第46話 本当の目的に気づく

目を覚ますと、知らない天井だった。なんつって。


病室には在野さんだけがいて、他には誰もいなかった。

かなり長い間寝ていたのか、それとも私に人望がないのか。


もう少し誰か来ていてもいいような気がするが。

それにしても、在野さんか。


「…おはようございます。在野さん」

「おはよう。安心してほしい。君がここに運ばれてから目覚めるまで半日も過ぎていない」

私の疑問に先回りするように答えてくれた。…普通に質問を待ってから答えてくれた方が嬉しいことは、言うまでもない。


「結構寝た感じがします。前世ではこんな長時間気絶したことがなかったので」

「そう」

「あの、在野さん。病人に対して常識ないですよ?服も病院に来る服じゃないし」


一応指摘しておいた。彼女はいつも通り奇抜な格好をしていて、病院だというのに漆黒のスーツに黒のボーラーハットを被っており、非常に縁起が悪かった。


しかしなんだか、そんな奇抜な格好すらも懐かしく思える。


「最後に会ったのは、一年前ですか」

「うん。紅葉の面接のときだね」

「あれから、何回も電話かけてきましたよね」

「やっぱり君のような特殊な条件に置かれた人間には相談相手も必要だろうしね」


結局、私は在野さんに相談することはできなかった。あまりに自分でも馬鹿馬鹿しすぎて。

しかし相談してほしいと言った癖に、在野さんは私の枕元に立ってから会話する様子も見せず、語り始める。なにか、自分の世界に浸っているな。


「で、どうだった。過去に戻って」

「なんか夢オチだったみたいな聞き方やめていただきません?」

「もしかしたら未練がなくなってすぐ消えちゃうかもだろ?ほら、タイムスリップしたの実は精神体だけみたいなのって、割とよく見るオチだし」

「凄いですね。在野さん。そんなことまで考えてたんですか?私は一切、考慮していませんでしたよ」


私がそういうと、彼女は手を頭に当ててやれやれと言わんばかりに首を振った。

「普通はさ、君がもうちょっと悩むべきことだと思うんだけど」

「悩んでも分かんないですし。『邯鄲の枕』タイプの夢オチだって、勝手に納得してました」

「…いや、案外正しいかもしれないな。私の言った、精神と記憶のみが時を渡ったっていうのも本質的には夢オチだよね」

「確かに。そういうものですか」


…会話終わっちゃったし。正直、タイムスリップの方法云々について、私はほとんど考えていない。でも在野さんそういうこと考えるの好きそうだしな。


「…というか、家族に連絡は行ってるんですか?普通、いくらなんでも父母はこの病室にいるものだと思うのですけど」

「連絡は当然されてるよ。ただ、君のお母さんとお父さんには目を覚ましたら私から連絡すると告げている。だから、そんなに長話はできないということは、胸に留めておいてほしい。」

…だったら胸に留めるまでもなく、今すぐ電話したほうがいいと思うが。在野さん社長で私は社員なのに。


しかし、彼女はそんな上司の義務なんてものにはてんで興味がないようで、また最初の疑問へ回帰してしまった。

「で、前世に比べてどんな人生だった?」

「舞台も出来ましたし、お金もあって延命できますし…素敵な友達もいますし。これ以上求めたら罰当たりですよ」

しかし、在野さんは全くその答えに満足していないようだった。


「これは老婆心からくる助言なんだけどね。優れたストーリーというものは、立ちはだかった直接的な問題の中に、どれだけ本当の問題を隠すかにあるのだよ。読んでいるうちは気が付かないけど、言われてみれば確かに、そこさえ解決すれば全部なんとかなるというのが本当によいものだ」

彼女は未だに、私を主人公にしたいらしい。


「在野さんは、私にまだ何か隠された望みがあるっていうんですか」

「最初君とzoomしたときに言ったんだっけか。JK。例え、天下の大金持ちだとしてもね」

「ただし、その悩みのことごとくが矮小で卑近だということを除けば、興味深い話題なんですけどね。私の悩みも、結局自分の中でのことですし」

「こじらせてるなぁ。音ちゃんは。時間が巻き戻ったくらいで死ぬだの、死なないだの。私は大概考えすぎと言われがちな人間だけど、音ちゃんはもっと物事を単純化させる術を身につけるべきだね」


よくもまあ、ただの持論を、この世の真理であるかの如く話せるものである。


「それで、負けたらしいね。結局、何が起こっていたのさ。君の矮小で卑近な心象風景の中では」

「…私はオソノイに死んでほしかったんです」

この辺りのことまでは在野さんにはお見通しだろうから、さらっと話してしまう。


「まず、オソノイというのはなんだね」

「…在野さん。『メトロトレミー』のアニメ、観ました?」

「もちろん」

「どう思いました?」

「そりゃあ、ひどかったよ」

そういう割には、あまり気にしている様子はない。


しかし、その事を責めることはできない。私だって、笑って流したのだから。


「私、なんとも思わなかったんです。もうとっくにオソノイじゃないから」

「オソノイ、っていうのは君の前世の名前でしょ?そりゃあ君の中での定義次第だろうさ」

私の中でも、定義はそれほどはっきりしないのだけど、自分がさっぱり変わってしまったことくらい分かる。


「今の私が小園井音だとして、あの目が覚めた中学二年生のとき憶えていた、死ぬまでの記憶をオソノイと名付けたんです。在野さんには、オソノイがどんな人か詳しく説明したとは思うんですけど」

