第7話 潮風

 テトラポットに座って食べるコンビニのおにぎりはいつもより塩辛い気がした。


「そういえばさ、お金大丈夫なの?」

「んー?」


 いつもあまりお金を持っていない薊のことを心配して問う。


「流石に往復分の交通費はあるよー」

「……ならいいけど」


 パリパリと海苔の粒が潮風に舞い、丸い石の上を滑って海へと消えていく。空と飛ぶ鳶は私たちの食事には興味がなさそうに雲のない空を旋回し、海猫がカラスと仲良く海岸を徘徊している。遠くに見える船には釣り人らしき人たちが海面に向かって釣り糸を垂らしている。


「牡丹はさ」


 牡丹。久しぶりに呼ばれた自分の名前にびくっとしてしまう。


「あたしのこと何にも聞かないよね? なんで?」

「なんでって……いやじゃないの?」


 薊は私の死にたさより強い何かをいつも全身に纏っている。それはきっと私がはがしてはいけないもので、その内にあるものは触れてはいけなくて――だから私はいつも薊に何も聞けず公園のベンチで自分の悲観主義的な感情や与太話をしてしまう。


「嫌だと思ってるの? あたしが自分のことを話すの」

「うん」

「ふーん」


 薊はメロンパンを小さな口でついばむように食べる。

 しばらく会話をせずにおにぎりを食べた。波の音と風が髪をさらう音だけ。それがやけに大きく聞こえる。


「海がさ好きなんだよ」

「うん」

「あー……この好きっていうのは、なんだろ、ヤンキーがお正月とかに先輩のバンとかに乗って海辺で初日の出見ようぜとかそういうのじゃなくて場所として好きなんだ」

「うん」

「あたしはいわゆるギャルで、学校でもそういうキャラとして扱われていて、友達って呼べるのも牡丹以外はギャルかヤンキーってやつで」

「うん」

「そういうレッテルをちょっとでも忘れさせてくれるから」

「うん」

「海が好きなんだよ」


 はじめて薊の熱いものに触れた。薊は全部を吐き出すと煙草を吸ったときのように、深く息を吐いた。


「あたしの言いたいこと、わかった?」

「なんとなく」

「そっか」


 薊は食べ終わったメロンパンの袋をコンビニの袋に詰めてポケットに突っ込む。


「行くか」

「うん」


 お尻を払って海に背中を向ける。帰れというように私たちを押す海風は冬の気配を内包していた。


×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   × 


 それからの私たちはしばらく小田原の町をふらふらして帰った。小田原城に行ってみたけど入場料が想像以上に高くてあきらめたり、小田原に旅行に来ていたご年配の夫婦の写真を取ってあげたりした。薊は私の一歩半前をスタイルよく歩いて、私はそれに必死についていって、知らない町で迷子にならないようにした。


 十三時には電車に乗って新宿を目指した。薊は椅子に深く腰掛けて目を瞑る。私は本を読む。一度知った景色を逆再生して新宿に戻る頃には、旅疲れだろうか。しばらく感じたことのないような疲労感が押し寄せてきた。


「ちょっと休憩しない?」


 時刻は十五時前。今から帰っても電車の中でクラスメイトの女子に鉢合わせするだけかもしれない。サボった理由を聞かれるのは面倒だ。


「んー……そうだね」


 私たちは新宿駅をあちこちさまよいチェーンのカフェに腰を落ち着けた。学校近くのスタバも随分混んでるなと何度も思ったが新宿のそれは非ではなかった。


「海、綺麗だったね」

「小田原は初めて行ったかも」

「私学校サボるのはじめて」


 まだ潮のにおいが残る薊との間を埋めたくて話しを振ってみるも薊は頷くばかりだった。薊も疲れているんだなと思い、それ以上は声をかけなかった。薊とは無言でも大丈夫という安心感はあるが、どうしても薊の口から出た言葉が思い出されてしまう。

 それから小一時間ほどカフェで時間をつぶしたあと、最寄り駅で薊と別れた。


「じゃあね」

「ん」


 私の顔も見ずに雑に手を振る薊になんとなく不安を覚えた。


×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   × 


 それからの一日はいたっていつも通りだった。ママにサボりを咎められることもなく、パパから何かを言われることもなかった。ご飯を食べて、すこしパサついた髪をお風呂でしっかりケアして、哲学書を読んで、友達とLINEを交わして眠る。


(今日はこれでよかったのかな……)


 海での薊を思い出して急に不安になった。

 多分、薊は私に何かをして欲しかったんだと思う。でもその何かは薊が自分に貼られていると認識しているレッテルのお話しかなくて、私はそれ以上手を伸ばすことはできなかった。公園での私は薊を薊らしくしている何かを壊さないように、そして自分の死にたいとか論理性を欠いた論理をごちゃごちゃと話すだけで、でもそれが二人の関係性だと信じて何もしなかった。それを海に行くという特別な日にもしてしまった。

 ぐるぐるとかき回された思考がスマホへと手を伸ばす。薊に通話してみればいい。海で話したかったことを話して欲しいと。でもそんな簡単なことができなくて、手にしたスマホを暗い部屋の中に落としてしまう。

 こつんとカーペットを打ったスマホの画面に表示された時間は零時七分で、十二時間前の私を呪う。それでも私は何もできない。


 そして翌日。薊が売春しているという噂が、彼女の何も纏わない画像と共に拡散された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死にたい夜の花を散らせ 夏鎖芽羽 @natusa_meu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