第77話 社畜はこうなるんやって──ッ!!!!!

「お邪魔します」


「すまないな。わざわざ家まで来てもらって。仕事が終わらないせいで、外で食事をしようにも出来ないんだ」


「まさか『仕事をしたいから家に来てくれ』なんて言われるとは思いませんでしたよ。しかも休みの日に」


 この間の電話の話を詳しく聞きたいと言ったら、社畜を象徴するかのようなセリフで返されて戦慄したものだ。

 休日に持ち帰りの仕事を家でするなんて、思わず絶句してしまった。


「これ、適当に買ってきた食材です」


「ふっ」


「?」


「ああ、いや。いつだったかお前が料理を作りに来てくれた時のことを思い出して、なんだか懐かしくなってしまっただけだ。上がってくれ。洗面所はそっちだ」


「はい。お借りします」


 うーむ、やっぱり緊張するな。

 家にお邪魔するのって外で会うのとはまた違うからな。

 ほら、目の前に歯ブラシとか置いてある。

 バリバリの生活感って何でこう生々しいんだろう。


「どうします? 先になんか作っちゃいましょうか」


「そうしてくれると助かる。私はまだ片付けないといけない仕事がいくつもあってな」


「……今日、休みなんじゃないんですか?」


「そうだが?」


「なんで仕事してるんですか。しかも家で」


「会社にいるときだけじゃ終わらないからだな。特に諸々の事務作業は、邪魔が入らない家でやる方が捗るんだぞ?」


「吐きそうな事実を当たり前のように語らないでください」


「ははは。そうだな。でも、人はどんなことにも慣れるものだ。一度諦めてしまえば、今はこれが自分の生活なのだと受け入れられるようになる」


「それ、受け入れた方が楽だから受け入れてませんか?」


「そうかもしれないな……」


 まさかあの優梨愛さんから、そんなくたびれた溜息交じりの言葉を聞くとは思わなかった。

 VTuberだとバレて呼び出された時から比べると、別人なんじゃないかってぐらいに覇気がない。

 普通にしてるけど、多分相当ヤバいんだろうな。

 ……ちょっとは元気になって貰えるような料理を作るか。


「調味料とかは勝手に使ってもいいですか?」


「ああ。ただ、ないものはないからな」


「どうしても必要だったら買ってきますよ」


「そうしてくれ。私はこっちで仕事をしてる。何かあったら呼んでくれ」


「はい」


 俺がキッチン内の諸々を確かめていると、カタカタとキーボードを叩く音が聞こえてくる。

 心なしか、かつて職場で聞いていた音より元気がない。


「優梨愛さん、食欲はありますー?」


「ボチボチだな。最近はほぼ1日1食だ」


「それは、……ヤバいやつだな」


 ほっとくと死ぬんじゃないか? あの人。

 でもそっか。そうなると、食が細くなってそうだし、ガッツリしたものより胃に優しいものにした方がよさそうだな。

 とは言え病人食を作ってもしょうがないから、さっぱりした味付けにして、後は細かく刻んだりして食べやすくすればいいか。


 そうしてしばらくの間、俺が料理を進める音と、優梨愛さんが仕事をする音だけが響き続ける。

 ぼんやりと在宅ワーカーがいる家ってこんな感じなのかと思ったりする。

 お互い常に家にいるからそれがストレスになる、なんて噂も聞くけど実際どうなんだろうな?

