汝は預言者なりや?⑨


「……というわけで今回の放送はここまでだ。ストロベリー・アーミーのみんな、最後まで見てくれてありがとな。さて来週もちゃんと見てくれなかったら……死ぬぜ」

――ストロベリーマーセ、第46回定例配信(20X1年)より




 クリスチャン・カフェ(テリア)に足を踏み入れると、店内は礼拝堂を模したつくりになっていた。〈主よ、人の望みの喜びよ〉の音楽が緩徐レントに流れ、天井からは神性の流れる間接照明がのびやかに降り注ぐ。羽海は、店内の雰囲気の素晴らしいことに感動を覚えた。まるで教会を廃してそのままカフェへと作り変えたような空間は、期待を裏切らない荘厳な非俗に仕切られており、流れる時間さえ異なるように感じられた。客席にはすでに数名の先客が寛いでおり、30代の若いアベック、穏やかな老紳士、車椅子に乗った老婆とその隣りでウォークマンで音楽を聞く女子高生などがそれである。


「シェラハさーん! お久しぶりー!」


ヒミコが手を振ったので、羽海は反射的にその方向を目で追った。すると修道服を着た妙齢の女性がカウンターの奥から姿をみせた。瓜実顔のなごやかなその女性はにっこりと素敵な笑顔で微笑み返し、羽海たちにゆっくりと片手を差し向けた。胸にはロザリオ、片ほうの手にはラッセルの銀のドリップポットが握られている。コーヒーの燻る薫りが香油の心地よい匂いと撹拌されて溶けあって、何ともいえない快い香気があたりにみちた。


「おかえりなさいヒミコ。そちらのお嬢さんは、はじめましてかしら?」


シェラハと呼ばれたシスターは流暢な日本語で喋った。羽海はおもわず気後れし、訥々とつとつうべなうしかなくなってしまう。


「シェラハです。どうぞごゆっくりね」


「はい……」


「ヒミコちゃん、できればお店のことを教えてあげてね」


「はい!」


命じられてヒミコは元気よくうなずいた。それをみてシスター・シェラハは陽気な足どりで奥へと戻っていった。


「いちおうこのお店にはルール的なものがあるの」


ふたりのいるカフェの入り口にはタブレットがあって、クリスチャン・カフェのいわゆる黄金律ゴールデン・ルールが彫刻されている。カフェ内で出会ったひとと宗教的な談義をすることは奨励されているが、特定の宗教へと勧誘してはならないこと、また特定の宗派を否定してはならないこと、など。『私は何らかの教義を破壊し妨害するために来たわけではなく、キリスト教徒がより良いキリスト教徒になれるよう、イスラム教徒がより良いイスラム教徒になれるよう、また、ヒンドゥー教徒がよりよいヒンドゥー教徒になれるよう、それぞれが各自の信仰を確かなものとするために来たのです』という聖人(サティヤ・サイ・ババ)の言葉が引用されていた。その隣には撮影時のきまりごとやバッジなどの説明があった。


「バッジって?」


羽海がとりたてて尋ねるのはその点で、既に常連の風であるヒミコがこれを補足した。


「えっと、カフェに来たひとがどんな宗教に入ってるか、分かるようにバッジをつけるの。そうすると、いろいろ話がしやすいでしょ?」


そういってヒミコは店内に視線を向けた。よく見ると若いアベックは「ZX」、年配の紳士は「B」と書かれたバッジを付けている。老女と女子高生のバッジはこの位置からは見えないが、いざ話をするとなれば確認できるだろう。


「たとえばクリスチャンならC、仏教徒ならB、無宗教ならA――さらに分類があって、分派ごとにカトリックはC†C、プロテスタントはC†P、ボゴミル派はC†B――あたしはホーリズムだからC†Hをつけるね」


ヒミコは籠の中からC†Hのバッジを手にとって胸につけた。バッジはたんなる略号だけでなく、それぞれの宗教のシンボルをもあしらってあるようだ。たとえばキリスト教は、イエスの花冠をモチーフにした植物柄の外枠というように。


