第78話 折れた俺と、壊れた彼女

「……んっ。って、えぁ……?」


「あ、起きました?」


「え……?」


 微かな気配に振り返ると、ベッドに身を起こした優梨愛さんがボーっとした表情でこちらを見ていたかと思えば、次の瞬間にはパクパクと口を動かす。


「お、おま、お前──ッ!?」


「あー、まずは落ち着いて今日のことを思い出して貰ってもいいですか?」


 寝起きに悲鳴なんて上げられたら堪ったもんじゃない。


「──ッ!?!?!?!?!?!?」


 その瞬間、優梨愛さんの顔が茹だったように赤面する。


「あぁ、あぅあぅああぁぁぁあ……っ」


「あー、思い出さなくていいことは忘れてもらってもいいですよ……?」


「そんなこと出来るかバカぁ……」


「ですよねー……」


「あぁぁ……。私は何であんな……。うぅあぁ……」


「……顔でも洗ってきます?」


「……そうする」


 と、ベッドから起き上がろうとした優梨愛さんが、何かに気づいたようにピタリと動きを止める。


「……おい」


「はい」


「私の記憶だと最後はにテーブルに着いていたはずなんだが……」


「……気にしないでいいと思いますよ?」


「気になるだろうがぁ……っ!! おま、お前、まさか──ッ!?」


「っスーーー、運びました」


「どうやって!?」


「こう抱きかかえて」


 お姫様抱っこをするジェスチャー。

 ……いやほら、さすがに口で言うのは恥ずかしいし?


「あぁぁ……。う~あ~……」


「変なところは触ってないので安心してください?」


「そういうことじゃないんだよぉ……。あ~……」


 枕に顔をうずめる優梨愛さんの反応を見てると、こっちまで恥ずかしくなってくる。

 ていうか、気まず……。

 気まずいっていうか、緊張するっていうか──ッ。

 優梨愛さんが目を覚ますまでに、イメージトレーニングしてたのに!

 寝起きにスマート対応する俺を必死に固めてたのに!

 全く意味がありませんでした!!


「……顔、洗ってくる」


「はい。そうしてください」


「絶対洗面所に入ってくるなよ!?」


「行きませんから!!」


 ……ふぅ。俺もひとまず落ち着こう。

 とは言えなぁ。いい時間だし、そろそろ帰らないとマズいよな。

 まさか泊まっていくわけにもいかないし。


「すまないな。まさか寝てしまうとは思わなかった。久しぶりにすっきりした気分だ」


「本当に無理はしないでくださいね。仕事より体調の方が大事なんですから」


「ああ、そうだな……」


「あ、料理は適当に冷蔵庫に入れたのと、寝てる間にいくつか追加で作り置きしたので適当に食べちゃってください」


「本当に何から何まで世話になってしまってるな……」


「気にしないでください。さて、それじゃあ──、」


 俺はこれで失礼します。そう言おうとした瞬間だった。


「今、うちの会社がV-Createのライブ案件に関わっていることはこの間言ったよな?」


 優梨愛さんがおもむろに口を開く。


「ええ、聞きましたが」


「少し、経緯を話させてくれ」


「……本当はお暇しようと思ったんですけどね。寝起きですし、コーヒーでも飲みます?」


「まるで自分の家のような振る舞いだな」


「一度立ったキッチンは似たようなものですよ」


「頼むよ。その方が落ち付いて話せるしな」


「わかりました」


 ついでに何かお茶請けでも、と思ったけど、こんな時間に半端に食べるよりは、俺が帰った後に作り置きを食べてもらった方がいいか。


「お待たせしました」


「ありがとう。……さて、どこから話したものか。そう言えば、お前は会社が合併したことも知らないんだっけか?」


「知らないですね。そんなことになってたんですか?」


「そうか。ちょうどお前が辞めた後だったからな。じゃあ、そこから話すか」


 コーヒーを口にしつつ、優梨愛さんはここ最近の忙しさを振り返るようにポツポツと語り出す。


「お前も知っているうちの社長と、合併した会社の社長が学生時代の友人同士だったんだそうだ。お互いにIT系のベンチャー企業を立ち上げた当初から、ゆくゆくは事業拡大なんかも狙って、一緒にやろうといった話をしていたそうだ。まあ、その時は酒の席での話だったそうだから、現実的な話ではなかったらしいがな」


「それがどうして急に合併なんて話に?」


「合併先の会社で色々とあったそうだ」


「色々って言うのは? あ、聞いちゃまずかったら教えてもらわなくても大丈夫です」


「いや、特に問題はない。何しろV-Createのライブのことだからな」


「あー、もしかしてあれですか。請け負った案件が大き過ぎて人手が足りなくなったとか」


「ご名答。開発実績に対して案件規模が大き過ぎて、スケジュールが遅れに遅れていたそうだ。それをうちの社長に相談したところ、なぜか合併と言う話になったと聞いている」


「それは意味わかんなくないですか……? 普通下請けに出したりするもんじゃありません?」


「私も詳しいことは知らないが、下請けを探そうにも探せなかったらしい。それでまあ、うちの社長も何を思ったのか、吸収合併という形を取れば事業拡大にもつながるし、友人のピンチも救えるしで、話を進めていったそうだ」


