第80話 みんなのため、俺のため、──そして推しのために

【ということで、キービジュアルが発表されたけど、ムエナちゃんとしてはどうだった?】


【もちろん! 頑張らなきゃって思ったよ!! アタシも出るよーってツイートしたら、みんながたくさん『頑張れ!』ってリプしてくれたし、一緒に楽しみたいもんね!!】


 ふむ。やはり今日もムエたんは可愛い。

 赤のインナーカラーが入った黒髪が楽し気に揺れている。ムエたんらしくて実に可愛い。

 その元気な声を聞けば、いつだって頑張ろうって気持ちが湧いてくる。そう、ムエたんは可愛いのだ。


『ふーん、これが東野ちゃんの推しかー。ねぇねぇ、鳳仙花ムエナ(ホウセンカ ムエナ)さんってどんな人なの? 円那見たことないや』


『歌がむっちゃ上手いんは知っとるんやけど、自分もあんまり配信を見たことあらへんな』


「2人ともそれ本気で言ってます? ムエたんは俺の社畜生活の癒しだったんですよ。いつだって明るく元気に配信をしてくれて、他の配信者がやるようなキレ芸とか台パンみたいなこともしないですし、配信中に突然ヘラりだすこともないので、疲れ切った社畜がメンタルに負担をかけずに見るのにめちゃくちゃいいんですよ。つまり、ムエたんは可愛いんです」


『今のは推し語りなの……? 円那は社会人の闇を見た気分なんだけど……』


『ラナねえさん、そこは触れちゃダメなとこだよ……』


『深夜配信が多いイメージがある。たまに夜更かししてると配信してて、ちょっとだけ見たことある』


「レオンハルト。まさしくそこです! ムエたんが社畜に優しいのは配信の空気感だけじゃないんです。23時スタートの配信とかも多いんですが、それってつまり社畜のゴールデンタイムに声が聞けるってことなんですよ。疲れて帰って来て、少しでも癒されたくて贅沢にも湯船に浸かってる時なんかに、ムエたんの配信を見てるとストレスが消し飛んでいくんです!」


『アカンな、これ。闇を回避する方法があらへん』


『東野ちゃんの推しトークって必ず社畜エピソードがセットになるの? 怖すぎない?』


『アズマさんって、……本当に大変だったんですね』


『でも、今は社畜じゃないんでしょ?』


「その通り! だからこそ、よりムエたんの配信を楽しむことが出来るんです!! 前は配信中に寝落ちするのが常でしたが、今はちゃんと追えますからね! いやぁ、いい生活を送れるようになったなぁ」


 ビバ! 脱社畜生活!!

 って、喜べるようになったんだけどなぁ。

 もしかしたらまたそんな生活に戻ってしまうのかもしれない……。

 ……はぁ、こんなことで悩みたくなかったなぁ。


【今日は色々話してもいいって言われてるから、裏話的なことも聞けるかもよ】


【え、本当に!?】


【本当本当。ていうか、今日はそのための配信と言っても過言じゃないかも。この間さ、PVが公開されたじゃん。実はあれ、予定してたものじゃないって知ってる?】


【うっそ!? そうなの!? アタシ『やっとみんなに言えるー』ってめちゃくちゃ喜んじゃったよ。何々? 裏話って何ー? メッ君教えてよー】


【それじゃあ、早速登場してもらおうかな。予定外のPVを公開することになった元凶に】


【え、あれ、ゲスト? 今日ゲストいるの?】


【最初にいるって言ったよね】


【うっそ!? 見てなかったかもー。あははー】


 うむ。そんなうっかりをするムエたんも可愛い。声を聞いてたらちょっとボイスも聞きたくなってきたな。あとで聞くか。


『東野ちゃんってこういう感じの子が好きなんだ。無邪気系? っていうか、陽キャ系?』


『つまり、自分と同系統ってことやな!』


「は?」


『すんませんッ!! 調子乗りましたッ!!』


「言葉には気を付けてください。危うく手が出るとこでしたよ」


『ガチだね、これは。カレリンどう思う?』


『今度のASMRは癒しとかじゃなくて、こっち路線でいこうかなぁ……』


『……カレンさんもガチだ』


『大変だねぇ、色々と。おっと、そんなことを言った矢先に目下一番の悩みの種が。いやぁ、本当にカレリンは大変だねぇ』


 ……ラナさんの含みある言葉はとりあえずスルーで。

 そこに触れると色々あれなので。


【うっそ!? 安芸ナキア先生!? 本物!?】


【いや、だから事前に伝えてたよね。今日ゲストで来るよって】


【全っ然知らなかったよ!? わー、すごい!! ファンです!! キービジュ最高でした!! ありがとうございます!!】


【フメツ。私、この娘苦手だわ】


【初対面なのに!? なんで!?】


【テンションがクるのよ。特に締め切り前の死にそうな時に浴びるテンションじゃないわ】


【え、キービジュ公開したのにまだあるの!? 大丈夫? 働き過ぎじゃない?】


【しょうがないじゃない。あんたたちの晴れ舞台なんだから】


【ナキア先生、それ以上は口チャックで】


【あー、そうね。今見てるリスナーたち。ライブを楽しみにしてなさい】


 え、待って。

 今のナーちゃんと戸羽ニキのやりとりって、え、どういうこと!?


