第23話 森を彷徨う

 ノースデンに隣接する鉱山は採掘現場周辺の木々が伐採され、ハゲ山のようになっている。鉱山に基本的には生物は寄りつかないが時折、魔物が現れては採掘労働者を襲う被害が出ていると言う。


 セレンが今、向かっているのは獣や魔物が生息するリングネイトの森である。

 ノースデンから徒歩で30分程度の場所に広がる大森林だが開拓のために伐採が進んでおり、獣たちの住処を圧迫していた。


 セレンはクロムに何度も連れて来てもらっていたので、最早、勝手知ったる森の中であったし、出没する獣や魔物の種類も熟知していた。

 いつもの狩場に到着すると、早速身を潜めて気配を殺す。

 獣は人間に比べて遥かに感覚が鋭い。

 人間は、安全な街の中の生活に慣れて鋭敏な感覚を失ってしまったのかも知れない。更に臭いにも気をつけなければならないので、セレンは風下の木々の中でじっと得物が来るのを待った。

 この場所は獣や魔物の水場になっており、うってつけのポイントの1つだ。

 他にも小高い丘陵に広がる平原で待ち伏せする方法もあるが、今回は街から比較的に近いこの場所にしたのだ。


「この弓、僕に使えるかな……」


 持参した弓矢はクロムが使っていたもので、以前にも試しに射撃させてもらったのだが技術が足りないのか力が足りないのか上手く扱うことができなかったのである。

 セレンは恐らく両方なんだろうなと心の中で呟いた。

 まだ11歳のセレンに強弓こわゆみを扱う力はないかも知れない。

 しかし、獣を狩らねば生きてはいけない。

 これはまさに生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。

 採掘労働者になって低賃金で長時間、過酷な労働を強いられることなどセレンには我慢できなかった。仇を討つためにも野垂死ぬことだけは絶対に出来ない。


 木立こだちの中の繁みに身を潜めて1時間程経過した。

 水場が近いせいか、じっとりとした湿気が体にまとわりつく。

 身に着けているものはいつもの布の服と厚手のマントだけだが、日中はまだまだ暑い。セレンはとても子供とは思えない忍耐力を発揮していつ来るかも知れない得物をじっと待った。


 そうしている内に3頭のクレイディアが水を求めてやってくるのが見えた。

 クレイディアは1本の鋭い角を頭に生やした獣で、一見すると凶暴で攻撃的な外見をしているのだが実は穏やかで繊細な感覚をしている。

 セレンはその鋭利えいりな角は特に攻撃に用いるためのものではないとクロムから聞かされていた。

 立派な角は1マイト以上あり、その体は全長3マイトになるものすらいると言う。

 セレンはクレイディアのどこか吸い込まれそうになる澄んだ瞳が好きだった。

 初めて見た時は、狩らないで欲しいとクロムにお願いした程だ。


「一撃で仕留めないと……」


 見ると3頭は親子のようで、1頭は少し小さな体をしている。

 1番大きな一頭は周囲を警戒しているのか、じっと頭を動かさずまるで何かを探っているかのような様子だ。

 セレンはそれを見て父親のことを思い出していた。


『草食の獣は視野が広い。見つからないように気配を自然と同化させるんだ』


 きっとあの1頭も父親なのだろう。

 短い角の個体は1番小さなクレイディアに寄り添っている。

 つがいの子供なのだろう。

 子供はゆっくりと小川に流れる清水に口をつけている。

 相変わらずけがれのない瞳で。

 セレンは弓を引き絞るのも忘れてじっと見入ってしまっていた。

 あの親子は何を思い、何のために生きているのか。

 そんな知能を持っているかも分からない獣の姿にセレンは何か神聖なものを感じた。


 しかし、いつまでもほうけている訳にもいかず、セレンは意を決して弓に矢を番えると子供のクレイディアに狙いを定めた。

 機械銃なら首を狙うところだが、今回は足の付け根辺りにある心臓を狙う。

 子供を狩るのは、大き過ぎる得物だと解体が大変だし持ち帰ることもできないと考えたからだ。


 一応、事前に矢の試し撃ちはしてみたのだが、中々上手くいかなかった。

 当たるかどうかは運次第と言うのも情けない話だなとセレンは苦笑してしまう。

 クレイディアの親子は警戒した様子を見せながらも3頭で水を飲んでいる。

 セレンはそんな考えを振り払って集中しなおすと、再び狙いを定めて右手の力を更に込めた。このような時に弓のスキルがあればよいのだが、生憎あいにくセレンは狩猟に向いたスキルを持っていなかった。

 クロムの講義を受けて、スキルについてある程度の知識はあったものの、実際に身に着けたスキルは対人用のものばかりである。ひたすらクロムと剣による乱取りをしていたため仕方のないことではあった。


「ごめんね。君は悪くない。でも僕は生きなくてはならないんだ……」


 セレンはラディウス教の主神であるディウスに祈ると必死に力を込めて引いていた矢を解き放った。

 ヒュンッと風切り音がして矢が直線的に飛んで行く。

 しかし、現実は甘くはなかったらしく、矢はクレイディアの近くの地面に当たって落ちてしまった。

 矢の襲来を敏感に察知した3頭は体をビクつかせて顔を上げると、弾かれたように走り出す。


「この距離ならッ!」


 破れかぶれで大剣を抜いてクレイディアに向かい駆け出したセレンであったが、親子はそれをいち早く察知して一気にその速度を上げて去って行った。

 その速さにセレンは追うのをすぐに諦め、慣れた動作で大剣を鞘に収めた。


「駄目か……。やっぱり上手くはいかないな……」


 改めて狩りの難しさを痛感したセレンは、やはり天力能力アストラビィでクロムの技を再現しなければ狩りをするのは無理だと判断する。

 クロムの霊魂を降ろせば弓矢の技術も継承することができるはずだ。

 更に弓矢が駄目なら剣技で獣を狩ることも考えたが、クロムの言葉を思い出したので止めた。

 獣の多くは臆病であり、人間と出会うと逃げ出す種が多いと言う。

 襲い掛かってくるのは、たいてい肉食の獣や魔物のたぐいだ。

 セレンは腰にいている大剣をじっと見てポンポンと鞘を叩くと、まるで家族にでも話しかけるような優しい口調で言った。


「狩りでお前の活躍の場はなさそうだぞ?」


 どんどん憂鬱になる気分に耐えられず、セレンは地面に腰を下ろした。

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