「それで今、優梨愛さんたちが火の車になっている、と。そういうことですか?」


「ああ。合併直後に諸々社内での調整と言う名の押し付け合いがあってな。納期に間に合わせないといけないとのことで、エンジニア連中は開発にかかりきり。そして連中が言うところの雑務を、全て私たち営業に押し付けてきたと言うわけだ。当然、仕事が増えたからと言って、元々の仕事が減ったわけではない。体感4倍ぐらいの業務量になったよ」


 言葉こそ愚痴っぽくあるものの、その声音はのっぺりとしていて、淡々とした語り口調が逆に怖くなる。


「どうして優梨愛さんたちに押し付けられたんですか?」


「顧客折衝を含む業務だからだそうだよ。要は、うまくクライアントに言い訳をする嫌われ役を押し付けられたわけだ。私がここまで社内の内情を知っているのも、クライアントへの言い訳を考える際に、社長連中から招集されたミーティングと言う名の自己正当化大会で聞かされたからだ」


「控えめに言って最低ですね」


「全くだ。お前が辞めたことと言い、どうにも最近ケチが付き過ぎてるな」


 それは、ちょっと笑えないんでスルーで。


「それで、優梨愛さんは俺にも一緒に嫌われ役になれって言ってるわけですか?」


「ああ、そうだ」


「そこは少しぐらい取り繕いません?」


「事実だからな。私自身、この仕事に対して『仕事だから』以上のモチベーションなんて持ち合わせてないよ。社長連中は成長だやりがいだと、たわ言を吐いているがな」


「そんな話を聞かされて、俺が首を縦に振ると思ってるんですか?」


「報酬はそれなりの額面が出るぞ?」


「金で健康を犠牲にするつもりはありません」


「このライブには、お前の知り合いも多く参加するのだろう? その人たちのために頑張ってはくれないか?」


「……卑怯な言い方をしますね」


「お前が手伝ってくれるならなんだってするさ。望むなら体を差し出そうか?」


「──ッ!! そんなことをしたら、本当に軽蔑しますよ」


 俺がそう言うと、優梨愛さんは虚ろな笑みを浮かべた。

 まるで感情がこもっていない抜け殻のような表情は、よく知っている。

 社畜時代、限界に近かった俺自身が同じような顔をしていた。


「どうしたらいいんだろうな、私は」


「今、優梨愛さんが真っ先すべきなのは会社を辞めることです。優梨愛さん。そんなになってまでするほど、仕事って大切なんですか?」


「ふん、さあな。どうでもいいよ、そんなことは。仕事に意味なんて求めてどうなるんだ?」


 まさか優梨愛さんの口からそんな言葉を聞く日が来るなんて……。

 あれだけ仕事に熱心だったのに……。


「優梨愛さんは一刻も早く仕事から離れるべきです。さっき洗面所で鏡を見ませんでしたか? ひどい顔をしてますよ」


「知ってるさ。知ってるよ。でもな、メイクなんてしてる暇ないんだよ。そんなことをしてる時間があれば、私は仕事をしなければならないんだ」


「だから、それがダメなんですって! どうして自分より仕事を優先するんですか!?」


「どうしてって、そんなの決まってるだろう? 仕事だからだよ」


「……………………」


 その言葉に、戦慄した。

 なんだ、なんだそれは!?

 何を言ってるんだ優梨愛さんは!?


「で、どうするんだ?」


「どうって……」


「だから、さっきから言ってるだろ? この案件だけでいいんだ。私を手伝ってくれないか?」


「優梨愛さん……」


「なあ、お願いだから一緒に仕事をしてくれ。……お前がいてくれれば、きっと何とかなるから。な?」


 その瞬間、悟った。

 ──あ、壊れてるんだ。

 優梨愛さんは壊れちゃってるんだ。

 俺に懇願までして、あんなに泣き崩れるまでに自分を追い込んで、それでもまだ仕事に向かおうとする彼女は、もう壊れてしまっているとしか思えなかった。


「……考えさせてください。今、お返事は出来ません」


「そうか……」


「──ッ。すみません。今日はこれで失礼します。料理、ちゃんと食べてくださいね」


「ああ。……わかった」


 俺はそれだけ言うと、逃げるように優梨愛さんの家を飛び出した。

 ──怖かった。

 ──どうしようもなく、優梨愛さんが怖かった。

 壊れた彼女は、まるで何かに取り憑かれているかのように虚ろで。

 今の彼女には、どんな言葉も届かないんじゃないかと思ってしまった。

 ほんの少し前、優梨愛さんが俺を──東野アズマを見つけた時とはまるで違う。

 彼女の魂は仕事に壊されてしまっている。

 俺は、仕事に心を折られた。

 でも優梨愛さんは、仕事に魂が壊されてしまった。もう逃げることすら考えられないほどに。

 同じ社畜でも、俺と優梨愛さんは違う。

 壊れた彼女を見て、逃げ出せないほど壊れた彼女を見て、その深い闇に覗き込まれているような錯覚に怖くなり、──俺は逃げ出した。

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