「もちろん付けたくないなら付けないのも自由だよ」


羽海はさ迷った。


「わたしは無宗教だから……【A】のバッジ? あ、でもたしかうちが浄土真宗で……」


「うーん。『特定宗教に興味なし』の【N】でいいかも? 【A】は『戦闘的無神論者』って意味もあるから、とりわけ拘りのある人以外はつけないみたい」


 そこで羽海は『特定宗教に興味なし』の【N】のバッジを手に取ることにした。ただし、羽海は最近カトリックに改宗することを真剣に考えているのだ。もちろん福音少女に憧れるティーンで本気でクリスチャンになろうとする子なんておかしい。しかし、福音少女そのものとなると話は別だった。世界一有名な福音少女であらすストロベリー・マーセも、世間と教会から受け入れられるため、家族の長年信仰するクエーカーを捨てて伝統的なカトリックへと改宗したというエピソードを持っている(おかげで家族と微妙に折合が悪い)。

 けれどカトリックになると、毎日早朝の祈りを捧げたり、たまの休みには教会へ足を運んだり、聖書の語句を憶えたり、いろいろと守らなければいけないルールや戒律が増えるのではないか……結局のところ羽海にはそこが心配だった。もちろん本気で福音少女をめざすつもりなら、つねに清く正しい生活を送り、スキャンダルには気をつけるなど、いくつかの福音少女らしい心得を守って生活していかなければならないし、その点は守るつもりだった。けれどカトリックに改宗するのは、きっとそれ以上のことだ。

 羽海はこう考えた。カトリックの戒律を入る前にいまいちどよく吟味して、絶対に守れない約束をするくらいなら、むしろ最初からしない方がよいと。”ニャナル”や”ジョカ”のように、世俗の(つまり、宗教的活動と預言行為をとくに関連付けない)福音少女として活躍する道もあるのだから。


「――羽海ちゃん、むずかしい顔してるよ?」


ヒミコにそう按じられ、羽海ははっと我に返った。


「ええ……そんなことないよ」


「先にメニュー決めちゃお!」


ちょうどタイミングよく、ふたりのテーブルにシスター・シェラハがやってきて、ふたつの冷たい水のはいったコップを運んだ。クリスチャン・カフェで「命の水」として通じている施しである。屋外がこの炎天下では、まさに店へ逃げ込んできた者の生命力を回復させるありがたい浄福だった。時もちょうど昼日中、ランチとして羽海は「聖体拝領セット」を注文しようとした。しかし一瞬の沈黙が遮って


「ごめんなさい、そのメニューはクリスチャンの方限定で提供させていただいて……」


シェラハは申し訳無さそうな表情で頭を下げた、こういう場合は断るという本部からの指導になっているのだと告げて。


「あっ、ごめんなさいっ! わたし、そうとは知らずに……そっか、入信してないと提供できないメニューもあるんですね…」


メニュー名に「聖体拝領」と入っているくらいなのだから、クリスチャン以外は注文できないとわかりそうなものなのに……己の迂闊さを羽海は呪った。わざわざシェラハに申し訳なさそうに教理マニュアル上できないという断りを述べさせてしまったことが、懺悔しなければいけない罪深い罪のように感じられた。心の広いシェラハはノンクリスチャンがこのメニューを頼むことを本気で排除したいわけでなく、フランチャイジーはフランチャイズ本部の意向を守らなければならない、ただそれだけのことで、否応なくそのように立場づけられていたのだ。だがそんなときにヒミコが、持ち前の明るく透徹した声でこう言った。


「じゃ、私が聖体拝礼セット2つ注文します。プロテスタント系とはいえクリスチャンなので。資格はあるでしょ?」


羽海はそれで思わずシスターの方をまんじりともせず注視した。シスターは嬉しそうに「それならいいわね」とうけあって、ヒミコの注文した2つ分の聖体拝礼セットを仕上げるためキッチンへ向かっていった。こうしてこの場は都合よく解決されたのである。

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