第165話 夢を叶えたいって、そう語り合ったから
あ、ネクタイ曲がってるじゃん。
よかったー、最後にトイレで確認しておいて。
そこまで気にする必要はないかもしれないけど、一応ね。戸羽ニキ曰く、いっつもスーツを着てる人って話だし、こういう身だしなみはしっかりしておくに越したことはない。
……よし! これでいい。
「……」
他のところも念のためチェックしとかないとな。
鼻毛は……、出てないな。
ひげは……、剃り残し無し。
髪型は……、少し整えて、と。
よしよし。これで最低限、人と会うのに失礼な身だしなみにはなっていないはずだ。
スーツもクリーニングから戻ってきたばかりだし大丈夫。
……というか、サラリーマン辞めたって言うのに何だかんだスーツを着る機会あるな。この前、優梨愛さんの仕事を手伝った時と言い、今回と言い。まあ、いいんだけどさ。
「……大丈夫。緊張する必要はない」
と、鏡に写った自分に言い聞かせはするものの、全く緊張しないと言えば嘘になる。
それはそうだ。
何しろこれから会う人のことを思えば……、う、ちょっと胃が痛くなってきたかも。
「すぅー、はぁー……」
トイレの鏡を前に深呼吸してる姿を誰かに見られたら何て思われるんだろうか……。
「……この程度、何でもない」
そう自分に言い聞かせる。
そうだ。何でもない。
別に数万人の人が見てる中で配信をしてるわけでも、推しの代打でステージに上がってるわけでも、……好きな人に告白するわけでもない。
『掴めるチャンスは掴みなさい』
ナーちゃんの言葉を思い出す。
『自信持っていいわよ。だって、あなたは安芸ナキアの、か、彼氏、なんだから……』
……本当に締まらなかったよなぁ。なんで決め台詞を噛むかなぁ。
ま、ナーちゃんらしいっちゃらしいんだけどさ。
「……ふ」
うん。肩の力が抜けた。
大丈夫。
ナーちゃんも、俺なら大丈夫って言ってくれたし。
だから、きっと大丈夫だ。
「行くかぁ」
気楽に気楽に。気負ったっていいことなんか無いんだから。
特に、こういう面接みたいな時はさ。
「お世話になっております。15時から堂林さんとお約束を頂戴している、はい、あ、はい、そうです。かしこまりました。失礼いたします」
ふー。営業やってた時から思ってたけど、こう、オフィスの受付の電話って無駄にかしこまっちゃうのは何でなんだろう。
まあ、しょうがないか。
なんか受付からしてオシャレだし。って、あ! 今気づいたけど受付にアクリルスタンドが飾ってあるじゃん!
うっわ、戸羽ニキのもある!
ブイクリの運営事務所って感じだなー。
「お待たせしました」
「──ッ!?」
……ビックリしたぁ。
アクスタ眺めてたらいきなり声かけられたよ。いや、逆に俺が緊張感無さ過ぎって話か……?
「東野アズマさん、でよろしいでしょうか?」
「はい。そうです」
「堂林です。こちらにどうぞ」
「失礼します」
一応本名も伝えてあるんだけど、VTuber名義の方で呼んでくれるんだ。
まあ、確かにそうか。用があるのは俺じゃなくて、東野アズマってVTuberだもんな。
それにしてもオシャレだなぁ。なんかいい香りもするし。中はもっと雑然としてるんだろうか? 来客対応用のスペースだから気を使ってるとか?
「こちらです」
「失礼します」
だけど通されたのは会議室。
絵が飾ってあったりするし、椅子とか机とかもスタイリッシュな雰囲気あるけど、それでも間違いなく会議室だ。
……逆に落ち着くな、これ。カフェスペースとかじゃなくてよかったよ。
「改めまして、堂林と申します。戸羽丹フメツ含め、《V-Create》所属のVTuberたちのマネージャーを任されています」
「頂戴いたします。《東野アズマ》として、VTuber活動を行っています」
「名刺、お持ちなんですね」
「この機会にと思い、作成いたしました」
これはガチな話ね?
きっとこういうやりとりあるだろうなぁって思った時に、相手に何も渡すものが無いって言うのはどうなの? って思ったのと、もし仮にブイクリに加入出来なかったとして、名刺を渡しておけば別の仕事に繋がる可能性だってゼロじゃないし。
「そんなに固くならないでください。私まで話しにくくなってしまいます」
「あはは、すみません。こうした場が久しぶりなもので」
「そう言えば東野さんは元々社会人だったんでしたっけ」
「ええ。何なら今、当時のことを思い出してますよ。まあ、その時はこんなに緊張はしなかったですが」
あー、よかったー。
今の冗談にも笑ってくれる話しやすそうな人で。
というか、そうか。この人が戸羽ニキのマネージャーなのか。
スーツをピシッと着て、身だしなみも爽やかな感じで、それでいて落ち着いた雰囲気もあって、優梨愛さんとは別のベクトルで仕事出来そうだなぁって印象だ。
「緊張されますよね、こんな会議室じゃ。オープンスペースで、とも考えたんですが、東野さんがVTuberってことを考えると、それもどうかと思いまして」
おまけに気遣いも出来る、と。
……モテそー。社内の女子社員から人気ありそー。
「お気遣いありがとうございます。やはりそう言ったところは気にされるんですね」
「むしろそう言ったところを一番気にしますよ。声バレなんて冗談っぽく言いますけど、結構シャレにならないですし」
「実際あるんですか? そういうのって」
「まあまあ、そうですね。東野さんもこの業界にいるのであれば、噂ぐらいは耳にしたことはあるんじゃないですか?」
「そうですね。多少は」
なんだったら、ちょいちょいニュースになってるしなぁ。
VTuberがストーカー被害とか。ニュースにならなくても、そんな噂は枚挙にいとまがない。
「そんな業界の闇みたいな話はほどほどにして。東野さんはブイクリでどんな活動がしたいですか?」
……おお、いきなり来たな。
さて、どう答えたものか。
「そうですね。やっぱりリスナーの皆さんに楽しんで貰えるような配信活動がしたいですね。あとは、色んなライバーさんと絡んでみたいですね」
「……ふむ。なるほど」
あ、あれ? なんか違ったか?
