(中編)大雪になったバレンタイン、美人の先輩はやっぱり僕の部屋に来た

 彼女はリビングに入るや否や、すぐにこたつに飛び込んだ。


「はぁ〜〜 やっぱ、こたつは最高だね!」

 

 彼女はこたつの中で、ぬくぬくと一息ついていた。やっぱりその格好じゃ寒かったのだろう。

 

 新坂にいさか 有紀ゆうき先輩は、同じ大学で一学年上の先輩だ。

 

 しっとりと流れる長い黒髪に、吸い込まれるような大きな瞳。僕より身長が高くて細い。


 大学では結構有名な美人さんで、イケメンの彼氏もいる。

 

 そう、彼女曰く彼氏がいる。

 

 一方、僕のことは弟みたいに思っているらしく、こうやってちょくちょく遊びにくる。

 

 でも、それは感情に色がないからだと思う。僕への想いが雪のように白いからこそ、何にも気にせずに遊んでいられる。


 だけど、僕はそうじゃない。

 

 でも、一緒に居られるのなら、ずっと白の方がいいのかもしれない。

 


 僕は台所に立つと白い牛乳を火にかけて、マグカップを二つ並べる。

 

 冷蔵庫から板チョコを取り出すと、外装の紙を剥がし、銀紙の上からパキパキと割る。

 牛乳がぐつぐつし始めたら火を弱め、割ったチョコを白に落とす。

 

 ゆっくりかき混ぜ、白とチョコレート色が混じり、薄いベージュ色になったところで、火を止める。

 


「先輩、ホットチョコ飲みますか?」


 僕は、カップをお盆に乗せてから、ようやく尋ねた。 

 でも、先輩の答えなんて決まりきっていた。 


「飲む! 絶対飲む!」

 

 僕は予想通りのその声を聞いて、二つのカップを運んだ。目を輝かせる彼女の前に置いて、自分の所にも置く。台所の片付けはとりあえず置いておいて、僕もこたつへと入った。


 

「やっぱ、生き返るぅ〜」

 

 先輩は待ちきれないとマグカップを両手で握ると、子猫のようにちびちびと口をつけた。頬は緩み切っていて、文字通り幸せそうに飲んでいる。


 僕もカップに手を伸ばし、口をつけた。そのホットチョコはとびっきり甘い。

 

 先輩はしばらく、言葉も忘れて、ホットチョコを堪能していた。





 

「そういえば…………あっくんってチョコもらった?」

 

 先輩はマグカップを抱えたまま、ボソッとつぶやいた。まるで、『課題やった?』くらいの業務連絡のような口調。だけど、口角が僅かに震えていることを僕は見逃さなかった。


 たぶん、貰ってないことをからかうつもりだ。

 

 僕は『貰ってるわけないでしょ? こんな天気ですよ?』の言葉を必死に飲み込むと、一つ深呼吸をする。

 

 そして、勇気を振り絞って、平常を装う。

 

「もらいましたよ」

 

 さぁどうだ。僕は先輩の目を見つめた。

 だけど、先輩の目は泳ぐどころか、僕の瞳に定まっていた。


「そうなんだ…………誰からもらったの?」

 

「それは、プライベートなんで……いいじゃないですか?」


 言えるわけがなかった。


 そのチョコは、スーパーの女性店員から貰った(買った)なんて!

 そして、そのチョコは無事目の前で牛乳に溶けているなんて!

 

「よくないよ? お姉ちゃんに教えてみなさい?」


 僕は「えー」と笑ってみたけれど、先輩の表情が崩れることがない。

 さっきから、口調だけはいつもの先輩なのに、顔は真剣そのもの。

 

 二人の間に温度差があるようで、とても気まずかった。

 

「ねぇ、教えて? お願いだから?」

 

 彼女はマグカップを置いて、僕をじっと睨む。

 まるで浮気を疑う妻みたいな恐ろしさがあって、頭が上がらない。

 


「お手上げです。スーパーで女性店員から買っただけです。一応お金払って貰ってますし、実質もらっていると思ったので……」

 

 僕は冗談めかすように、両手をあげた。


 その理論はあまりにも、適当で、悲しかった。本当は適当なタイミングで「てってれー」とネタバラシをしたかったのに、先輩はそんな雰囲気を作ってくれない。

 

