第16話 再会。そしてエンカウント

 どうして? なんで?

 そんな言葉ばかりが脳裏を巡る。

 なんで優梨愛(ゆりあ)さんから《東野アズマ》の名前が出るんだ?

 VTuber活動のことは一度だって話していない。

 仕事が辛過ぎるから辞めると告げてから、退職後のことは何度か聞かれた。

 それでも俺は『しばらくはゆっくりする』と告げるばかりで、その後のことについて一切話をしなかった。


 だって、嫌だから。

 せっかく辞めれるのに、しんどくてしんどくてしょうがなかった職場から離れられるのに、その後のことまで把握されるのが我慢ならなかったから。

 だから追いかけられることがないように、職場の人との一切の関係を断とうとした。

 これからのことを話すこともなく、緩やかに存在を消すように、連絡先も関係の薄い人から少しずつ消していった。

 そうして二か月が経ち、そろそろ直接かかわりのあった人たちの連絡先も全て消せそうだと思ったのに。


 くそ、俺のバカ野郎。

 もっと早く消してればよかったんだ。

 もっと早く断っておけばよかったんだ。

 そうすればこんなことにはならずに済んだのに。


「よう、久しぶりだな」


「……お久しぶりです」


 都内の某繁華街。

 期せずしてカレンちゃんと初めて会ったのと同じ駅で、俺は最低な相手との待ち合わせをしていた。

 来ないと言う選択肢は取れなかった。

 なぜならこの人は、梓川優梨愛(あずさがわゆりあ)は、俺が《東野アズマ》だと知っているから。

 もしこの誘いを無下にしたら何をされるかわからない。

 職場で言いふらされでもしたら、と考えたら無視することなど出来なかった。


「なんだなんだ。随分とテンションが低いな。配信の時みたいな元気はどうした」


「こんな往来であんなテンションで喋れるわけないじゃないですか」


 優梨愛さんは相変わらずだ。

 キリッとスーツを着こなしメイクも完璧な、出来る社会人の身だしなみ。スラリとしたパンツスタイルは、ドラマから出てきたような出で立ちだ。

 無造作に髪をかき上げる姿すら様になる美人。きれいな顔立ちには自信が満ちており、入社当時はその姿に憧れてもいた。

 美人でカッコよくて仕事が出来る完璧超人。ナーちゃんとは別の意味で次元が違うと思わせられる。


「そうか。じゃあ、行こうか」


「行くってどこに」


「飲みだよ。仕事終わりで他にどこに行くって言うんだ」


「……わかりました」


 やっぱりか。

 優梨愛さんが指定してきたのは金曜の21時。

 一週間の終わりを迎えた社畜が、いつもより早めに解放されるには妥当な時間だ。

 もっと早い時間帯から飲み始める人も世の中にはいるそうだが、生憎と俺からすれば21時集合ですら早いと感じてしまう。


「そう固くなるな。今はもう上司や部下って関係じゃないんだから」


「そんな簡単に割り切れませんよ。あれだけお世話になったんですから」


「お世話に、ね。まあいいや。ほら行こう」


 何か含みのある言い方だな。

 実際、含みはあるんだけど。含みと言うか皮肉か。

 新卒入社してから辞めるまでの3年、俺は優梨愛さんの下で働いていた。

 入社直後の教育も、その後の面倒も全て優梨愛さんに見てもらっていた。

 つまり、この人は俺の社畜人生のほとんどに関わっていたのだ。

 当然、いい思い出ばかりなんて言えない。むしろ8割近くがきつい思い出で占められている。


「安くしてくれるって。ここにしよう」


「はい」


 声をかけてくれたキャッチに案内されるがまま、居酒屋へと入っていくのはいいんだけど、なんで個室ッ!?

 やめて!! 優梨愛さんと二人きりって全然いい思い出ないから!!

 あ、ダメだ。会議室に呼び出されて指導と称して詰められたときの記憶が……。


「おい。どうするんだ? 生でいいのか?」


「あ、はい。生で大丈夫です」


 ……気まずい気まずい気まずい。

 どうすんだよ、この状況。どうすりゃいいんだよ!?


