第104話 修羅場のその後 ~合鍵を持たない女たち~

 深夜2時。帰宅した家の中、安芸ナキアは一人きりで今日一日を思い返し、自己嫌悪に追い散っていた。

 ライブはよかった。本当によかった。多くの知り合いがいるV-Createという箱の一大イベントに自分が関われたのも、彼ら彼女らの晴れ舞台を目に出来たのも、本当によかった。

 よくなかったのはその後だ。

 正直、関係者席で東野アズマの声が聞こえた時は胸が躍った。もしかしたら会場にいるかもしれないという期待もあったから、本当にいたとわかった時は思っていた以上に嬉しくなってしまった。

 ただ、女に囲まれているとは思わなかったけど……。


「あ~、う~……。リアルハーレムラブコメなんて聞いてないぃ……。や~だ~。私が勝てるわけないっていうか、何でズマっちと会えたのに寝取られ二次創作の暴露なんてしてんのよ~。他に言うことあったでしょ~……? あ~、やだ~、死にたい~。うあ~……」


 友人や同業者、そしてファンからは強気だの無敵だの言われようが、所詮中身はこんなものだ。

 強気な言動も無敵な態度も、対人関係の経験値の低さと、社会性のなさと、長年に渡る拗らせの裏返しでしかない。

 故にこの女、チョロいのである。

 話を聞いてくれて、ツッコミという反応まで逐一してくれて、そして腫れ物扱いせずに関わってくれる。そんな異性は東野アズマが初めてなのである。

 だからこそ、どうしたらいいのかわからない。

 異性に対してこんな風になったことすら初めての拗らせ女が、いきなりリアルハーレムラブコメにぶち込まれたのだ。困惑も混乱も通り越して、困難でしかない。

 ナキア自身が全く勝ち筋を見出していないし、それ以前に何をどうしたらいいのかすらわかっていない。


「だって合鍵よ、合鍵。何よそれ。そんなの持ってるってことは付き合ってるってことじゃないの……?」


 あの後、アズマは違うと否定していたけど、それでも……。じゃあ、何で持っているの? って話になるではないか。

 わからない。あまりにもこの手の経験が少なすぎて何もわからない。

 そしてそんな時ナキアが決まって頼るのは、唯一と言っていい親友しかいない。


『な~に~? 何時だと思ってるの~?』


「まだ3時じゃない! なんで寝てるのよ」


『普通この時間は寝てるよ~』


「ミチェ! あんたVTuberなんだからもっと社会不適合者になりなさいよ!」


『も~、わけわかんないよ~。なに~?』


 ミチエーリの眠そうな声を聞きながら、親友だと思ってる相手にすらこんな言動しか出来ないのだから、異性相手にうまくやれるわけないと、改めて自分のダメさ加減を痛感する。

 なんなのだろうか、安芸ナキアという女は……。もう少し器用に生きられないものかと、悩みは深まるばかりだ。


「……今日、ズマっちと会ったわ」


『何それ詳しく』


「急に目が覚めたわね」


『そんなこといいから早く。え、会ったって何? リアルで会ったの?』


「ブイクリのライブがあったじゃない。あそこで会ったわ」


『おーッ!!』


「別の女がいたわ。2人も」


『おー?』


「ふっ、修羅場だったわ」


『おー……』


「まあでも? 幾多の締め切りを乗り越えた私には、なんてことはない修羅場だったわね」


 だからいちいちそうやってカッコつけるなと、自分自身でツッコミたくなる。

 もっと素直になれと鏡向かって唱え続けた方がいいのではないかと、本気で頭を抱えたくなる。


『……本音は?』


「……」


『……』


「……」


『……』


「……」


『……ナキア?』


「ミチェ、私どうしよう……」


『どうしようって……』


「だってだって! 私が一番仲いいと思ってたのよ!? あとは告白待ちってイキってたのよ!? なのに何で!? 予定と全然違うじゃない!!」


『ナキア。それは予定じゃなくて妄想って言わない?』


「う」


『ちなみに予定ではどんな感じだったの? 詳しく』


「詳しくってなによ……」


『ナキアがしてた妄想を語ればいいんだよ。いつもしてるじゃん』


「それは、ほら、あるじゃない? お互い姿はわからないけど、すれ違った時の気配とか、誰かと話してる時の声を聞いて気づいて、『ずっと会いたいと思ってた。好きだ』みたいな」


