第3話 炭酸水
ギャルの必然性について。
あたしがギャルになったのは己の趣味嗜好ではない。父親が肉体ろーどーしゃ。母親はスナックのママ。二人が出会ったのはお酒の席で、酔った勢いで付き合い、あたしと妹が生まれた。まだ髪が生え揃わないうちから金髪に染められ、歳を取るたびに身につけさせられるアクセサリーの数は増えた。父親と母親が学生時代から引き継いでいる地元の先輩後輩仲間たちにあたしたちも組み込まれ、派手であることが是とされ、何よりもダサいを嫌う。プライドだけが膨れた集団にいつの間にか所属していた。
そんな風に周囲の環境によって組みあがったのがギャルというあたしの”外骨格”だ。
でも内面は違う。
小学校の頃、ギャルゆえに周囲になじめなかったあたしはよく誰もいない図書室に逃げ込んだ。そこで出会ったのがおばあちゃんの司書先生だ。
司書先生は授業をさぼって図書室にやってくるあたしを決して追い出しはしなかった。それどころかシートン動物記やファーブル昆虫記、赤毛のアンやモモ、ダレンシャンやナルニア国物語など様々な児童向けの本を勧めてきた。家庭環境ゆえに本と言えば学校の教科書、活字と言っても父親が雑に散らかす競馬新聞の予想という環境で育ったあたしには学校で習わない知識や物語は刺激的だった。
そのころには形成されていた外骨格のプライドで本を借りて教室や家で読むことはしなかった。いやできなかった。でも何も問題はなかった。幸いにもあたしの文字を読むスピードは驚異的なもので、四十分そこそこの授業を一つ抜け出すだけで児童向けの本は一冊読み終えることができた。これには司書先生も驚いて「あざみちゃんにオススメする本を探すのが間に合わないわ」なんて本気で困った顔をしていた。
そんな図書室に逃げる生活は中学生になっても続き、本を読んだが故かそれとも隔世遺伝としか思えない頭の回転の良さが幸いしてか――あたしはギャルという外骨格には不相応な偏差値の高い高校に入学した。
それでも、いくらあたしの内面が聡明であったとしても張り付いた外骨格は脱ぎ去ることができない。
今日も地元のやつらに呼ばれて公園で一人――いや牡丹が来るから二人だ――で夜が来るのを待つ。
× × × × × × × × × ×
「泡になりたい」
牡丹の”死にたい”を含んだ言葉が婉曲であればあるほどその日の調子がいいとわかったのはいつの頃からだろう。
「どしたん? 今日調子いいじゃん」
「悪いことがなかった」
いいことがあった、ではないのがペシミストの牡丹らしいなと思う。
あたしは地元のやつらが集まるグループLINEに的確なスタンプをぺたぺたしながら一瞬だけ考える。
「いいことがあった日はどうなん?」
「悪いことが起きないか不安になる」
「なるほ」
「薊はどうなの?」
「どうって?」
「悪いことがなかったら嬉しくない?」
「んー……?」
不思議な質問だなーと思う。いいことがあったら嬉しいと答えるのは簡単だ。でもその逆は非常に難しい。悪いことがないというのはつまりいいこともないわけだから状態としてはフラットなのでは?
でもそんな思考を言葉に変換するのも面倒で一言。
「普通」
「そっか」
牡丹はさして答えを求めていなかったようで手にしていた味のない炭酸水を一口飲んだ。
この女の子はよくわからない人を惹きつける儚さがある。牡丹がかわいいのは客観的に見てもそうで、男の受けのよさそうな人当たりの良い性格に、ちょこんという擬音がぴったりな愛らしい姿に人は吸い寄せられる。でもそれはあたしにとっては毒蛾のような魅力に思えてならない。まぁそんなことを思うのはあたしだけ――
「薊は人生嫌になることない?」
「ないなー」
「なんで?」
「なんでって……」
牡丹が特殊だよ、そう言い返そうとして、それは違うなと言葉を飲み込む。
「ごめん。今日の私ちょっと調子に乗ってる」
牡丹は答えを待たずに炭酸水をもう一口。しゅわしゅわ。あたしの脳内の思考がぱちぱち弾ける。
「そんなことないよー」
「そうかな?」
「らしいと思うし」
「らしいか……」
牡丹はあたしにしか見せない個性というか属性に疑問を感じているようだ。確かにらしさってなんだろう。
「薊はギャルらしいのが自分らしさだと感じる?」
「そうだねー」
ギャルはもはやプライドだ。明るい髪色、キラキラ光る左右のピアス、着崩した制服、短いスカートに、十月の外気にさらけ出した生足も……きっと自分らしさのだろう。
ある地元の先輩から個人LINEが来る。今日一緒に遊ぶメンツの一人だ。
《バイクでむかえにいくわ》《いつもの公園でしょ?》
《りょーかい》《そーだよ》
《今日何時までいける?》
《親父が家にいるから九時まで》
《ふーん》
(露骨だな……)
なんで男という生き物はセックスをしたがるのか。自分の父親もこれまでに――わかっているだけで三度浮気をしていて、そのたびに母親に死ぬほど怒られているのにそれをやめない。そのくせいまだに月に何度か――あたしと妹が寝てると思って、あたしたちの隣の部屋からヤッている声が聞こえるのだから男のその欲求は一生変わらないのだろう。
またLINEが届く。
《仲間何人かつれていくわ。十分後に着く》
ならあたしはそろそろ公園の入り口に移動したほうがいいのだろう。
「ん、あたしそろそろいくわ」
「いってらっしゃい」
じゃらじゃらとキーホルダーがついたスクールバッグを持ち上げる。これから始まるファミレス、カラオケ、ダーツ、ボーリング、そして先輩の家での駄弁り……そんなものを思い浮かべて、もう一度外骨格を着直した。
あたしの短い一日が終わる。
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