第2話 ミックスジュース

「付き合ってください!」


 そう言われたときに思い出したのは、フラれたクラスの女の子の励まし会? なるものでファミレスに行ったときに主役が発した「どうせ男は女の子なんて穴さえあれば誰でもいいんだよ!」の一言だった。それに周囲の人間は爆笑し、私もお付き合いで笑った記憶がある。だから今告白してきた――誰だっけ?同じクラスか隣のクラスの 野中くん? 野原くん? も私のことを穴としか見てなくて、下げる頭が私の足を見ていて、隙があれば穴を覗こうとしているのかななんて思ってしまう。


 ありがとー気持ちは嬉しいよでも私は野中くん? 野原くん? のこと知らないし君もそうでしょ?知らない二人が付き合う理由ってなに? 恋人ごっこがしたいだけなら他の人とすればよくない? セックスしたいだけならあと二年待ってからお金を払ってすればよくない? 私の時間はいくらでも余ってるけど君に割く時間なんて一秒たりともないんだよ。そもそもほぼ初対面の私にその顔面で勝算はあるのかな?


 頭の中の罵詈雑言をデリートキーで消去し、当たり障りのない言葉で彼を振る。そもそも何のチャンスがあると思って野原くんは私に告白してきたのだろう。


「ごめんね……」


 いかにも申し訳なさそうに謝ると、野中くん? 野原くん? はなんか言い訳めいたことを口にして去って行った。なんなんだ。あいつ。


 大きなため息を長い呼吸に変換し、恋ではない心音の乱れを落ち着けてから私は教室へ向かう。授業間の十分休みは野中くんの告白で消えてしまった。一人で時間を浪費するときはたった十分なんて気にもしないのに、人に使う十分はどうしてこんなに気になるのだろう。


「あっ」


 教室の扉を開けて気づく。三時間目の生物は理科室で授業だった。


「……めんどくさい」


 あと数十秒で鐘が鳴る。理科室へは三分はかかる。必然的に間に合わない授業と、遅刻を取る白衣をきたおっさん先生の顔と、クラスメイトから向けられる私が遅刻したことによる好奇の視線と、もしかしたらいるかもしれない野中くんの顔を考え――私は動けなくなってしまった。


「あー……移動教室か……」


 そう言ってやってきたのは今日も完璧にギャルをしている薊。髪型、メイク、制服の着こなし、ネイルまで何もかもが完璧なギャルで、ギャルをしていないのは上履きだけだった。


 薊は私を一瞥すると口を開くことなく、ただ静謐なプログラムのように自分の席に座ってiPhone8に指を躍らせた。


 私は薊にかけるべきだった言葉をぼろぼろと地面に落としながら理科室に向かう準備をする。昨日は私と別れたあとどんなことして遊んだの? 先輩にご飯はおごってもらえた? 変なこと要求されなかった? 何時に帰った? 宿題はやった? 遅刻したのは寝坊したせい? それとも――


 教科書と筆箱をまとめて教室の扉に手をかけた瞬間、無機質なチャイムの音が鳴って学校は授業モードに移行した。私は/薊はまるでお互いに出会わなかったかのようにお互いの存在を認知しなかった。


×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   × 


昼休みというのは楽なもので、私が野中くん(どうやら隣のクラス)に告白され振ったというエサを与えただけで私が学校で孤独にならないように付き合っている女の子たちはマシンガンのように言葉を並べた。


「えっ、マジ? あの野中が告白してきたの?」「まーた微妙なところ……」「別にイケメンでもなければ勉強ができるわけでもなく面白くもなければ特別つまらなくもなく、かといってダメなやつかと言われるとそうでもなく……」「なんで好きになったんだろ?」「わからない」「そーだよね。まあ真田さんはかわいいからね」「そんなことないよ」「そんなことあるんだよ」「ねー。そんなことしかないよ」「野中って前に彼女いたんだっけ?」「ちょっと前に○○と付き合ってたよ」「あっそーなんだ。じゃ○○ちゃんが基準になってる可能性あるね」「あるある」「○○ちゃんってかわいいの?」「かわいい。かわいい」「でも真田のほうがかわいいけどね」「あはは」「あははは」「あははははは」


 質量のない言葉が宙を舞うたびに私は微妙に表情を変化させ、相槌を打ち、空中に向けて空虚を吐き出し、パックのミックスジュースでのどを潤す。なんて無駄なのだろう。

 そうしているうちに昼休みも終わり、もうすでに顔を忘れかけていた野中くんと教室前でエンカウントする。一瞬私を見た目は、薊のように感情を伴わないものではなくて、私を私じゃないもので見つめていた。あぁきっと私じゃなくてもよかったんだと気づいて、その気づいた事実が冷たかった。


(早く帰りたい)


 学校はなんでこんなに簡単で、なんでこんなに居づらい場所なのだろう。学校も私もお互いをお互いに必要としていないのに、学校は私を排除するべきでもないから排除していないだけ。あぁ消えてしまいたい。


 死にたい気持ちに通気性の高い蓋をして午後の授業を乗り越えた。昼食を共にした友達と雑談としてから公園に向かう。


「死にたい」

「そーなんだ」


 私は薊の知らない今日をぽろぽろとこぼす。

 また私の短い一日が始まる。

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