『………………』


「無言はやめて頂戴」


『中学生の方がマシな妄想してそう』


「ぐ……っ。で、でも! 声を聞いて気づいたわよ!!」


『誰が?』


「……私が」


『アズマさんに気づかれてないじゃん』


「ミチェ~……。私どうすればいいのよ~」


『あー、はいはい。泣かない泣かない。そんなに好きなら自分から告白すればいいじゃん』


「……無理よ、そんなの」


『ナキアってヘタレる時はホントにヘタレだよね』


「うるさいわね。しょうがないでしょ、こんなの経験したことないんだから……」


『まあ、普通はそんな修羅場の経験なんかないんだけど、ナキアはそれ以前の問題だよね』


「何やってたのよ、過去の私は~……!!」


『二次元に浸ってたんでしょ?』


「そうよ。そうなんだけど。あ~……」


『はぁ。わかったわかった。協力するから』


「ミチェ~~~~~~!!!!!!」


『泣くな!』


「持つべきものは親友よね~~~~~~!!!!!!」


『男関係でそう言われると微妙。あと、はっきり言っておくけど、こんなチャンスを逃したら、もう一生ナキアに男運は回ってこないから頑張ろうね!』


「ミチェ!?」


『コラボとかしまくって、まずは男女関係を意識させるのがいいのかな~? アズマさんとカップルチャンネルでも設立する?』


「カ、カップルチャンネルなんて、そんな……。恥ずかしいじゃない」


『普段あれだけ性癖を暴露してる女のセリフじゃないって。今度から恋愛クソ雑魚VTuberって名乗ったら?』


「……うるさいわね」


『まあ、そこがナキアの可愛いところなんだけど』



「まさか本当にこの事業計画を動かすことになるなんてな」


 同時刻。帰宅してサッとシャワーを浴びた優梨愛は、すぐさまパソコンに向かっていた。

 VTuberの配信を見るため、ではない。パソコンの画面には誰がどう見ても仕事の物だとわかる資料が映し出されている。

 そう、この女は仕事をしているのである──!!

 アズマが見たらドン引く光景だが、優梨愛はお構いなしにキーボードへと指を走らせる。

 仕事とVTuber活動を同時に行っていたアズマも異常だが、優梨愛のタフさもまた人並外れている。

 特に今は、仕事へのモチベーションが過去最高のものとなっている。

 疲れ知らずの体と脳みそは、尋常じゃないパフォーマンスを発揮する。

 それもこれもアズマがいるからだ。今日のライブ後に宣言した通り、アズマをステージに立たせると言う夢を見つけた今なら、いくらだって頑張れる。


「最初にあいつを見出したのは私なんだ。奪われてたまるか」


 ……いや、この場合はモチベーションの高さではなく、執念の深さかもしれないが。

 しかし、優梨愛としても予想外だった。

 アズマの配信を見ているから、安芸ナキアやアマリリス・カレンの存在は知っていた。だが、所詮は配信者としての付き合いだと高を括っていた。

 それがどうだ。今日実際に会ってみれば、ひとりはとんでもない美人で、ひとりはとてつもない美少女だった。おまけに2人とも胸が自分より大きかった……。

 正直焦った。何しろ優梨愛は、アズマに仕事でくたびれ切った姿を見せてしまっているのだ。美しさもきれいさも可愛さの欠片もない、余りにも現実的な姿を見られているのだ。

 それでどうやってあんな2人に太刀打ちしろと言うのか。


「……化粧水。高いのに変えるか」


 プチプラなんて言って喜んでいる場合ではない。デパコスだ。デパコスにするしかない。

 まずは美容には金をかけるのだ。それがひとつの自信につながる。

 よく筋トレは裏切らないと男性社員が言っているが、それは筋トレにかけた時間がちゃんと筋肉に反映されるからだ。自分の努力に筋肉が応えてくれるからだ。

 では、肌はどうか。

 ちゃんと金をかければ肌は応えてくれるのか。もちろん、応えてくれる。素材で勝てないのならば、努力と投資で勝つしかないのだ。


「そして私も合鍵を手に入れる。というか、私があいつに合鍵を渡せば対抗したことにならないか……?」


 なんとなく呟いた言葉へ即座に、意味が分からないな、と思い返す。どれだけパフォーマンス高く仕事をしていようが、所詮は深夜というわけか。

 合鍵を持っている。それ自体に思うところが無いと言えば嘘だが、それ以上に、アズマが合鍵を渡すほどに心を許していることに羨ましさを感じる。

 家に呼ぼうが、職場や酒の席でアピールをしようが、優しくはしてくれるもののなびく素振りを見せなかったあのアズマが、まさかそれほどに心許すとは……。

 しかし、今優梨愛が作っている事業計画が上手く進めば、きっと今以上に自分とアズマの距離も近くなるに違いない。


「よし。あとは明日見直して、社長承認を取ればいいだけか。決まったも当然だな」


 優梨愛が仕上げた事業計画書には『VTuber事務所運営による、自社システムの拡販』と書かれており、何人かのVTuberのアイコンイラストが並ぶ中には、当然ながら東野アズマのものもあった。


 翌日、完璧な理論武装と有り余る熱意により、とある事業計画の承認を、社長は優梨愛に取らされることになる。

 ……詰められ過ぎた社長が胃痛を抱えることになった、と社内でまことしやかに囁かれるようになるのは、また別の話だ。

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