第91話 え、あれ? あのクソガキムーブかましてた子はどこに行ったの……?

「カレンちゃん……?」


 目の前に立たれても未だに信じられない。

 どうしてうちにカレンちゃんが……。


「やっぱり、体調悪かったんですね」


「なんで……?」


「今日の配信始まってからずっとおかしいなって思ってたんです。なんか声が変だし、頻繁にトイレに行って戻ってくるの遅いし。絶対に無理してるんだって思いました」


「どうして……?」


「それぐらいわかります! わたしはアズマさんの最古参リスナーなんですよ!? マイクを変えたって体調悪い時の声ぐらいわかります!!」


「や、そっちじゃなくて」


 ああ、くそ。

 体調悪いせいで喋るのすらうまく出来ない。


「なんですか?」


「なんでうちを知ってるの……?」


「──あ」


「教えたことないよね……?」


「えっとぉ……」


「まさかストーカー──、」


「今はそんなことはどうでもいいんです!! 顔色悪いんですから、早く寝てください!」


 ……寝ようとしたところに君が来たんだけどね?


「コンビニで色々買ってきたんです。冷蔵庫はどこですか?」


「入って右って、……え? 上がるの?」


「なんですか? ダメですか? まさかそんな顔色をした人を放っておけとでも言うんですか!?」


「ああ、いや、まあ。……はい」


 いや、……え?

 これ俺がおかしいの……?

 ああ、もう。なんかよくわかんなくなってきた。


「ちょっとジッとしててください」


「何を……? あ」


 ピタッとおでこに柔らかい感触が。


「熱だってあるじゃないですか。今日が大事な配信の日だって言うのはわかりますけど、無理はしちゃダメです」


 額に手を当てるために近づいた距離感。

 見下ろせばすぐそこにはこちらを見上げる視線がある。

 本当に心配そうに見つめてくるものだから、ふっと、全身の力が抜けてしまった。


「あ──」


「……ごめん」


「特別です。体調悪い時ぐらい、いいですよ」


「ありがとう」


「ん……っ。み、耳元で囁かないでくださいよぉ。ASMRですか?」


「今度、配信でやってみようかな」


「とにかく、ベッドまで移動しましょう。歩けますか?」


「うん。大丈夫」


 よろめいた体を正面から抱きとめてくれたカレンちゃんに支えられながら廊下を歩く。

 狭いワンルームの部屋がこんなにも広く感じられるなんて……。

 カレンちゃんの言う通り、熱が上がってきたせいか、なんか体も火照ってきたし、普通にしんどいしだるい……。

 なんか、なんだろう。

 めちゃくちゃボーっとしてきた。


「なんですか、この部屋。どんな生活してたんですか」


「あー、うん。……ごめん」


「片づけはわたしがやりますから。アズマさんは早く寝てください」


「……うん」


「何か食べれますか? ゼリーとか買ってきましたけど」


「ごめん、無理」


「じゃあ、薬だけでも飲んでください。お水もって、ああもう。ストロー入れてくださいって言ったのに……。ごめんなさい。ペットボトルで飲めますか?」


「あ、うん。大丈夫」


「ゆっくりでいいですよ。ちょっとだけ座ってください。しんどかったら、わたしに寄りかかってください」


「……ごめん」


「謝らないでください。わたしが心配で来ちゃったんですから。わたしがしたくてしてるんです」


「……うん」


「ちょっとずつでいいですよ。零さないように。……飲めましたか?」


「……うん」


「よかったです。じゃあ、そのまま寝てください」


「あ」


「なんですか?」


「……ありがとう」


「はい。おやすみなさい」


 そんな優しい声を聞きながら目を閉じれば、何かを考える暇すらなく意識が沈んでいく。

 暗く、優しく、落ち着く場所へと沈んでいく。


…………………………………………………

……………………………………

…………………………

………………

……


「え、夢──ッ!?」


 さすがに夢だよな!?

 カレンちゃんがうちに来るなんてそんなことあるわけ──ッ!?


「ん、……すう。ぅん……?」


 そんなことあったんですが──ッ!?!?!?!?!?!?

 しかも何してんのこの子!!

 なんで俺の横で寝てんの!? え、意味わかんないんだけど!?!?


「んん……?」


 いやいやいや。待って、待とう。いいか、こういう時はいったん冷静になるのが肝心だ。

 そう、俺はクールな男。こんなことじゃ動じない冷静さを持つ男。

 今だって別に慌ててるわけじゃない。ただ、寝起き。そう、寝起きだったからまだ頭が働いてないだけで、何も、何一つ慌ててるわけじゃない。

 だから、いいか、俺。

 まずは深呼吸だ。ひとつ大きく深呼吸をして──ッ!?

 いつもの俺の部屋じゃない匂いがするんだけど──ッ!?

 嗅いだことない!! 

 こんないい匂い、この部屋で嗅いだことないんだけど──ッ!?