「いつかのzoomで話した彼女がそうなのかな?どのタイミングで切り替わったのかは、知らないけど」

「友達が瑞羽ちゃんしかいなくて、心臓病を患っただけで人生の全部を諦めて、ずっと昔の『メトロトレミー』のチャットルームとVtuberの配信ばかり観ていた女の子なんですよ」

「そりゃあ、友人にモテモテで、人生満喫して、時代の最先端を走る君とは真逆だね」

「…自分でもそう思います」


在野さんは余裕気に壁にもたれかかっている。煙草でも吸い出しそうな雰囲気である。流石に吸ったらぶん殴るが。


「オソノイは死んじゃいましたけど、幸い私は生きているじゃないですか。だったら、決めなきゃいけない。どっちとして生きていくのか」

「わざわざ友達が少なくて人生諦めた引きこもり、しかもその唯一の友達も奪われた状態に戻るっていうのかい?」

「それが、必要なら」

必要なら、というもののやはり私の中で大部分を占める感情は、オソノイがかわいそうだということだろう。


しかし彼女の意識の一部はすでに、宇宙に飛んでいってしまっているようだった。

「ふうん。ずっと気になってたんだけどさ。さっき『邯鄲の枕』の話、したじゃん」

「はい」

「あの話はさ、夢の間に素敵な人生を送れるなら現実で努力する必要があるのかっていう話だったけど。君の場合は、今この現実こそが素敵な、理想的な人生のはずなのに、それを捨てて過去の冴えない自分に戻りたいってことなんだね。ただの夢だったのかもしれない過去に」

「分かりやすく説明してくださって幸いですが、そんないいもんじゃないですよ」

「そう、そんないいものじゃない」


彼女は私の言葉を聴き終わらないうちに言った。もう。なんなんだこの人。


「その基準が播川瑞羽という女の子一人の行為に拠ってるというのがどうにも美しくないよね」

まさか美的観点からダメ出しをされるとは、思っていなかった。


「当たり前ですけど、それだけで決めたわけじゃないですよ」

「じゃあ、どうしてそんな過去に戻るっていうのさ」


「だって、かわいそうじゃないですか。瑞羽ちゃんに捨てられて、病気で死んじゃって」

「元々の自分自身が、あまりに第二の人生が楽勝すぎて、かわいそうになってきたってこと?」

あまりに明け透けなものいい、少し押し黙る。


「…昔、在野さんが、私の望みが病気を宣言することだとおっしゃってたの、憶えてます?」

「憶えているさ。もちろん」

「正解ですよ。それ。でも私の目標じゃないんです」

「オソノイの目的ってことかい?」

話が早くて助かる。こういうときだけ、在野さんは頼りになる。


「ええ。でもあれだけ求めていたのに、私、もうどうでもよくなったんです。Vtuber活動が上手くいって、友達が増えて、延命治療の支払いができる目処めどが立って。たったそれだけのことで、死の間際ずっと悩んでたことすら、もう忘れちゃったんです」

「そんなもんだと思うけどねぇ」

「だから、私はオソノイにチャンスをあげたんです」


在野さんが、片目のみ開いてこちらを見る。

「それが、くじらの小部屋だね」

「はい」

「君は、前の人生での瑞羽ちゃんとの未来を全部書き出して、瑞羽ちゃんを誘ったわけだ」

「それはちょっとだけ違いますね。最初は本当に墓のつもりだったんです」


断じて瑞羽ちゃんに無理やりストーカーをさせて、自分で逃げるマッチポンプを演じたいわけではないのだ私は。


「墓?」

「水葬ってあるじゃないですか。海とか河に骨を流すの。あれってまあ、当然文化によって意味は違うんですけど、何も、水に全て忘れ去ってしまおうってものじゃないんです。昔ながらのハワイの一部の水葬では、海に流した死体が魚や鮫に食べられるのをみて、魚や鮫に魂が移ったって考えるんです。」

「ふうん」

「そしてみんな思い出すんです。魚を見る度に死んでいった人のことを、鳥葬なら、鳥を見る度に、もちろん火葬なら墓石を見る度に」


そして、くじらに食べられればくじらを見る度に。


「だからこそ、墓が、石か魚かくらいの違いでしかないんですよ。オソノイは死んだと思ったとき、せめて彼女がこの世の何よりも大切に思っていた瑞羽ちゃんくらいには、彼女の人生の遍歴を伝えておきたかったんです。その記憶こそがオソノイのお墓になると思って」

「…それは建前だと思うけどね。忘れたくないから、忘れたくなさすぎて、でもずっと覚えてなんかいられないから、人間は墓を作るのさ。忘れたくないものを、忘れるために。そんなものさ。人間なんてものはね」


