第54話 愛蜜の時間

 暫く二人に代わる代わるハグされながら、たまに彼女たちのどちらかが顔に降らせる唇の雨に目を瞑る。頬に伝った涙の跡は、彼女たちの柔いそれが拭い取っていった。


「やっと泣き止んだ」

「ぅ、ごめんね?」

「怒ってないよ」


 今度は星羅ちゃんの唇が目尻に落とされる。軽いリップ音の伴った口づけは、この数時間で何度目だろうか。まだこういった距離感で接することに慣れていないせいか、妙に腰が引いてしまう。


「真白ちゃん、こっち向いて」

「ん、ぇ?」


 優依ちゃんの唇が、閉じた瞼に触れた。振り向いたら彼女の顔が想定外に近くにあって、驚いて目をつむってしまったのだ。薄い皮膚が感じる彼女の熱。


「なんか、本当……夢みたい」


 これは私が見ている夢なのではないかと思ってしまうくらい、微睡みの中のように穏やかな時間。もう会うことすらないかもしれないと考えていたはずの二人が、私の恋人として隣にいてくれる幸せ。拒んだはずの未来が、気が付かないうちに手の中にあったこと。


 それらすべてが現実だとは、到底思えないのが本音で。


「夢じゃないよ」

「何回でも言うけど、私らはマシロの恋人なの。いい?」

「う……ほんとに私でいいの、かな」


 本来の私は二人より幾分か年を食っているし、ゲームとしての彼女たちに触れてきただけ。この数カ月間を、彼女たちのために使っただけ。それなのに結ばれるのが私でいいのだろうか。まだ残っている疑問の中の一つではあったのだが、それが今になってまた出てきてしまったらしい。


 私は二人にふさわしいのか。二人の隣を歩くのは私がいいけれど、私でいいのだろうか。


 不安が頭を過る。私よりも素敵な人はたくさんいるから。


「はぁ」


 溜息が聞こえた。ああ、怒らせてしまっただろうか。それとも呆れられた? どちらにせよ、怖かった。ようやく手にした幸せを手放したくはなくて、顔を上げる。


 唇が、唇に触れた。


「ねえ、いい? マシロ。私達は、マシロがいいの。マシロ以外ありえないの。手をつなぐのも、抱きしめるのも、こうやってキスをするのも」


 触れて離れたそれが、もう一度触れた。柔らかくて優しい。


「星羅、いいこと思いついた」

「どしたの、優依?」

「私達がどれだけ真白ちゃんのこと思ってるか、教えてあげようよ」

「っふふ、それは名案! さっすが優依だね」

「真白ちゃんも、いい……よね?」


 どこか脅迫めいた、それでも美しいその笑顔に、思わず首を縦に振っていた。




 舌が舌と絡み合う。舌の輪郭をなぞり、上顎を擦り、舌の感覚が頭のすべてを占めていくような。気持ちいい。少しずつ身体に溜まっていく、背徳感。


 身体から、徐々に力が抜けていく。


 酸素が足りなくて、頭がくらくらする。舌から、唇から、ゆっくりと、じんわりと侵食するように押し寄せてくる快感。未知の世界に触れてしまったせいで息をすることが頭から抜けてしまって、息苦しさに耐えかねて彼女の服の裾を何度か引く。


 離れていく唇との間に、銀糸が伝った。


 ディープキス。深いキス、とか。言葉としては知っているし、映画やそれこそゲームなんかで見たことがあるから、よく知っている。けれど、知識と実体験とでは全く違うことを、私は理解できていなかったらしい。


「っ、んぅ、ッ……、ゃぁ、ゆい、ちゃ?」

「っふ、……なぁに、真白ちゃん」

「これ、……はずかしいよ」

「ごめんね? でも、こういうことをしたいって思うくらい、私達は真白ちゃんのこと愛してるんだよ」

「だから、全部伝えきるまでやめてあげない。いーい、マシロ?」


 言葉が頭に染み込んでいく。この”気持ちいい”が彼女たちの愛なのであれば、それら全てを欲してしまいそうだ。口付け一つがどれほど満ち足りるものか知ってしまったから。


「マシロ、次は私と」

「ぇ、あ、んむ、っ」


 星羅ちゃんの唇はほんのり桃色に色付いていた。笑みひとつが妖艶に見えて、また頭がくらりと揺れた。


 唇と唇が重なる。唇同士が溶け合ってしまいそうなくらい柔らかくて、何度か繰り返されたそれが離れていくと寂しい。


「ぁ、ん」


 ほんの少し名残惜しくて、唇を目で追った。


「……素でそういうことやるよね、ほんと」


 目の中の光が、妖しく揺らめいた。獰猛な獣を瞳の奥に飼いならしているかのように思える澄んだ青に呑まれる。


 再度近づいてきた唇に、目を閉じて。


「っんむ、ふ、ッぁ……ぅ、っん、ぁ、せら、ちゃ」

「ん、っ……ましろ、かわいい」


 口の中を蹂躙される。優依ちゃんが思考を溶かすなら、星羅ちゃんの口付けは荒っぽくも的確で強い快感を与えてくるような。


 閉じている目のせいか、やけに鮮明に聞こえる水音。今自分がしていることが厭らしいことであると自覚させられる。思考が、快楽に眩んでゆく。


「きもちいい、ましろ?」

「ん、っぅん、きもちぃ、よ……?」

「目とろんとしてる、真白ちゃん可愛い」


 口の端に垂れた唾液が、優依ちゃんのキスで拭われた。リップ音すら、私のお腹の奥を疼かせるような気がしてしまって、恥ずかしい。


「ぅ、こういうこと、するんだよね……?」

「そうだ、って言ったでしょう?」


 顔が近い。またキスされる、そう思って目を瞑った私の首筋に、柔らかい唇が触れるのを感じた。


「ひぁ、ぅぇ、優依ちゃん?!」

「んー……?」


 首とは、人間の急所の一つである。即ちそもそも耐性がない部位だと言えるだろう。だから仕方ないのだ、私の腰が刺激に引けてしまうのは、慣れていないから。


 それだけのはずなのに、彼女にキスを落とされる度、腰が跳ねてしまうのだ。


「っや、ちょ、っとぉ……首、ねえ、汗かいてるからっ」

「真白ちゃんの匂い、とっても落ち着くから問題ないよ?」

「私がだめなの、ぁう、ッん……! ぅ、なんか首、ゃぁ……」

「マシロ、感じやすいのかな? かわいい」


 高いリップ音を立てながら、首元にキスを何度も落としていく優依ちゃん。次第に長くなり、吸われたり、舌でチロチロと舐められたり。また厭らしさを増していく行為に、腰がゾクリと疼く。唇の感触が、舌の質感が。脳に快楽を覚え込ませるように、何度も何度も繰り返された。


 私を揶揄するように、星羅ちゃんは私の身体全体をゆっくりと撫で始める。焦らすように、手のひらの体温を私に伝えるように。与えられる快感の炎が、燻り始める。徐々に火照り始める体。音。そして、私を見つめる二人の視線。


 艶っぽい二人の姿に見惚れていた。


「横になろっか、真白ちゃん」

「その方がマシロも楽だろうしね」

「っ、うん、っ……」


 すっかり絆されてしまった私は、今から二人に暴かれる。

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