死にたい夜の花を散らせ

夏鎖

日常

第1話 ほうじ茶

「満遍なく死にたい」

「そーなんだ」

「……意味、分かってないでしょ?」

「んー? あれでしょ。アレ。今めっちゃ死にてーわって感じじゃなくて、なんとなく、朝起きてから夜寝るまで今死んでもいいかなー的なアレでしょ」

「……そうだけど」

「ちゃんと聞いてるよー」


 しかし薊(あざみ)の指は猛スピードでiPhone8の画面の上を踊っていて、とても私の話を聞いているようには思えない。それなのに超比喩的な表現の真意までしっかり当ててくるのだからただのギャルではないのだろう。


「なに? 生理? ただBAD入っただけ?」

「生理でもないしBADも入ってない」

「ふーん」


 私のマインドにはきっと何の問題もなく、それを揺るがす外的要因も存在しない。ただいつからか――生まれて初めて男の子に殴られて”女は絶対に男には勝てない”と知った小学生五年生からか、先輩に半ば強引にお酒を飲まされて薄い意識と激しい痛みの中で花を散らした中学二年生からか、受験に失敗し本命じゃない芋くさい制服の公立高校で三年間を過ごすことが決まった中学三年生からか……それともいつからか父の書斎にある哲学書を読みだした頃からか……希死念慮なるものが体中を支配するようになった。

 風が吹く。まだ十月。気温は二十一度。ブレザーを着るほどでもない。カーディガンでごまかしている服装にはちょっと冷たい風だ。私の膝上のスカートが揺れ、薊の太もも半分のスカートがさらわれる。きっと薊の正面にいればドンキで買ったような派手なピンク色の下着でも見えたのだろう。


「あー、さみぃ」

「生足はやめたら?」

「ん? これはプライドだから」


 生足を出すことがプライドなのかとその肉付き豊かで、でもしゅっと細い足を見て思う。私のただ細いだけの80デニールの足とは対照的だ。


「何か飲み物でも買ってきますかー」

「お金、あるの?」

「んー? ないけどこの後先輩が来るらしいからおごってもらえるでしょ」

「そうなの?」

「わからん。体要求されるかもだけど」


 たかだかファミレスのご飯代で、と薊はカラカラと笑う。


「笑っていいの? それ?」

「まぁ」

「……買ってくるよ」

「じゃあ、ミルクティー。あったかいの」

「はい」


 薊が投げた定期――Suicaを受け取る。私はスクールバッグから財布を取り出して自動販売機に向かう。この公園は県内でも何番目かに広く、自動販売機はいくらでもある。

 二百メートルほど離れた自動販売機の群れで薊のためのミルクティーと自分用のほうじ茶を買う。甘い飲み物は滅多に飲まない。たまに友達のような同じクラスの女の子たちとスタバに行ったときくらいだ。だって甘い飲み物なんておいしくない。かといってコーヒーは苦すぎる。

 薊が座る東屋を目指して歩く。薊は葉も散り始めた十月の中で散らない朝顔にように存在感があった。ちょうど通り過ぎた男子高校生が薊に目を奪われた。また風が吹く。赤いメッシュの入ったカールした髪が揺れる。それは揺れるスカートより魅力的だった。


「はい」

「んー、サンキュー」


 Suicaと一緒にミルクティーを渡す。彼女の大きな手は左手一つでそれを一気につかんだ。


「またお茶?」

「飲みたいものないし……」

「ふーん。あー……あったまる」


 片手一つで起用にキャップを開け、ミルクティーを口に含み息をつく。私もそれに倣ってほうじ茶を飲む。キャップがなかなか開かなくて、口をつけたら思いのほか熱くて、思わず女の子らしい声が漏れてしまった。薊のようにいかない自分がなんか悔しかった。


「そんなもんだよ」

 独り言のようにつぶやく。薊はスマホを見ているようで私のことも実はよく見ていて、こういうことを言うから寄生するように彼女から離れられないのだろう。


「満たされたい……」

「んー? それは難しい」

「愛されたい……」

「誰に?」

「それは――」


 誰だろう? 家族? 同じクラスの女子? それともこれからできるかもしれない彼氏? 誰だ? 誰なんだ? 私を愛してくれるのは。

 思考がバッドトリップして脳内がぐちゃぐちゃに揺れる。クッキーを作るときを思い出す。粉とかバターとか卵とか、色々なものが混ざり合っていく過程が、誰かが私の頭の中でクッキーを捏ねる姿が浮かんでくる。


「牡丹(ぼたん)」


 私が嫌いな花の名前で呼ばれて意識はすっと日常に戻ってくる。穏やかな十月の公園。東屋。ベンチ。人間半分の距離を開けて座る薊。私を見つめる


「……名前で呼ばないで」

「嫌いなのは自分の名前じゃないっしょ?」

「そうだけど……」


 牡丹の花は縁起が悪いそうだ。花びらが一枚一枚散るのではなく、首を落とされたように花ごと枯れる。どこか忌み嫌われるその花を知って、それが自分の名前であることを知って――私もいつかぼとんと落ちてしまうのではないか、そんな恐怖心にも満たない感情に支配される。その怖さは誰ともシェアできない。


「……キスでもする?」

「はぁ?」

「いや、愛されたいって言ってたから」

「ばかじゃないの?」


 私よりはるかに頭のいい薊にこんな言葉を使う日が来るとは思わなかった。


「ばかなのか」


 カラカラと薊は笑う。


「ばかだよ」

「そっか。そっか。おっ、仲間来たみたいだからいくわ」

「はいはい。いってらっしゃい」

「寄り道せずに帰れよー」

「薊には言われたくない」

「確かに」


 薊はこれからあまり柄のいいとは言えない人たちを夜に出かける。私はパパもママもいる家で安心感なんて不確定なものに包まれておいしいご飯を食べていつ死んでもいいよねなんて思いながらロクに勉強もせずに哲学書を読み散らかす。

 今日もなんとか生き延びた。そんな風に思いながら薊に背を向けて歩き出した。

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