「スーパーの店員ねぇ…………ちなみに若かった? 可愛かった?」


 『先輩より可愛い人なんてそうそういないですから?』。そんな言葉を飲み込んで、「若かったとは思います……と適当に濁す。


 それでも、依然彼女は不満顔。僕は恐る恐る、口にした。


「…………先輩? 何か…………気に触ることありました?」

 

 

 先輩は突然ハッとしたかと思えば、いつも通りの優しい面持ちへ戻る。


 そして、気まずそうに目を逸らす。

 

「あっ……えっと、いや。ちょっとカッとなっちゃったっていうか……どうしたんだろうね?? じゃあ、チョコはもらってないんだね?」

 

「まあ、はい…………」

 

 冗談も空振りして、バレンタインも空振りする。僕の心は悲壮感で溢れていた。

 

「じゃあ、私のチョコが一番なんだ」

 

 先輩はやけに明るい声を発する。

 

「そうですね、先輩の義理チョコが一番です」

 

「私のが一番なんだね! やったぁ!」

 

 確かに、先輩のチョコは一番にもらった。でも、残念ながら一番のチョコはもらえない。

 僕は悔しくて、言わなくていいことまで口にする。

 

「でも先輩が僕に渡したのは、二番目なんですよね?」

 

「えっ、一番だよ? こんな雪の日に他の家回ってこれるほど…………」

 

 先輩はそこまで口にすると、その笑みを止めて、言葉を止めた。

 何かの誤りに気づいたのか、少し俯いて声を落とす。

 

「そ、そうだね……さっき…………行ったから二番目だね」

 

「じゃあ、彼氏さんの部屋には上がらなかったんですか?」

   

「えーと……行ったんだけど、居なかったの。だから、えーと……玄関にかけてきた」

 

「こんな大雪に、彼女ほったらかして、どこに行ったんでしょうね??」


 僕の語気は自然と強いものになっていた。もちろん先輩への同情もあるけど、思いの浅いイケメンに勝てないことが、もっと悔しかった。


「ス、スキーにでも行ったんじゃない? そうそう、スキー行くって言ってたわ。だって、こんな積もってるんだよ?」

 

 彼女の目は僅かながらに泳いでいた、すっぽかされたことを気にしているのだと思う。

 

「こんな、可愛い彼女さんを放っておいて? なかなか贅沢な彼氏さんですね?」

 

 僕は嫌味のように言ってやった。もちろん、先輩に言うのがお門違いなのはわかっている。だけど、そうでもしないと底知れない衝動を抑えることができなかった。

 

「って、先輩何しているんですか? 寒いんですか??」

 

 先輩は肩を抱いて震えていた。小さな声で「可愛い……」と呟きながら。

 

 エアコンの設定温度も高めで、こたつもある。防寒は十分だけど、寒いのかなと心配していると、突然先輩が顔を上げる。

 

「ね、ねえ………………いつものない?」

 

 彼女は遠慮がちに、上目遣いをする。その声はかすかに震えている。

 

 いつもの…………。


 彼女がうちに来ていつも飲んでいるものと言えば…………。


 

「こんな朝早くから飲むんですか!!!」

 

 そう、お酒(ノンアルコール)だ。確かに、アルコールが入ってないから、健康的に聞こえるかも知れないけど、彼女は違う。

 

 彼女はノンアルコールでしっかりと酔うのだ。

 

「当たり前よ! 無いとやってられないわ!」

 

 今回だって。彼氏にすっぽかされた鬱憤うっぷんをお酒(ノンアルコール)で晴らそうとしている。


 たしかに冷蔵庫には、ノンアルコールチューハイが数本入っているから、要望に応えるのは簡単だけど…………。

 

「先輩、だめです! 体に悪いので、お酒禁止です!」

 

「だめぇ……?」

 

 彼女の上目遣いに、甘すぎる猫鳴き声。心臓が止まるかと思った。

 だけど、その甘さはお酒に向けられているもので、僕にではない。

 

「だめです! …………先輩には、ずっと元気でいて欲しいから」

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んんんん!!!!」

 

 先輩は声にならない声を発しながら震えていた。そんなにアルコール抜きがつらいのだろうか。僕は、先輩をこんなアル中にしたダメ彼氏を恨んだ。

 

 先輩は「ち、ちょっと落ち着くまで待ってくれる?」と口にすると、しばらく机に突っ伏せて、ブルブルと震えていた。


 その光景は目にしてはいけない気がして、極力視界に映さないよう、必死にテレビを見つめていた。

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