第17話 亡命―レイラーク王国へ

 ときはレリオウス歴1684年。

 クロム一家が聖地アハトへ追放されて2年が経過した。


 もうずっとクロムへの刺客が途絶えることはなかった。

 まさに異常の一言に尽きる。


 ラディウス聖教国は、クロムの存在を持て余すようになっていた。

 裁判の立会人となり、身元引受人にもなったラディウス聖教国は面目を潰される形となったのだ。クロムが殺せないとなると、次に狙われたのは神殿関係者であった。彼らが次々と殺されたことによって、上層部が及び腰になったと言う事情もある。


 そんな荒んだ聖地アハトでの生活や修行の中で、セレンはクロムから剣の英才教育を受けてその才能を開花させていた。


 まだ10歳だと言うのにである。


 しかし時間が経過するにつれ、クロムの様子がおかしくなり始めたことにセレンは気づいていた。神殿から出ることができないので、普段の生活の他には剣術や天力アストラの修行や瞑想しかない。

 最も長い時間をクロムと共に過ごしていたセレンには日ごと、父親と母親がやつれていくのが良く分かった。

 話す言葉は更にたどたどしくなり、上手く話せないようになっていったのだ。

 呂律が回らないことも多々あった。

 最近では、クロムは日常生活においても異常をきたすようになり、母親のテルルもその心労からか健康を害することが増えていった。


 メリッサはすぐに毒物や薬物の混入を疑い、ただちにクロムたちに提供されている食事などを調べたが確定的な証拠が出ることはなかった。

 給仕役の神官プリーストを変えたり、料理人に疑いを掛けたりと様々な対策を実行したが、期待した成果は上がらなかった。

 返ってメリッサが神官プリーストたちからの不興ふきょうを買う結果となる始末である。

 神官プリーストたちからは仲間を疑うのかと、メリッサを批難する者まで現れた。

 健康を害する2人と同じものを食べているセレンには何の症状も出なかったこともそれに拍車をかけていた。


 また、ラディウス聖教国の得意とする神聖術を持ってしてもクロムたちの状態が快癒かいゆに向かうことはなかった。

 メリッサにクロムたちの症状の心当たりがない訳ではない。


 薬物中毒である。

 打つ手は何もなかった。万能ではないものの、怪我や病気、毒などにも効果を発揮する神聖術ではあったが、それには何ら効果をもたらすことはなかった。

中毒とは言っても、クロムたちが摂取したと思われる物は本来、毒ではないから。

過剰な摂取、常用することで心身に影響が出る類の所謂いわゆるドラッグだ。


 世間に出回っているドラッグは100種類は下らない。

 それらにはクロムたちの健康を快復するための薬も術もないのだ。

 常用するのを止める――それが一番の特効薬と言える。

 しかし、どうやってドラッグを盛られているのかが分からない。


 ガリランド神殿の空気が険悪化してゆく中、クロムはテルルとセレンを連れてメリッサの部屋を訪ねていた。

 すぐに中に通された3人はソファーへと座り、彼女と対面した。


「今日は何か?」


 メリッサの表情は暗い。

 いつものハツラツとした明るい笑顔とは対称的だ。

 クロムがこれから何を話そうとしているのか、おおよその察しはついているのかも知れない。


「はい……。こ、これ以上、き、貴国にめ、迷惑をかける訳にも、いかない……。わ、我々は隣国のレイラーク王国に、ぼ、亡命しようと考えて、おり……ます」


「やはりそのつもりでしたか……」


 メリッサはクロムに着けた従者、アンガスから事情を聞いていた。

 レイラーク王国は聖地アハトとジオナンド帝國と国境を面している国である。

 アハトの街から東へ徒歩で3日も歩けば、最寄りの街ノースデンへたどり着くことができる。


「ですが、許可できませんね。これはラディウス聖教国の面子めんつの問題でもあります」


「しかし、あ、あなたに迷惑をかける訳……にもいきませぬ……。わ、私をかばってくれているのはメ、メ、メリッサ様だけなのでは……ありませんか?」


「……真犯人はよっぽど仲裁に入った我が国の顔を潰したいようですね。ここで貴方を見殺しにすれば、真犯人の思う壺ですよ。これは最早、貴方だけの問題ではないのです」


「で、ですが、あなたの、い、命には代えられませぬ……な。わ、私が、で、出て行けば……済む問題なのです……」


「貴方が出て行っても刺客が止むとは限りません。事実、神殿関係者の中にも襲撃を受けている者がいます」


「き、貴国は刺客の、や、や、雇い主の情報を……聞き出しているのでしょう? か、各地に信徒を持つ、せ、聖教国を敵にするのは真犯人にとって、百害あって、一利なしのはず……」


 ラディウス聖教国は世界最大と言ってもい良い信徒数を誇るラディウス教の教皇をいただく宗教国家だ。

 聖都のディウスはそのメッカであり、毎月多くの信徒が訪れている。

 また、世界中に信徒がおり、年に1度の降神祭テルミネスには各地から信徒だけでなく、お祭り好きな人々が詰めかける。

 セレンもその賑わいを神殿からではあったが、目にしたことがある。


「今のところ、黒幕の情報は得られていません。恐らく闇ギルドが関わっているのでしょう。それに亡命と言ってもレイラーク王国に渡りがついている訳でもないのでしょう?」


「……。かかか家族の身は、わ、私がいれば護れます……」


「しかし、貴方は症状はひどくなる一方です。これは普通ではありません。今も体調が優れないのではありませんか?」


 セレンにはメリッサが迷っているように感じられた。

 メリッサにとって身元引受人であり、友人でもあるクロムを見捨てることなどできなかったのだろう。


「メリッサ様、僕はもっと強くなって父様とうさまの無実を晴らします。そして真犯人を断罪してみせます! だからもう心配しないでください」


「セレン君。帝國の外から真犯人を見つけると言うのは、中々できることではありませんよ?」


「はい! そのために力をつけて仲間を集め、帝國を調べようと思うのです」


 メリッサもセレンが言ったように何とかことの真相を究明しようと奔走していた。

 彼女はこの2年ででき得る限りのことはしていたのだ。

 ただ、相手が狡猾なのか中々尻尾が掴めず現在へ至っていた。


「とにかく! 貴方たちは我々が責任を持って護ります。このような状況になってしまい、説得力はないかも知れません……。健康を害させてしまったのは我が国の……私の責任に他なりません! 」






 その後、メリッサはクロムの主張に一切耳を貸さず、その身柄を拘束した。

 有無を言わせぬ口調でクロムの提案を一蹴いっしゅうしたメリッサであったが、肝心のラディウス聖教国の上層部はそれを許さなかった。

 命令に従わないメリッサにごうを煮やしたラディウス聖教国の教皇ネウロパは聖地アハトに新たな司教ビショップを派遣。

 メリッサは強引にアハトの街の管理者としての立場を下ろされラディウス聖教国の聖都ディウスへと強制的に送還された。

 ラディウス聖教国としては有能なメリッサを失うのは痛手なのであった。

 これでクロムたちを止める者はいなくなったのである。


 こうして2年に渡る聖地アハトでの生活は幕を降ろした。

 必然的にセレンはラケシスとの離別を余儀なくされた。

 同世代の大切な友人との別れはセレンとラケシスの心に大きな悲しみを与えた。


 クロム一家はせめてもの情けで、ノースデンまでの道のりは馬車で送ってもらえることとなり、帝國の力が及ばない他国へと亡命したのであった。

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