第65話 それぞれの想い

 


  ☆ □ ☆ □ ☆


「じゃあな、御幸。今度は試合で会おう」


  そう言い残して去っていく彼に、僕は何も言えなかった。


「……変わった、か」


  そう彼は言った。もちろん、自分でそれは分かっている。過去の自分が今の自分を見たのなら、何をしているんだと叱責するだろう。

  だが、あの頃のままではいられなかった。いたくなかった。仲間の命が、溢れ落ちる様をあれ以上見たくなかった。

  だから変わった。失わないために、変わったのだ。


「……本末転倒じゃないか」


  真人さんには否定され、啓大は、友は、僕の下から去っていってしまった。仲間を失わないために変わったはずなのに、その結果仲間たちから見捨てられたのだ。


「ちくしょう……!」


 グラスを呷ってみるが水滴が数個落ちてくる程度。ほとんど、飲み干してしまった。


「カースタスと、カラッと揚げです」


  ちょうどその時、僕の目の前にお酒と料理が運ばれてきた。僕は注文していない。ということは、さっき真人さんが注文していたものだろう。

  他人が頼んだものを勝手に食べていいのかという逡巡。しかし気づいた時にはお酒が入った木彫りのコップを手に持っていた。


「あれ? 副団長、珍しいですね。お酒飲むなんて」


  コップを机に置き、振り返る。そこには騎士団の制服を身に纏った少女が立っていた。


「そんなに意外かな?」

「あ、すみません。ただ、副団長はお酒が苦手だと聞いていましたので……」


  慌ただしく手を四方八方に動かしながら弁明してくる。


「大丈夫だよ。あ、そうだ。このカラッと揚げ、君も一緒に食べるかい?」


  そう尋ねた途端彼女は瞳を輝かせたが、すぐに輝きは曇ってしまった。


「……えっと、その、自分なんかでいいのでしょうか……?」


  瞳は揺れて、声はか細い。そんな彼女の様子を見て、僕は最大級の笑顔を作った。


「問題ないよ。もたろん、君が嫌じゃなかったらだけどね」

「そんなことないです!」


  突然大きな声を出した彼女は、そこでハッと我に返り頬を赤らめ下を向く。


「ふ、副団長がよろしいのであればぜひお、お願いします……」


 小さな声でそう言うと、恐る恐る僕の前の席に座る。そんなあどけない仕草を微笑ましく思いながら、コップに注がれたお酒を口に含む。


「副団長は、そのお酒好きなんですか?」


  口の中いっぱいに広がる苦味。顔が歪んでしまいそうになるのを堪えて、飲み下す。


「いや、嫌いだよ。このお酒がというより、お酒自体が、だけどね。ただ、」

「ただ?」


  深い苦味に飲んだ後に感じる妙な浮遊感。抑えている枷が壊れてしまいそうになる程に、思考がぼんやりおぼつかない。


「今の僕には、これがちょうどいい」


  ――そう言って僕は、嫌いなものを全て飲み下した。


  ☆ □ ☆ □ ☆


  サンミドルの路地裏にて。

  一定間隔で刻まれる足音が辺りに響いた。


「やあやあ、調子はどうだい?」


  彼女はそう問いかけると、男は髪の色同様の赤い瞳で睨みつける。


「調子もなんも、アレを捕らえてるだけなんでねェ」

「あっはは、そういえばそうだったね」


  可笑しそうに笑う赤毛の少女に向けて、男は苛立たしげに舌打ちをする。


「なんの真似だァ。邪魔なんなら、さっさと殺せばいいじねェか」

「それをわたしに言われてもね。魔王に指示された通りに動いてる身でね、その意図まではとてもとても……」

「じゃァ、その指示待ち人形が俺に何の用だってんだ」


  くしゃくしゃに丸めた紙を、男は彼女に投げ付ける。彼女はそれを難なく受け取り、やれやれと肩を竦めた。


「なんでそんなに苛立ってるのかな。もうちょっと落ち着きを持ったらどうだい?」

「落ち着け? よくわからん指示を出され、部下を城へ残していくよう命令され、幹部連中が次々に死んでっている状況下で落ち着けだァ?」

「そんな事まで指示されてたのか……」


  男の言葉に女は目を丸くさせる。だが、男はそれに構わず彼女に詰め寄った。


「ミルカンディアも、ギアルガンドの件もまだ動かすべきじゃなかった。準備は出来てんだろうが、わざわざ不確定要素がある状況だったろ」

「まあ、それは否定しないよ」

「それに今回の任務。上は何考えてやがる」


  吉岡 啓大の捕縛。

  反乱分子の排除であれば、早く殺せばいい。情報を聞き出すのなら、魔王城へ連れ帰って尋問なりなんなりすればいい。それなのに、なぜこの街で閉じ込めているのか、それが男はわからずにいた。


「あれは餌だよ。餌にするには大きすぎるけどね」

「餌って、何を狙ってやがんだァ」

「魔王の目的のため必要な駒……いや、鍵かな」

「はァ?」

「これ以上はわたしも知らないからね。詳しく知りたいのなら魔王に言うといい。答えるかは知らないけど」


  投げやりな女の返答に、男は「答えるわけねェだろうよ」と苦々しげに吐き捨てた。今、彼にとって魔王への信用は0に近い。そんな様子の男を見て、女は口角を吊り上げた。


「そんな君、シモン君に相談なんだがわたしの協力者になってくれないか?」

「……何言ッてやがる」


  男は胡乱な視線を彼女に向けるが、女はそれに動じず大袈裟なまでに手を広げた。


「不安に思ってるんじゃないのかい。同僚が次々に死んでいっていることに」

「何が言いたい」

「なに、簡単なことさ。わたしに協力してくれるのなら君が不安に思っているようなことは起こらないと約束しよう。もたろん、妹君もね」


  女の瞳は妖しく輝き、苦虫を噛み潰したような表情のシモンを映し出す。

  シモンはすぐに答えることはせず、女の意図を読み取ろうとする。しかし根本的に情報が足りない。一分、二分と熟考するが答えが出せない。


「……そもそもとして情報が足りねェからよ、魔王とテメェのどっちが信用出来るかなんて判断出来ねェ」

「そうかい。それは残念だ」


  女は瞑目すると、何かを振り払うかのように頭を振った。シモンはその動作が一通り終わったことを確認すると、「だが、」と言葉を続ける。


「もし、俺の身に何かあったら妹を助けてやってくれねェか」

「……へぇ」


  女の瞳が再び妖しく輝る。


「もちろん、対価を払ってくれるんだよね?」


  確かめるようにそう言うと、シモンは明らかに嫌そうに頷いた。


「……協力者にでもなんでもなってやらァ。ただし、信用したわけじゃねェからな」

「それでいい。いや、それがいい。イエスマンなんてわたしは求めてないからね」


  上機嫌で頷くと、彼女はシモンに手を差し出した。


「シオの名にかけて、君との約束は守ろう。これからよろしく頼むよ、シモン君」

「テメェの名前にかけるのなんの価値があんだよ……。……よろしく」


  方や妹のため。方や自分の目的のため。それぞれの利益のために結ばれた同盟。サンミドルの裏路地で、新たな第三勢力が生まれていた。

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