『まだ何かあるってこと!? え、何!? 何があるの!? 知ーりーたーいーッ!!』


 そんなカレンちゃんの言葉と同じテンションのコメントがコメント欄を埋め尽くしていく。


【本当、あんた達のおかげで過去一の修羅場を経験してるわ】


【本来ならキービジュもPVと同じタイミングで公開する予定だったって聞いてますよ】


【ええ、そうね。私もそのつもりで提出したわ。ただその時に、締め切り破っていいならもう三段ぐらいクオリティ上げられるわって提案したら、ブイクリ側が『お願いします』って言ってきたのよね。だからさらに追い込んだわ】


【え……。そうなの!? 僕、普通に『間に合わなかった』ってしか聞いてないって、いや『本当』って、マネージャーさん!? 今チャット送ってこないで!?】


【あら、フメツのマネージャーも随分盛り上げ上手なのね】


【いいんだけど! いいんだけどさ!! これ、僕がチャット見なかったらどうするつもりだったの!?】


【おかげで連続徹夜記録を更新する羽目になったわ】


【ナキア先生ってストイックなんだ。すっごい!】


【冗談。よっぽどのことがなければ、こんな無茶しないわよ】


【え、だけど……】


【だから言ってるでしょ。あんたたちの晴れ舞台なのよ? 私にも少しは盛り上げさせて頂戴】


『カッコいいッ!! 聞きました、今の!! あーもうッ、本ッ当にナキア先生ってカッコいいなぁッ!!!! そう思いません!?』


『今のはさすがの自分も痺れたわ』


『普段は変な人なのにねー』


『でも、あのキービジュアルはすごかったよ。僕、今スマホの待ち受けにしてる。戸羽丹フメツがカッコいいし』


【私がここまでしてるんだから、あんた達も中途半端な真似したら承知しないわよ?】


【大丈夫! アタシたちだって全力で頑張るために準備してるもんね!!】


【ナキア先生の期待を裏切ることはしませんよ】


【あら、そう。それじゃあライブを楽しみにしてるわね。私はもう眠いからそろそろお暇するわ】


【はい。ちょっとはゆっくり寝れそうですか?】


【ええ、少しは】


【先生ー! ありがとうございましたッ!!】


『ナキア先生の話を聞いたら、ますますライブに行きたくなりました!!』


『チケットってどうしたら取れるんやろな』


『とにかく応募。あとは、お参り?』


『今度近所の神社に行ってくる』


「レオンハルトがいつになくガチなんですが!? クロファイの時ですらそこまでしてませんでしたよね!?」


『クロファイは、自分の実力で勝つものだから』


『なんやねん、そのカッコいいセリフは!! 今度、自分も使わせてもらうわ』


『そしたら円那がパクリ乙ってコメントしにいってあげる』


『余計なことせんといてくれへんかな!?』


『こういう時ってどんな神様にお願いすればいいのか知ってる? 縁結びかなぁ』


『カレリンも本気じゃん』


『開運お守りとか買ったらええんちゃう?』


『有名なとこ調べとこ』


『カレンさん、僕にも教えて』


 盛り上がるみんなの声を聞きつつ、ナーちゃんにチャットを打つ。

『カッコよかったです』と打ったチャットに、即レスで『まだ満足するんじゃないわよ』と返って来る辺り、俺の中でのナーちゃんの印象が変わりそうになってる。

 これでいつもの言動がなければなぁ……。


【コメント欄の皆も盛り上がってくれてるね!! アタシたちもこれから本番に向けてガンガンあげていくから、まだまだ期待していいよ!】


【スタッフさんたちも含めて、本当にいいものを作ろうとしてるから。みんなにも見て貰いたいよね】


【絶っっっ対! 見てね!! アタシたちの晴れ舞台ッ!! そしてみんなで一緒に楽しもうね!! きっと一生の思い出になるよッ!!】


 ムエたんの言う通りだ。

 告知時点でこれだけの盛り上がりを見せてるんだ。きっとライブは物凄い楽しいものになるに違いない。

 戸羽ニキや埼京さん、英さんにムエたん。それにナーちゃんや他のたくさんの出演者も含めて、みんながライブのために頑張っている。

 それこそ、一生の思い出になるぐらい素晴らしいものにするために。

 だから、俺もひとつ決意をした。

 誰が知るわけでもない。誰かが知ってくれるわけでもない。

 表舞台には立たない、ひとりの裏方として、このライブのために出来るが俺にはある。

 優梨愛さんが大変なことになっている姿を見た。

 カレンちゃんたちが楽しみにしている姿を見た。

 戸羽ニキたちが準備を頑張っていることを知った。

 ナーちゃんが修羅場を戦っていることを知った。

 色んな人たちの色んな姿を見て、知った。

 それでも悩んだ。もう二度と近づきたくないと思っていた会社と関わることに、どうしても気が進まなかった。

 あんな社畜生活を送ったところに関わるなんて、本当なら二度とごめんだ。

 それでも、辛かった会社員時代に唯一輝いていた思い出がある。


【みんなとのライブ、本ッ当に楽しみだね!!】


 暗い暗い闇の中で唯一すがっていた光がある。

 もし、もし今、俺がほんの少し勇気を出せば、社畜時代の俺を支えてくれた推しに、僅かでも恩返しができるのかもしれない。

 何のために働いているのかもわからない。何のために頑張ってるいるのかもわからない。そんな灰色の毎日を彩ってくれた推しのために頑張れる。

 その事実は、自分の辛い記憶にしり込みして、優梨愛さんの部屋から逃げ出した俺の背中を押す、最後の一押しになる。

 みんなの頑張りが報われて欲しい。

 みんなの楽しみが実現して欲しい。

 俺もみんなと一緒に、とびっきりの時間を過ごしたい。

 そして、──推しに世界で一番輝いて欲しい。

 だから俺は、勇気を出して頑張ろうと決めた。


『優梨愛さん。例の件、お手伝いさせていただきます。詳細を話したいので時間をください』

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