「こうしてお前と飲むのも久しぶりだな」


「ええ、まあ、そうですね。辞めて以来なので2ヶ月ぐらいですね」


「ん? まだそんなものか。もう半年は経ったかと思ってた」


「相変わらず忙しくしてるみたいですね」


「仕事なんてそんなものだろ」


 ああ、嫌いなセリフだ。

 会社にいたころ、何度そう言われたことか。

 仕事だろ。仕事だからしょうがない。それが仕事だ。

 呪文のようにそう繰り返されるたびに、俺は仕事を嫌いになっていったんだ。


「まあ、ひとまず乾杯するか」


「ですね」


「ようやっと案件がひと段落したからな。私は今日飲むぞ」


「優梨愛さんが飲まなかったことなんてありましたっけ?」


「うるさい。ほら、さっさとしろ」


「はい」


 乾杯、と。生ビールが注がれたグラスを合わせる。

 って、優梨愛さん早っ!? 一杯目からそんなペースで飲んで大丈夫!?


「あ、すいません。ついでにビールお代わりで」


 つまみを持ってきた店員さんに当たり前のように注文をする。

 いや、お前は? みたいな視線でこっちを見ないでって、もういいか。俺も飲むか。ていうか、この雰囲気に耐えられないから酒に逃げたいわ。

 うん、そうだな。飲もう。


「あ、俺もお願いします。生ひとつで」


「なんだ、お前もだいぶペース早いじゃないか」


「酒飲むのも久しぶりですからね。仕事辞めてから一回も行ってないですし」


「すごいな、それは。私は酒がなくなったら死ぬぞ、多分」


「優梨愛さんってそんなに飲むんでしたっけ?」


「ここ最近は特にな。色々あったから」


「お疲れ様です」


 キン、と新しく運ばれてきたグラスで軽く乾杯をする。

 あー、アルコールが回っていく~。久しぶりに飲むとこんな感じか~。


「…………」


「…………」


 いや、無言キッツ!!

 無駄に緊張感あるし。帰りてぇ~。


「まさか会社を辞めて配信者になってるとはな」


「あはは、まあ。ちょっとやってみようかな~、なんて思いまして」


 いきなり!?

 いきなりその話からするの!?

 いや、いいんだけどさ。俺も聞きたかったのはその件についてだし。

 ただ、もうちょっと順番って言うか、心の準備をさせてくれません!?


「見てるよ、たまにだけどな」


「それは、まあ、ありがとうございます」


 素直に喜べねぇ~。

 配信を見てるって言われて、こんな微妙な気持ちになることがあるとは思わなった。


「ちなみに優梨愛さんは、どうして俺が配信してることを知ったんですか?」


「ん、まあ、色々とな」


 ……優梨愛さんにしては歯切れ悪い答えだな。


「なんですか、もったいぶらずに教えてくださいよ~」


「いや、まあ、あるだろう? 人には色々とさ」


「いやいや、なんですか色々って。気になるじゃないですか~」


「……言わなきゃダメか?」


 え、何その反応。

 会社の飲み会っぽく茶化した感じで聞いたのに、全然ノッてこない。

 はっきりとものを言う優梨愛さんっぽくないな。


「どうしてもって言うならいいんですけど……。そんなに言いたくないことなんですか?」


「いや、なんというか、お前が私に持ってる印象とはかけ離れた話になるからな……」


「なんですか、それ」


「配信で聞いたからな。お前が私のことを『鬼上司』だの『激詰めしてくる』だの言っていたのを」


「……あ」


 ヤバい。俺、今日で死ぬ?


「いや、違う。そういう話がしたいんじゃないんだ。──あ~、もうっ!!」


「──ッ!?」


 何!? 俺なんかした!?


「今から私は飲む! だからお前も飲め!!」


「は、え? って、いやいやいや一気ですか!? 大丈夫なんですか、そんなペースで!!」


「いいから、お前も飲め!! 酒の力をその身に宿せ!!」


 いやいやいや、なんで元上司からパワハラ紛いのことを言われなきゃいけないの!?

 俺、もう会社辞めたんですけど!?


「どうしても飲まないって言うなら、飲む気にさせてやる。いいか、よく聞け」


 一気にグラスをあけた優梨愛さんは、俺が嫌いなセリフでそう言うと──、


「私は戸羽丹フメツのリスナーだ!!」


「は?」


「そして私のアカウント名は《コミット米太郎》だ!!」


「はぁ!?」


 あまりにも衝撃的なカミングアウトをするのだった。

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