(前編)大雪になったバレンタイン、美人の先輩はやっぱり僕の部屋に来た

 

「やっほー」

 

 大雪の朝。玄関のドアを開けると、眩しい朝日と甘い声が流れ込んできた。


 彼女は息を白く染め、ふかふかのミトンを振る。

 

 ボリュームのある白セーターに、すっきりとしたグレーのスカート。黒のハイソックスとの間には、透明感のある肌色がのぞく。

 

 手には小さな紙袋を掲げていて、視線がぶつかると彼女の瞳が泳ぐ。

 

 一番好きな人が来てくれたバレンタイン。たぶん、一番幸せな瞬間だ。

 

 

 だけど彼女にとって、僕は一番の人じゃない。

  

 * * *

 

 二月十四日、月曜日。

 カーテンを開けると、外は真っ白だった。


 街を覆った大雪は、朝陽を反射しキラキラと輝いている。境界線も曖昧になって、一続きになった世界。


 僕は思わずため息をつく。その息も白に染まる。

 

 連日、大寒波が来ると報道されていたのが大当たりし、昨夜から降り続いた雪は容赦なく街を白に染めた。アスファルトや雑草、道路の白線からレールまで全てを隠してしまった結果、交通網は麻痺を起こした。


 多くの路線では、早々と運行中止を発表していて、道路ではノロノロと走る車がつっかえている。

 

 こんな状況だから、もちろん大学は休講になった。

 

 突然、現れた休みの日。まさに棚ぼた休みなのに、僕の心は曇っていた。

 

 僕は膝の高さまで積もった雪を見て、再びため息をつく。外はいい天気なのに、これじゃあ出る気にもならない。


 僕は外を諦めると冷蔵庫を開けた。

 手前にある2枚の板チョコに手を伸ばす。


「今年はこれで坊主回避……」

 

 この板チョコは違う目的で買ったのだけど、今年のバレンタインチョコはこれだけになりそうだ。

 

 僕は大きなため息をつくと、板チョコをそっと冷蔵庫に戻す。そして、奥の方にしまっている紙袋に手を伸ばす……。


 と、その時だった。

 

『ピンポーン』

 

 その音に、僕の体は自然と動いていた。

 

 まるで待ち焦がれていたように、インターフォンへ急ぐ。そこには、期待通りの眩しい笑顔が映る。

 

 僕は玄関へと駆けると、震える手でドアの鍵を開ける。必死に緊張を押し退けて、ドアを押し開けた。

 


「やっほー」

 

 彼女は白い吐息をつきながら、思いっきりの笑顔を浮かべた。

 たったそれだけで、僕の心は晴れ渡る。


「よく来れましたね…………」

 

 僕は彼女の背景を見た。もちろん真っ白で、雪は膝くらいまで積もっている。

 

 それに、先輩の家は、我が家から見て大学の反対側にあって、結構距離があるはずなんだけど……。


「そう?」

 

 だけど彼女は、何ともなさそうに髪を揺らす。

 


 彼女は冬らしく、白いセーターを着ていた。靴は黒いブーツに、黒のハイソックスを履いている。だけど、膝まで雪があると言うのに、そのグレーのスカートは膝まで丈がない。だから、少しだけ肌色がのぞいている。

 

 僕はすぐ顔を上げると、素直な疑問を口にした。

 

「その…………寒くないですか?」

 

 彼女の目を真っ直ぐ見つめる。でも、目の泳ぎは隠せなかった。

 

「なに? ここら辺とか?」


 彼女は下の方を指差して、ニヤリと笑う。

 もちろん、指先に目を向けずに、しっかりと目を瞑る。


「これだけの大雪ですから、全体的に寒いでしょう?」

 

「えー、あっくん、冷たい」


 彼女は揶揄うように笑った。だけど、時おり、その脚は小刻みに震えている。

 

 


「あっ、そうだ。はい、これ」

 

 彼女は思い出したように、小さな紙袋を差し出してきた。小さな箱が入るのにぴったりなサイズで、側は淡いピンク色をしている。

 

 僕の心臓は、鼓動を急いだ。

 

 どんなに期待したところで、これは虚実ギリである。そんなことは心でも頭でも十二分にわかっている。

 

 ……わかっているはずなのに、体は全くわかってくれない。

 

「えーと、ちょっと失敗しちゃって…………。あっ、別に汚れたとかじゃなくて、形が少し悪い…………とかじゃないんだけど…………ま、まあ、失敗したの!」

 

 彼女はぎこちない笑顔を見せた。だけど、瞳はキョロキョロと泳いでいる。

 

 失敗作。裏を返せば、別のところに本命があるという事。

 

 もちろん、先輩には彼氏がいるのだから、これが義理チョコなのは火を見るより明らかだった。


 でも、たとえ義理チョコだったとしても、こんな雪の日に来てくれたのは、後輩愛に富んでいる証だし、弟愛が強いという証でもあった。だから、感謝すべきことだし、素直に喜ぶべきことだ。


 だけど…………。

 

 だからこそ、どうしても受け入れられなかった。

 僕が恋愛対象でないことを、はっきり告げられている様だったから。

 

「……ありがとう」


 僕は無理やり声を捻り出して、紙袋を受け取った。チョコはとても軽かったけど、心には重くのしかかった。



 

「それにしても寒いね…………」

 

 手ぶらになった彼女は、寒そうに肩を抱いた。

  

「た、確かに寒いですね……」

 

 合わせたような返事は寒空に溶ける。そして、二人の間に言葉は無くなった。

 冷たい風は強く吹いて、スカートはヒラヒラと揺れる。彼女は余計に足を振わせる。

 

 もちろん、帰って欲しいなんて一ミリも思ってない。


 だけど、その選択は倫理的に悪いことであって、自分の心を苦しめることを十分に理解していた。


 理解していたはずなのに…………。

 

「あ、あの……、よかったらですけど……上がって行きませんか?」

 

 人として、こんな寒い状況で放置するのは非情なこと。

 だから、これは間違っていない。


 心の中で何度もそう呟いた。

 

「本当に? 上がっていい?」

 

 先輩は嬉々として声を発する。表情はパァーッと明るくなって、大きな笑顔が咲く。そんな顔を見せられたら、もう引き返すことなんて出来なかった。

 

「どうぞ……何にもないですが」


「じゃあお言葉に甘えて……。お邪魔します!」


 僕はドアを大きく押し開けて、彼女を招く。

 

 彼女は「お邪魔しますと」呟くと、頭をぺこりと下げて部屋の中に入った。


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