「すぅ、……くぅ」


 いや、待て。いいか、一からやり直しだ。

 そう、俺はクールな男。こんなことじゃ動じない冷静さを持つ男。

 オーケー? いいな? 俺は落ち着いてる。何も動じちゃいない。

 今、深呼吸をしちゃいけないこともちゃんとわかってる。

 つまり、状況を把握できてる。要するに冷静だ。

 よしよしよし、冴えてるぞ。熱があったとは思えないほどに天才的だ。

 だから落ち着いて、冷静に、クレバーに状況に対応しよう。


「……ん」


 ──動かないでくれませんかねぇッ!!!!!!

 意識がはっきりした分、何て言うかこう、色んな感覚も感じ取れるようになってしまい、いやもう何て言うか、非っ常に柔らかいんですよ──ッ!!!!!!!

 そして今は寝起き。

 ……まずいね? とてもまずいね。何がまずいとは言わないけど、寝起きにこの柔らかさはまずいね。

 なぜって、俺の体のとある部分は逆にカチコチだからだよ──ッ!!!!

 アニメやらマンガやらでこういうシーンは散々見てきたし、そのたびに慌てふためく主人公をバカにしたりもしたけど、実際無理じゃない?

 この状況にスマートに対応するって無理でしょ。

 相手がいるってわかってる場合なら、それ相応に振る舞えるけど、こんな寝起きドッキリみたいなシチュエーションは、……どうしようもないって。


「……んぅ」


 しかしまあ、美少女ってのはすごいな。寝てても美少女じゃん。

 寝てる時ぐらいもうちょっとブサイクでもよくない?

 肌きれいだし、髪サラサラだし、いい匂いするし。

 体調崩して寝込んだはずが、美少女の寝顔を見れるなんて、どんなラッキーだよ。


「そう言えば。……体調戻ってる」


 まだまだ全快元気!! ってわけにはいかないけど、それでもここ最近では随分とマシだ。

 変な気持ち悪さもないし、頭痛がするわけでもないし、だるさとかもないし。

 昨日めちゃくちゃ寝たおかげか。


「ふぁ……」


 とは言え、まだ眠い。というか、また眠気が来た。

 寝起きびっくりしたものの、また一周して眠くなってきた。

 ……自分、二度寝いいですか?

 横でカレンちゃんが寝てますが、もう一度寝てもいいですか?

 いいっすよね? カレンちゃんもまだ起きてないし、このままもう一回寝てもいいですよね?

 ていうか、寝ます。眠いので。


「……おやすみ」


 そうして再び微睡の中に落ちていく俺の耳に、微かに誰かが「おやすみなさい」と言う声が聞こえた気がする。

 昨夜眠りに落ちるときに聞いたのと同じ、優しい声。

 夢か現実か、どちらかわからぬままに意識は再び沈んでいく。

 側にある暖かさと温もり。夢心地に癒される、甘くいい匂い。その柔らかさが抱きしめてくれているかのような落ち着きを感じながら、俺の意識はゆっくりと途切れていく。


…………………………………………………

……………………………………

…………………………

………………

……


 ん?

 あれ……?

 そうして再び微睡から浮かび上がってくれば、目を閉じた時に感じた暖かさも温もりもどこかへと消えていた。


「やっぱり夢かッ!?」


 ガバッと起き上がれがり確認するも、やはり俺はひとりベッドの上にいた。

 ということは……?

 え、マジで夢? 俺、体調悪すぎてカレンちゃんに看病される夢を見てたの?

 しんどい時ぐらい美少女に労わってもらいたいという欲求が出てしまったの……?


「あ、起きましたか?」


「……夢じゃなかった」


「はい?」


 そうして小首を傾げるカレンちゃんは不思議そうな顔でこちらを見る。

 おお、すげぇ。俺の部屋にエプロン姿の美少女がいる。

 何これ奇跡?


「って、エプロン……?」


「あ、ちょっとキッチン借りてます。ダメですよ。忙しくてもちゃんと食べないと。空っぽだったじゃないですか」


「え、はい。そう、ですね」


 いつか優梨愛さんに言ったようなことをそっくりそのまま返されてしまった。


「寝起きだからボーっとしてるんですか?」


「いや、まあ、そうかもしれない、です」


「なんですか、その反応。おかしいですね」


 そうしてクスクスと笑うカレンちゃんを見ていると、なんだかわからないけど、嬉しいやら恥ずかしいやら、でとにかく照れ臭くなってしまう。


「体調は大丈夫ですか?」


「うん。大丈夫。だいぶすっきりした」


「よかったです。それじゃあ、顔洗ってきてください。ごはん、作ってるので食べてください」


 目が覚めたら美少女がにこやかに接してくれる。

 どんな薬だって及ばない効能が、そこにはある。

 カレンちゃんの笑顔は、そのうち万病に効くようになる。絶対。


「それで、ごはんを食べたら聞かせてくださいね。なんでそんな無茶をしたのか」


「……はい」


 嘘。

 今のニッコリ笑いは怖かった。

 俺、この後カレンちゃんに怒られるんだ。絶対。

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