(後編)大雪になったバレンタイン、美人の先輩はやっぱり僕の部屋に来た
「あっくん、チョコ開けてみてよ」
しばらくの休憩を経て、先輩は落ち着いたらしい。でも、僕がその声に振り向くと、彼女もなぜか別の方向に振り向いた。
先輩の横顔はやっぱり美しい。だけど、物理的になんだかよそよそしい。
「どうしたんですか?」
「あ、いや…………これはあっくんのせいだよ…………じゃなくてなんでもない! それより、チョコ開けないの?」
「はい……開けます」
僕は先輩に言われるまま紙袋を取り出すと、中身を机の上に取り出した。その茶色の箱は、白いリボンで丁寧に結ばれている。
ふわりとリボンをほどき、蓋を開けると、中にはトリュフチョコが並んでいた。
彼女は失敗作と言っていたが、欠けも無ければ、形が歪なわけでもない。
「じゃ、じゃあ、いただきます…………」
僕は彼女の視線に緊張しつつ、チョコをカップから摘むと、ゆっくりと口に入れた。
舌に乗った丸いチョコは、滑らかに口の中を回り、程よく口溶けてゆく。
うっとりするほど甘いけど、しつこくはない。まさに、有紀先輩のような味だった。
そのチョコは、少なくとも失敗作には思えないし、もしかしたらこれが本命? なんて冗談が浮かぶほどに美味しかった。
僕は思わず手を急ぎ、再びチョコを口に入れる。そして、心地の良い甘さに浸る。
「おいしい?」
先輩は期待に満ちた顔で僕を見る。だから、期待通りの、正直な感想を口にする。
「とてもおいしいです! 本当に手作りなんですよね?? 凄すぎです!」
彼女はとたんに大きな笑顔を咲かせた。頬はチョコを食べた時のように緩んでいる。
「へへへ……実は私、お菓子作りも得意なんだ! それだって一回の失敗もなしに作れたんだよ!!」
先輩は自慢げに胸を張った。
僕はチョコへと目を逸らすと、もう一つに手を伸ばす。
その甘さを十分に堪能しながら、「へぇ〜」と感心した。
でも、同時に、喉元突っかかるような違和感を覚えていた。
チョコが美味しいのは紛れもない真実だけど、もっと根底的な何かが間違っている感じ…………。
「えっ…… じゃあ、これってなんなんですか?」
僕は真顔で口にした。
先輩は気づいていないらしく、「ん?」としばらく首を傾げる。でも、すぐに気づいたみたいで、ハッと口を開くと、その勢いで言葉を発する。
「あっ、いや、それは……少し甘さが足りなかったの! そう! 砂糖を入れ忘れたの、少しね。だから、作り直したから、それは失敗作…………」
「あっ、そうなんですね…………」
僕はこっそりとため息をついた。
もしかしたら、本命なんじゃないか。その冗談は、本気になっていて、先輩は本当に僕のために作ってくれたのかと勘違いまでした。
だから、ただの現実だったとしても、僕にとって苦く感じた。
僕は口直しにもう一口チョコを入れる。十二分に甘いチョコは、僕の心の苦さを溶かしてくれる。
気づけば、その箱の中は空になっていた。
「あまりに美味しくて全部食べちゃいました。これはホワイトデー頑張らないといけないですね?」
「ううん、私は美味しいって言ってくれただけで満足だよ」
先輩はしみじみと口にした。お世辞とかじゃなくて本心のように聞こえて、自然な笑顔が咲いている。
僕は消えてしまったチョコを惜しみつつ、空箱に蓋を閉める。
——その時、一枚の紙切れがふわりと落ちた。
厚紙が四つ折りになっていて、指で摘めるくらい大きさ。
確かに、既製品のチョコであれば、商品の紹介カードが入ってたりする。先輩も気を効かせて書いてくれたのだろうか。さすがは有紀先輩。
僕は期待を込めて、開けてみると…………。
手のひらから、紙切れが、するりとこぼれる。
「せん……ぱい…………?」
僕は驚きのあまり顔を上げる。だけど、先輩の顔はいつの間にかテレビに向いていた。
僕は紙切れを拾い上げて、見間違いじゃないかと目を擦って確認する。
その小さな紙切れには…………。
『あなたのことが一番大好きです 有紀』
僕はその文字の理解した瞬間、心臓が飛び出るくらい飛び跳ねた
あったかいこの部屋で、体は緊張で小刻みに震える。とたんに先輩の顔が見られなくなった。
どうしよう。もちろん答えは決まっている。ここで口にしてしまってもいい。だけど、その勇気はない。どうしよう…………。
緊張し、興奮しっぱなしだったけど、ある事実に気づいて、突然気分が落ち着いた。
それは、あまりも残酷な真実で、力なく紙切れを落とす。
これはたぶん、入れまちがえだ。
失敗作であれだけ綺麗なのだから、作った本人も、本命と義理の見分けがつかなかったのだろう。
