第35話 社会人は偉い!! みんな偉い!! 頑張ってる!!

『私は一体なんのために働いているんだろうな?』


 へーい、地獄みたいな連絡来たぞー……。


『仕事って何なんだろうな。私は何でこんなに頑張ってるんだろうな』


 はい! ということで!!

 優梨愛さんから現代社会の闇を象徴するような連絡があったので、今夜は急遽飲みに行くことになりました!!

 いや、あのね。わかる、わかるよ。ものすごくわかるよ。優梨愛さんの気持ちも。

だって俺がそうだったから!

 何のために頑張ってるのかわからなくて、楽しいと思っていた仕事もしんどくなっていって、それでVTuberになったんだから!!

 でもさぁ、まさか優梨愛さんからそんな言葉を聞くなんて思ってなかったなぁ!!


「すまないな、いきなりあんな連絡をして」


「いえ、大丈夫です」


 場所は前回飲んだ時と同じ個室居酒屋。

 赤スパの主が優梨愛さんだったと告白されたのと全く同じ席で、あの時とは随分と違う心持でメニューを開いている。


「生でいいですか?」


「ん? ああ、そうだな」


「すいませーん!!」


 何だろう。心なしか優梨愛さんの元気がないような気がする。

 疲れてるんだろうか。だろうな。

 でなきゃ、あんな連絡を寄こしてくるはずもない。


「とりあえず適当に頼みますよ」


「ああ、任せるよ。はぁ……」


 おお、この人でもこんな風にため息を吐くことがあるんだ。

 びっくりだよ。

 一緒に働いていたときは、息巻いている姿しか見たことなかったし。


「じゃあ、まあ、乾杯しますか」


「そうだな」


 乾杯、とジョッキを合わせたそれが、地獄の幕開けだった。


「お前と仕事をしている時の私はきっと夢のような環境で働けていたって、今になって痛感しているよ。何しろ仕事とは終わるものだと、終わらせることが出来るものだと、そんな夢を無邪気に見れていたんだからな」


「えっと、今は違うんですか……?」


「ああ。仕事とは終わらないものだと、どこまでも続く果てのない砂漠の中で、かろうじて存在する数少ない休みというオアシスを求めて彷徨うようなものだと、最近はよくそう思うよ」


 うわ、優梨愛さんの目が死んでる。


「部下には冗談交じりに、仕事は終わらせられるものだという幻想は捨てた、などと言っているが、実際は冗談でもなんでもないんだ。今私が考えているのはただひとつ『明日の私、頑張ってくれ』ということだけだ。なあ、知っていたか? 仕事って終わらないものなんだぞ」


 ヤバいヤバいヤバい!!

 淡々としゃべる優梨愛さんのガチ感が怖い!!

 え、どうしちゃったんだよ、マジで!!

 あれだけカッコよかった優梨愛さんが影も形もないんだが!?


「一体どこから湧き出るんだと言いたくなるぐらい、無限に仕事が増殖するもんだから、ついこの間同期のシステム担当に言ってしまったんだ。『仕事に無限増殖のバグが発生してる。早く解消してくれ』って。……ふふ、悲しいものを見る目を向けられたよ」


 目が! 目が虚ろ過ぎる!!

 酒の飲み過ぎで据わってるとか、そんなものじゃない!!

 闇だ! 絶望だ!! 現代社会という闇に呑まれた者の目だ!!


「ああ、そうだ。聞いてくれよ。最近な、会社の周りの漫画喫茶に詳しくなったんだ。ふふふ。せっかく家のベッドをいいものにしたのに、寝ているのはリクライニングチェアの上なんだぞ。何のためにオーダーメイドの枕を買ったんだろうな」


 ああ! もうダメだ!!

 こんな優梨愛さんを直視なんて出来ない!!

 この闇は俺には深すぎる!!


