサラブレッドという言葉が、馬の種類の名前と同時に「良血を引くエリート」を意味するようになった所以。

より強い競走馬を作る為、好成績を残したサラブレッド同士を掛け合わせ、子供を作る。

同時に、強い馬を持つ者は、その馬交配させる権利をオークションに賭けたりする


当たり前のように行われているそれであるが、よくよく考えれば、それは自然にあるべき生物の営みを歪めている事になる。


………以前、スカーレット達が旅の途中立ち寄った中華料理店で読んだ古い漫画に、怪獣で怪獣牧場を作り、似たような事をやっている宇宙人がいた。

最終的に怪獣牧場は壊滅し、宇宙人を倒したヒーローに「命の営みを歪めた怪獣牧場など、いずれ滅びる運命だった」と吐き捨てられていた。

競走馬は怪獣=侵略の為の兵器でこそないが、生命の営みを歪めているという点では、やってる事は大差ないだろう。



「走る事にしたってそうだ、今でこそ技術や倫理の発展でそういう事は減ったが、限界まで走らされて死ぬ馬もいる………」



レースに勝つ。

その為に馬を鍛え、強くし、走らせる。

その事に拘りすぎた結果、身体の限界まで走らされた末に、引退後に足を悪くする馬も珍しくない。

走る事によって身体の機能の一部を動かしている馬にとって、足を悪くするというのは場合によっては死に直結する。


名だたる名馬達も、その晩年の多くは予後不良であり、酷い時にはレース中に骨折するという事もある。


男の言う通り、技術や倫理観が進んだ事でそうした事案は減ったが、それでも身体を壊す馬は少なくない。



「グリーンガードの主張は過激だが………が、その全てが間違っている訳ではない」



グレンダや、グリーンガードの言うように、今すぐ競馬を廃止しろと言うのは言う間でもなく暴論だ。


だが、馬を人間の都合………しかも賭け事や金儲けの為に好き勝手に使うという行為は、決して誉められた事ではない。

そこに馬への想いや愛情がいくらあろうと、グリーンガードの言うように「人間は愚か」と吐き捨てられるのも、仕方がない。



「たしかに、今さら競馬を無くす事はできない………けれども、そういった負の部分を許していい理由にはならないし、無くせないからこそ、忘れてはいけないんだよ」



アズマにもスカーレットにも、返す言葉もなかった。

特にスカーレットは、さっきまでサラブレッド達を一攫千金の為の手段としてしか見ていなかった事を、深く恥じた。



「………っと!す、すまない、喋りすぎてしまった」



と、ここで男は、今自分が結構恥ずかしい事をしている事に気付く。


言っている事の深みや正しさはさておき、見ず知らずの相手に説教じみた事を言い出すなど、どう見ても不審者かめんどくさいおじさんだ。


スカーレットとアズマが真面目に話を聞いてくれたから良かったが、下手をすれば通報されかねない事案である。



「おじさんの独り言に付き合わせてしまってごめんね、それじゃ………」

「あっ………」



男は申し訳なさそうに頭を下げると、その場を去っていった。

そして、彼を迎えにきたのであろう黒塗りの高級車に乗ると、何処かへと去っていった。



「………なんか、説得力あったわね、あのおじさん」

「うん………」



取り残されたアズマとスカーレットは、よくよく考えれば知らないおじさんに説教されたんだよな………と思いつつも、その異様な説得力を感じていた。

すると、スカーレットがある物に気付く。



「アズマ君」

「何ですか?」

「これ………」



先程まで男が立っていた場所。

そこに、何か四角いモニュメントのような物が立っていた。



「何かの記念碑かしら?」



競馬場という事もあり、競馬関係の何かを称える記念碑では?と考えるスカーレット。



「………違う」

「えっ?」

「これ、お墓です、ほら」



アズマの指差す先には、煙の上がる線香と、供えられたリンゴ。

そして表面に掘られた「黒き優駿ブーケトス、ここに眠る」という文字。


そう、これは記念碑ではない。

墓だ。

それも、競走馬の。



「………あの人が供えたのかな、これ」



夏風に吹かれ、線香の煙が揺れていた。

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