彼女は、私の言い分は間違いだとでもいうように指を振った。まさか、墓にまで持論を持っていたとは。いや、案外適当に言っているだけだったりして。


「…墓談義はやめておきましょう。長くなりそうですし。とりあえず、私はオソノイという人間の生涯なのか、ただの予知夢だったのかはわかりませんが、彼女の墓にくじらの小部屋を選んだんです。彼女はとても好きでしたから、なりきりチャットが。そして、私はくじらの小部屋を彼女に譲って、なりきりを引退することにしたんです」


私は前の時間軸であったことを、可能な限りくじらの小部屋に打ち込み、チャットを閉じたのだ。もちろん、実名は伏せたまま。ちなみに、『メトロトレミー』について話すことは少なくなったものの、チャット自体は楽しかったので、閉鎖してしまうのはとても寂しかった。


しかしここから、瑞羽ちゃんは私の予想とは異なる行動を取り始める。しかし、それすらも在野さんは言い当ててしまった。


「でも、それに反応を示す人がいた。それが、瑞羽ちゃんっていうことでしょ」

「ええ。全く驚きました。まさか特定までしてくるなんて」

「そして君は、そこまで求められるのであれば、もしかしたらオソノイの人格の方が生きていくべきだと思ったってことかい?」

流石に、私はそうまで思い切りがよくない。それに、オソノイに人格はない。いや、人格は私もオソノイも同じなのだ。ただ、その在り方が違うだけで。


「それに関しては、極めて思春期チックな悩みがあったんですよ。だって私、結局未来から戻って成し遂げたことといえば、舞台を成功させたことくらいで、Vtuberだって、結局は企業を作り上げたのは在野さんじゃないですか。それに、元居た世界と比べてVtuberの界隈が賑わっているかと言うと、そういうわけじゃないし」

「気休めの訂正を加えておくと、人は誰しも何かを成し遂げたというわけではないよ」

彼女は本当にさらりと言った。そこに、慰めの色は見られない。まあ、慰めは必要ないし、落ち込んでもいないのだが。


「ええ。そうでしょうね。私も、今の生活じゃ駄目だ、なんて焦りがあったわけじゃありませんよ。大切なことはオソノイの方にはまだやらなきゃいけないことがあったことです」

「死ぬまで瑞羽ちゃん?って子とらぶらぶして暮らすことかい?私としては、今の友達沢山で、お金持ちで、一枚別の姿を噛ませているとはいえリスナーという応援者がいてくれる君の方が、私にはよっぽど輝いてみえるけどね」


「私でも、そう思いますよ。実際、そんな風になると思っていました。オソノイは消えるんだと…結局負けちゃったんですけどね。友達が多くて、お金持ちの私は求められていなかった」

「そりゃあ、瑞羽ちゃんが友達のいなかった中学の頃から、一緒に居たんだろ?人には付き合いの長さというものがある」

「それでも、私は成長したって、瑞羽ちゃんのことも末期の会話でよく分かったんだって。そう思っていたんです」

あの日、死の間際、手を握られて、私は次こそは彼女と上手くいくと思ったのだ。


しかし、そんな私の最大の後悔を聞くこともなく、在野さんは私の死後のことまで聞いてきやがった。まるで、馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに。


「オソノイになったらどうするのさ」

「とりあえず、今の暮らしをやめて、Vtuberの配信をずっとみて、古い映画ずっと見て、『メトロトレミー』を追っかけて。普通のオタク女子高生みたいな暮らしに戻りたいと思います」

「そこだよ!」

彼女が初めて声を張り上げ、ピンと指を立てた。びっくりしたぁ。


「どうして過去に戻れるなんて思うんだい」

「別に、オソノイは努力も何もしてなかったですし、配信とか、SNSとか、全部やめたら自然とそんな風になりますよ」

当時の私は、それこそ干物のような毎日を送っていたのだから。


しかし彼女は今まで以上にはっきりと言い切った。

「不可能さ」

「へ?」

「君は怠惰な生活であれば、誰でもできるような普通の暮らしであれば、後から手に入れられると思っていたんだろ?しかし、無理なのさ。オソノイが輝かしい青春を送れなかったように、君に普通のオタク女子高生のような暮らしはできないよ」

なんて、そんなことを言う。


「そりゃあ、何もかも以前に戻るなんてことはないでしょうけど。一度やって、できたわけですし」

「いいや、一切戻れないね。戻りようもないさ。人は、タイムスリップして過去にだって戻れるし、それによって冴えない女の子が、Vtuberとして一躍有名になることだってできる。でも一度過ぎ去ったものを取り戻すことだけはできっこないのさ。人は、進み続けるのだから」


彼女は、私の病室だというのに、勝手に引き戸を思い切り引っ張った。すると間もなく、二人の人影が部屋に入り込んできた。


「「音ちゃん!」」

部屋に入ってきたのは、愛弓さんと紅葉さんだった。外で待機していたのか。

「さあ、この二人を説得するんだ。君の二度の人生で設定した目標。その両者がただの徒労だったということを証明してあげよう」


=====

21時1分に最終話投稿致します。

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