「そう言えば、ゲームをするためにパソコンも買ったんだよ。でも、セッティングして以来一度も起動できてないんだ。お前とゲームが出来るのを楽しみにしていたんだが、残念だ」


「大丈夫です。ゲームはいつだってできます。なので、休みの日は寝てください。ちゃんと体を休めてください」


「私に休めって、お前はそう言ってくれるんだな」


「さすがに今の優梨愛さんを見たら誰だってそう言いますよ」


「じゃあ、休みの日は私の家にご飯を作りに来てくれ」


 …………はい?


「なあ、頼むよ。私を助けると思って。最近休みの日は寝て終わってしまうんだ。ちゃんと食べてちゃんと休みたいんだが、その気力も体力もないんだ。だから。な? ご飯を作りに来てくれないか?」


「いやいやいや、さすがにそれはマズいですよ。あ、ほら。今なら宅配サービスとかもあるじゃないですか、それで美味しいごはんとか、健康な食事を食べましょうよ」


「……私を見捨てるのか?」


 ……ぅおーい、待ってくれー!

 なんだ!? 今これはどういう会話なんだ!?


「優梨愛さん、ちょっと落ち着きましょう。あ、もしかしてお酒を飲み過ぎましたか? お水貰います?」


「私の話を聞いてたか? 酔ってるんじゃない。疲れてるんだ、私は」


「聞いてました。聞いてましたよ。でも、さすがに休日に優梨愛さんの家に行くなんて、そんなこと出来ないですよ。あ、ほら。配信活動もありますし」


「うちですればいいじゃないか。パソコンはこの間のボーナスを突っ込んだから、十分なスペックがあるはずだぞ」


 ちょ!? 本気で何を言ってるの!?

 待って!! 色々展開に頭が追い付いてない!!


「優梨愛さん、すみません。一回落ち着かせてもらってもいいですか? 色々衝撃過ぎて頭が追い付いてないです」


「なんだ。何がそんなに衝撃なんだ」


「今の優梨愛さんが、です」


「ふん、だろうな。お前の知っている私は、こんなに忙殺されて疲れ切ってる姿なんて見せなかっただろうからな」


「そうですよ。優梨愛さんって、とにかく仕事を楽しんでて、何ていうか、仕事の鬼だったじゃないですか」


「そして鬼上司でもあったと」


「……いや、それは」


「いいよ。むしろそう言ってもらった方がスッキリする」


「とにかく! 今死ぬほど驚いてるんです。優梨愛さんがなるなんて」


「鬼の霍乱(カクラン)というやつかな」


「仕事してる時は鬼に金棒でしたもんね」


「その金棒は、お前だったわけだ」


「今の優梨愛さんがそんな風に言うのは、ズルいですよ……」


 こんなに疲れ切って死んだ目で愚痴を吐いているのが、俺のせいみたいじゃないか。


「……そうだな、すまん。ちょっとトイレに行ってくる。ついでに頭を冷やしてくるよ」


「お冷頼んでおきます」


「ああ。頼むよ」


 いや、どうするよ、これ!?

 どうすればいい!?

 とにかく俺も水を飲んで落ち着こう。

 こんな優梨愛さんと対面したことがないから、マジでどうすればいいのかわからない!!

 ど、どうしよう!?

 って、戻ってくるの早いですよ優梨愛さんッ!! まだ何にも整理出来てませんが!?


「すまなかったな。ちゃんと頭も冷やしてきたぞ」


「いえ。その、まあ、仕事をしてれば色々ありますし」


 ああ、もう! 俺のバカ野郎!!

 もうちょっと気の利いたことを言えないのか!!


「まあな。逆にお前は中々楽しそうに配信をしてるじゃないか。見たぞ、この間の大会とかその後の打ち上げとかも」


「あ、はい。その、ありがとうございます」


 どっちだ!? これはどっちだ!?

 言葉通り受け取っていいのか、それとも『お前はいいよな、楽しそうで』という妬みなのか、どっちだ!?