 家にはいるけど、気ままな一人暮らしだからよくわからないな。


「出来ましたよ」


「ん。このメールだけ打たせてくれ」


「この辺、適当に片しちゃっていいですか?」


「ああ。まとめておいてくれれば大丈夫だ」


 メモ書きに各種資料、机の上に散らばっている紙類をまとめ、ボールペンなどの文房具を片付け、簡単に濡らした布巾で拭けば準備は完了だ。


「パソコン、気を付けてくださいね」


「ん。大丈夫だ。あと、ちょっと顔を洗ってくる」


「あ、はい」


 優梨愛さんが洗面所に行っている間に作った料理を食卓に並べていく。


「美味そうだな」


「──ッ!?」


「どうした?」


「ああ、いえ。何でもありません。あとスープをよそってくるだけなので、先に食べてていいですよ」


「そうか」


 びっくりしたぁ。

 でも、そりゃそうだなよな。

 顔を洗ってくるって言ったんだから、そりゃほぼすっぴん状態で戻ってくるよな。

 やっぱりメイクってすごいんだな。

 普段の優梨愛さんがあれだけカッコよく見えるのわけだ。

 不覚にも素の雰囲気がやわらかくて、ギャップを感じてしまった。


「あれ、食べてなかったんですか?」


「んー。さすがに悪いかと思ってな」


「別にいいのに。そんなに気にしないでください」


「料理までしてもらったのに、そんなわけにはいかないだろうよ」


「律義なところは相変わらずですね」


「お前の仕事が出来るところもな。大した食材もないのに、よくこれだけ作れたな。美味そうだ」


「ありがとうございます。食べましょうか」


「ああ。いただきます」


「いただきます」


 のそのそと料理を口へと運ぶ優梨愛さんに、思わず緊張してしまう。

 ちゃんと作ったとはいえ、自分で食べるのと人に振る舞うのじゃ、やっぱり居心地が違う。

 口に合えばいいけど。


「……美味いな。うん、美味い」


「よかったです。いくつかは作り置きしていくので、忙しいとは思いますけど食べてくださいね」


「うん」


「あんまりガッツリしたものはやめた方がいいかなって思ったんですけど、もうちょっとしっかりしたものもあった方がいいですか?」


「……うん」


「わかりました。じゃあ後でまた買い物に行ってくるので、ハンバーグぐらいは冷凍して作り置きしますね」


「……うん。……うん」


「優梨愛さん……?」


「……ぅん。……うん」


「どうしたんですか? 何か変な物でも入ってました?」


「……ぅうん。違う。そうじゃない」


「じゃあ、──」


「ぅう、……うあ。……ぐすっ。うぅ……」


「──ッ!?」


 ちょちょちょ!?

 え、待って!!

 泣いてる!? え、泣いてるの!?


「……っず。す、すまない。でも、久しぶりで……。ずっと仕事ばかりだったから……。うぅ……。ご飯が美味しい……。うぁ……」


「そんな泣きながら食べなくて大丈夫ですから! あ、ティッシュ! ほら鼻かんでください。大丈夫、ご飯は逃げませんから」


 ──チーン、と優梨愛さんが鼻をかむ姿を見て、ただただ衝撃を受ける。

 あの優梨愛さんがこんなにボロボロになってるなんて……。


「す、すまない。本当に、すまん……」


「謝らなくて大丈夫ですから。落ち着いてください。って、え?」


 手が重ねられている。

 白く、細い指が目に眩しい。


「隣、来て欲しい」


 涙に掠れた声。

 働いていた頃はあれだけ凛々しかった声が、今は涙に震えている。

 こんなはずじゃなかった。

 今日はただ、この間の電話の内容を聞きに来ただけのはずなのに。

 優梨愛さんのこんな姿、想像すらしてなかったのに。


「ここでいいですか?」


「もっと近く」


「これでいいですか?」


「ぅん」


 胸元から聞こえるくぐもった声。

 ほとんど抱きしめるような形で、顔を押し付けてくる優梨愛さんを見下ろす。


「優梨愛さん……?」


「うぅ……。ぐすっ。あぁ……っ」


「今日はもう仕事するのやめましょう? 泣いてまでする必要なんてないですよ」


「だ、だって、やらないと終わらないし……。うぐっ、誰も、助けてくれないし……。うぅ……っ。私が、やるしか……っ」


「だからってそんなにボロボロになるまで頑張っちゃダメですよ。ちょっとぐらい休まないとダメですよ」


「わ、わかってる。わかってるけど……、でもっ」


「だったら俺が帰るまででいいですから。その間は仕事しないでください」


「……うぅ~ん」


「優梨愛さん?」


「……わかった」


「はい」


 なんだろうね。今の優梨愛さんを見てると悲しくなってくる。

 仕事に取り憑かれてるじゃん。

 これだけ仕事でいっぱいいっぱいになってる姿は、呪いにでもかかってるんじゃないかと言いたくなる。

 本当、なんなんだろうね。

 これだけ追い詰められた先で、一体何が得られるんだろう……。

 優梨愛さんは、どうしてこんなに頑張らなきゃいけないんだろう……。


「すー……、すー……」


 なんてぼんやりと考え事をしていたら、いつの間にか優梨愛さんの涙声は寝息に変わっていた。

 ひとまずは安心かな。

 話が聞けなかったとしても、優梨愛さんが寝てくれるなら、それはそれで来てよかったと思える。

 さて、と。

 それじゃあ、優梨愛さんが起きてくる前に、他の作り置きの料理でも作っちゃおうかね。

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