もしそうだったなら、僕が食べたのは本命用だった可能性だってある。
僕は紙切れの処遇に迷って、ふと顔を上げた。先輩は頑なにテレビを見ていて、僕の様子に気づいていない。つまり、入れ間違えたことにも気づいていない。
だったら、このメッセージを僕がポケットに忍ばせることもできる。そうすれば、たった一回だけど、先輩の好きという想いが彼氏に伝わらなくなる。
僕は紙切れを握って、手のひらに収めると、そっとポケットに忍ばせて…………。
「先輩…………」
僕は声を捻り出した。
「ななななにかな……」
先輩は、振り向くことなく、返事だけが帰ってきた。いまだにテレビを見ているけれど、目の淵はちらちらと泳いでいる。
僕は大きく息を吸い込むと、ため息のように吐き出した。
「…………これ、間違えて入ってました」
僕は手のひらに収めた紙を、そっと差し出した。
心がきつく締め付けられるような想いだった。
間違いだと認めてしまう悲しさも、そんな情けなさを先輩に伝える悲しさも……。
でも、先輩が不幸になるような、不正な行為は行いたくなかった。これこそ、惚れた弱み。僕は、つくづく損な性格をしていると思った。
先輩は、その白い紙をぼーっと見つめた。まるで何処かに行ってしまったものを見るような、遠い目をしている。
そして先輩は夢から覚めたような、
「間違えて…………そ、そうだね。ま……ち……がえて入っていたみたい。ごめんね?」
先輩は恥ずかしかったのか、苦笑いをした。だから、つられて僕も苦笑いをした。たぶん、頬は引き攣っていたと思う。
「…………ごめんね? 変な感じになって」
「あっ、いえいえ、間違いは良くあることですし、仕方ないですよ」
「間違いね…………そうだね。良くあるもんね。仕方ないね…………」
彼女はボソボソと呟くと、頭を掻いた。しばらく俯いて、こたつの天板を見つめていた。
こんなとき、彼女を笑わせたり、場を和ませたりできたらいいのだろうけど、心の苦しさのあまり、ただ黙ることしかできなかった。
彼女はカバンに手を伸ばすと、中からスマホを取り出す。
「あっ……も、もうこんな時間なんだ。き、今日、バイトあるからそろそろ行くね」
あまりにもぎこちない声に、僕は俯きたくなった。だけど、そう言うわけにもいかなくて、無理に元気な声を出す。
「あっ、そうなんですね!」
彼女はなんの惜しげもなく、こたつから立ち上がると、カバンを抱える。それに釣られて、僕も立ちあがろうとする。
「あっ、お見送りはいいよ?」
彼女を見上げても、他所を向いていてその表情は窺えない。
「でも……」
僕はそう口にして、腰を浮かせる。だけど、彼女は目を合わせてくれない。
「っていうか、しないで…………」
僕はその言葉で、浮かせかけた腰を、渋々落とす。彼女はリビングのドアに手をかけると、ふと立ち止まった。
「あのチョコ…………失敗作って言ったけど、その…………頑張って作ったものだから! そこは勘違いしないで欲しい……」
先輩は振り返ることなく口にする。彼女の手は震えていた。
そして、「またね……」と一言残すと、リビングの扉をパタンと閉め、行ってしまった。
玄関のドアが閉まる音がするまで、僕は、その扉を、その残像を、見つめていた。
こんな雪の日に、折角来てくれたのだから、彼女の言葉を無視してでも、お見送りすべきだったのかも知れない。だけど、動く気力が起きなかった。
彼氏持ちの先輩と、同じ部屋で二人っきり。そのシチュエーションに大きな無理があった。期待して苦しんでの繰り返し。でも、最後苦しむなら、まだ理解できた。
それなのに、彼女の残した言葉は…………。
僕には理解ができなかった。
何かの謎々なのか、弟への気遣いなのか…………。
僕はこたつから立ち上がった。
足がジーンと痺れていて、足をひきづりながらふらふらと歩く。
冷蔵庫の前に立つと、庫内の奥から小さな紙袋を取り出した。そこには、超有名なブランド名が印字してある。
僕はため息をついた。まあまあな値段がしたのに、もう不要になってしまったのだから。
こんな高級ブランドに興味はないし、たったさっき至高のチョコを食べてしまった以上、食べる気にもならなかった。
僕は高価な紙袋をそっと奥にしまうと、冷蔵庫を閉じる。
そして、冷たいため息をついた。
【短編集】「クリスマスとかマジなんなの?」とクリスマスイブの夜、美人の先輩が僕の家に愚痴りに来た話 さーしゅー @sasyu34
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