「でも、見ててくれたんですね。コメント欄でも名前を見かけないので、もう見てないのかと思ってました」


 いいのか!? これで正解なのか!?

 わからない!! こんな経験、社畜時代にしたことがないぞ!?


「何言ってるんだ、見てるに決まってるだろ。というか、私が見てるって知ってるからあの時間に配信してるんじゃないのか?」


「ん? 何ですって?」


「いや、だからな。私が見てるのを知ってるから、あんな遅い時間に配信をしてるんだろ?」


 ……どいうこと?

 優梨愛さんは何を言ってるんだ?


「本気でわからないんですけど、どういうことですか?」


「そんなにはぐらかさなくてもいいぞ。前に会った時に私が一人で残業をしてると言ったのを気にしてるんだろう?」


「……は?」


「大丈夫だ、お前のことは私が一番わかっている。なんだかんだ言って優しい奴だからな、私のことを気にかけているのは、よーくわかっている」


「……え?」


 待って待って待って!

 え、何!? 突然何を言い出したの!?


「ああ、そうだ。今日会ったら言おうと思っていたんだが、最近よくてぇてぇがどうのと言われているじゃないか。あれな、気を付けた方がいいと思うぞ。私は気にしてないし、お前はその辺りのリスクヘッジはちゃんと出来てると思ってるが、そうじゃないリスナーも中にはいるだろうからな。いや、うん。私は全く気にしてないんだがな。やっぱり何が原因で炎上するかもわからないって言うし、もう少し気を付けた方がいいと思うぞ」


「……」


「どうした、黙って。ああ、気にするな。何も配信活動について何かを言うつもりはないんだ。ただな、元上司としてはやっぱり気になってな。ははは」


 目が……。目が笑ってない……っ!!

 いや、ちょっと待ってくれ! 混乱が加速してるんだが!?

 整理! 整理をする時間をくれ!!


「まあ、でももし炎上して配信活動が続けられなくなったら、その時は相談してくれ。大丈夫だ。お前の戻ってくる場所は私がちゃんと守っておくから」


 もしかしなくても、社会の闇だろこれッ!!!!

 優梨愛さんが仕事のし過ぎでバグってる!! 

 どうしよう!? どうすればいい!?


「優梨愛さん、大変言いにくいんですが、どこかでゆっくりした時間を取ったほうがいいですよ。今、だいぶヤバいですよ……?」


「だったら──ッ!!」


 うお、びっくりした!!

 いきなりグラスでテーブルを台パンしないで!?


「だったら私にスパチャを投げさせろよ──ッ!!」


「えぇ~……?」


 もう優梨愛さんの言動がわからない!!

 なんでいきなりスパチャ!?


「お前が限界赤スパがどうとか言ってるのを聞いてたから我慢してたんだぞ!? 私が稼いだ金ぐらい私の好きに使わせろ!!」


 いやいやいや、確かに言いましたよ?

 でもそれは収益化直後にいきなり限界赤スパが飛んできたからでって、違う! そうじゃない!! 今、優梨愛さんにそんなことを言ってもしょうがない!!


「わかりました。スパチャに関してはもう何も言いませんから。ね、だから落ち着いてください」


「本当か!? 本当にいいのか!? 私が限界赤スパを投げても、お前はもうドン引きしたりしないか!?」


「しません! しませんから!! だからちょっと落ち着いてください!!」


「よし、ならいい。これで仕事も頑張れる」


「えぇ~……?」


 社会人の闇を凝縮したようなやりとりに、この後飲んだ酒の味はよくわからなかった。会社の飲み会とは別の意味で、地獄のような時間だった……。

 社会人って、大変だよな。みんなよく頑張ってて偉いって、つくづく思う。


 あとちなみに、今度の休みに飯を作りに行く約束は半ば強引に取り付けられた。

だって、しょうがないだろ。

 飯を作りに来てくれなきゃ、このままうちに乗り込むって駄々をこねるんだから……。

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