当たり障りない回答にし過ぎたか……?
「確かに東野さんのキャリアを考えると、目標になるようなものが無い、……のでしょうか?」
「あー、そうなんでしょうか……?」
「戸羽丹フメツ、安芸ナキアと共に参加した《企画屋》主催の《運命を掴むVたち》に、その《企画屋》と共に行ったクロファイ企画。そしてその後には《レジェンダリーカップ》にも出場して、さらにはこの間のラブコメ企画。個人勢としてやってきたとは思えないような経歴ですね」
「そうやって並べられると確かにそうですね」
こっちとしてはただただ必死だったんだけど、確かに冷静に考えるとやってることヤバいかも。戸羽ニキとの歌ってみたも出したりしてるし。
あ、あれ? 俺って、結構とんでもないことしてた……?
「さて、どうしましょうね? 私はどうあなたをマネージメントしていけばいいのでしょう?」
「ん?」
マネージメント、していく……?
なんだ、その言い方。まるでもう俺がブイクリに所属するのは決定しているような……。
「あ、あの!」
「はい。なんでしょう?」
「今日って、僕は何のために呼ばれたんでしょう?」
「あれ、戸羽丹さんから聞いてないですか? 今後ブイクリ所属のライバーとしてやっていくための方向性の打ち合わせって、伝わっていると思っていたのですが」
「──ッ!? え、聞いてないです」
「…………本当ですか?」
「はい。戸羽ニキ──戸羽丹さんからは、『うちのマネージャーと会って欲しい』とだけ……。あとは、『マネージャーはめちゃくちゃいい人だし、アズマもきっと気に入るよ』と……」
「…………それは失礼をしました」
「いえいえいえ!! 確認しなかった僕も悪いので!! そんなに頭を下げないでください!!」
「いえ、これは連絡を人伝にした私のミスです。申し訳ありませんでした」
ふっか~く、頭を下げる堂林さん。
丁寧な性格に加えて、真っ先に謝ることの出来る誠実さ。マネージャーってよりは、営業向きな気もするなぁって、何を考えてるんだ俺は!
「ちなみに、そうすると、東野さんは今日はどういったつもりでいらっしゃったんですか……?」
「あー、その。……面接のようなものかと思いまして」
「なるほど! だからスーツだったんですか?」
「はい。そうです。ちなみに、昨日髪も切りました」
「……まともですね。すごい」
「普通ですよね!? なんでそんなに関心されるんですか!?」
「いやまあ、東野さんが『普通』と仰ることが、『すごい』と感じるような方々を見てきたのもありまして」
「……ああ」
大変なんだな、VTuberのマネージャーって。
「えっと、すみません。話を戻しますと、僕のブイクリ加入ってほぼほぼ決まってるようなものなんでしょうか?」
「そうですね。あとは最終決裁を残すのみといった段階です。もちろん東野さんの意思を優先しますが、……って話も聞いてないですよね」
「ないですね……。あはは。あ、でも、もちろんブイクリに所属させてもらえるなら喜んでさせてもらいたいです。やっぱり大手事務所って魅力的ですし」
「そう言っていただけてよかったです。では、今後ともよろしくお願いいたします」
「はい。お願いします」
あ、あれ? これでいいの?
こんな簡単にブイクリに所属出来ちゃうの……?
あっれぇ? マジで? 俺の緊張感は何だったんだ……。
「ちなみにブイクリ加入に当たってひとつご相談がありまして」
「はい。何でしょう?」
「配信で使っているVTuberのアバターは新しくしませんか?」
「え」
「心機一転と言いますか。せっかくですし。今使っているアバターの要素は残しつつ、有名なイラストレーターにデザインをお願いしようかと思っているのですが……」
「それは……」
『アズマさんのも見せちゃおうかな』
今の俺は、東野アズマは……、
『待ちませ~ん。はい、ドーン!!』
カレンちゃんが描いてくれたもので、デビュー時代からずっと俺を見てくれてた人が描いてくれたもので、
『わたしをブイクリ所属VTuberのママにしてください』
いつかチャンスを掴んで、夢を叶えられたらって、そう語り合った仲間がくれたものだから──ッ。
「候補としては何名か考えてまして、東野さんのご意見も伺えればと──」
「すみません。それはイヤです」
──簡単に変えるなんて出来るものじゃない。
「モデルを新しくするのはいいですが、新しいイラストレーターに頼むのはイヤです。俺の、東野アズマのデザインは、《アマリリス・カレン》のままで行きたいです」
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