第53話 ただいま
「おかえり、真白ちゃん」
「ほら、マシロ」
「ただいま、優依ちゃん、星羅ちゃん、っ……!」
繋いだ手は温かい。重ねた手の柔らかさと、ぬくもりと、安心感。
彼女たちのあたたかさに目が潤んだ。こぼれ落ちないように唇を噛む。
「マシロ、それだーめ」
「ぅえっ」
「血出ちゃうでしょ、だめ」
指がそっと唇に触れる。諌めるようにそっと優しく。
今度は、目尻を撫でる指。頬に伝うそれは、涙の代わりのように。
「大丈夫だよ、私達はここにいるよ」
「ありがと、優依ちゃん」
「玄関先でやるのもあれだし、マシロの部屋とか上がらせてもらえない?」
「あ、うんっ」
先程までは引かれていた手を、今度は私が引っ張った。
最近はずっとふさぎ込んでいたせいで片付ける気にもなれなくて、いつも以上に散らかった部屋。その惨状を扉を開けるまで忘れていて、「あ」なんて情けない声が口から零れた。
「んー?」
「あ、えと、三十分だけ……」
「まだ待たせる気?」
「部屋のことなんて気にならないよ。真白ちゃんとお話したいだけだから入れたら嬉しいんだけどなぁ」
「う、わかったよぉ……汚くてごめんね」
いつもなら絶対に二人を入れることなんてしないのだけれど、今は二人の温度を近くに感じていたかったから。言葉に絆されて、自分のテリトリーに二人を招いた。
『柊真白』である自分に自信が持てなかった頃はここに二人を招くことを避けていた節がある。どうにも、自分ではない誰かの場所に勝手に踏み入って、大切な人を招くという状況は善くない気がしていたからだ。でも、今日。少しだけでも、自分が真白である自覚ができた。この場所にいてもいいんだと思えたのは、二人のおかげだ。
「思ってたより全然キレーじゃん」
「あ、ありがとう……?」
「座っても大丈夫?」
「えと、好きなとこで大丈夫だよ」
私の隣に、二人がいてくれること。そんな幸せを噛みしめる。数時間前には考えてもいなかった未来。
「あ、二人共お茶で良ければ飲む? 準備悪くてごめんねっ」
「そんなことよりさ、マシロ」
星羅ちゃんの目が、私のことを射抜いた。真剣な顔つきに、思わず背筋が伸びた。
「告白の返事、あれ、本当?」
ぐ、と、喉をつかえるような感覚があった。そうだ。私は二人からの告白の返事を蹴っている。それが本心でないことを、聡い二人は気付いてくれた。でも、本当の気持ちは、まだ伝えられていない。
「私も聞きたい。真白ちゃんが本当はどう思っているのか、教えてほしいな」
私がずっと抱えていた思いを、告げるときが来てしまったのかもしれない。覚悟はできた。伝えたい想いは、本当は山程あった。言葉にしたくてもできなかった。
でも、もし許されるのならば。私の想いは、ただ、ひとつだけ。
「私は、わたしは、っ……。優依ちゃんのことも、星羅ちゃんのことも大好きです。ずっと二人と一緒にいたいし、これからも二人と変わらない関係でありたい。どっちかを選んで、三人でいられなくなるのは嫌だ……!ワガママだけど、これが、私の素直な気持ちだよ。二人のことが大好きですっ……ちょっとだけでも、伝わったかな」
今度は、目をそらさずに言った。現実から、二人の思いから。目をそむけるのは、もうやめる。
「マシロ」
私を呼ぶ星羅ちゃんの声。私に向けて、彼女の両の腕が伸びてくる。
……抱きしめられる。なんとなくそう感じた。
予感の通りに、細腕が私の体を包み込んだ。あたたかい。体が。そして、心が。
「ずるいよ、星羅だけ」
「ごめんってば、優依」
「真白ちゃん、私もいい……?」
返事をする一呼吸前にはもう、優依ちゃんが星羅ちゃんの反対側から私のことを抱き寄せていた。
二人の間に挟まれる私。百合の間に挟まるなんて……と薄っすらと考え始めている自分に気付いて、苦笑する。
あれだけ思い悩んで決断して、涙を流しながらも二人の幸せを願ったはずだったのに。今やまた、ただの百合ヲタに逆戻りである。まあ、これが私らしさなのかもしれないが。
なんだかいい匂いがして、ふわふわと思考が眩んでゆく。幸せに包まれる。真綿のように柔らかで、絹のように細やかな。体が、心が、彼女たちに包まれる。
ずっとそうしていたい。抱きしめられること、彼女たちが私の腕の中にいてくれること。
「好き……優依ちゃんも、星羅ちゃんも、好き、だよ」
でも、私のこの気持ちはどうしたらいいんだろう。二人に抱いている『好き』が恋愛感情に限りなく近いものであることは、二人のおかげで気付くことができた。
付き合いたい。二人と一緒に、これからを歩いていきたい。
けれど、そのワガママはこの世界では通せない。
『放課後メルティーラブ』は、ギャルゲーである。一時期狂ったようにプレイをしていた私だからわかるが、このゲームにおいてのエンディングは三通りだけ。
優依、星羅、真白。どのヒロインを選ぶか、それだけだ。
「二人ともが好きだから、どうしたらいいか、わかんない……」
「私も真白ちゃんが好きだし、真白ちゃんとお付き合いをしたいって思ってる。きっと、それは星羅も同じだと思うの」
「そーね、みんな友達、ってのは違うと思う」
「でも、付き合うってなったらどっちかを選ばないといけないよね。……それは、できればしたくない」
主人公が柊真白である以上、エンディングの種類は二通りだ。優依ちゃんを選ぶか、星羅ちゃんを選ぶか。どちらかを選んで、どちらかだけが報われない。そんな結末は、絶対に嫌だ。だからこそ両方の告白を断る、という結論に至ったわけだし。
友達ではない、親友でもない。恋愛感情を持った関係になりたい。
ゲームで不可能だったことを、可能にしたい。
「別に、選ばないでもいいんじゃない?」
その言葉に弾かれたように、俯きかけた顔を上げた。声を発した星羅ちゃんは、なんでもないような顔をして言葉を継いでいく。
「二人一緒に付き合っちゃえばいいじゃん。こうすれば、全部まるく収まるでしょう?」
「っえ、でも、それって」
「星羅、本気なの……?」
私も優依ちゃんも、考えてもみなかったことだった。二人同時に、なんて。それこそゲームの中でしか見たことがない。
「本気も本気よ。だって両方を選びたいってワガママな私達の想い人がいるんだし」
「ぅう……」
「もしかしたらマシロは、二股みたいになって気乗りしないかもしれないけどさ。私は、優依とだったら、いいよ」
「星羅……っ」
「ねえ、優依は? この提案、どう思う?」
「私、も」
迷いながらも言葉を選ぶ彼女の瞳は凛としていた。心を決めた、と言った様子の彼女の言葉は、やはりいつものように澄んでいた。
「星羅とも、仲良くしていたい。真白ちゃんとは特別な関係になりたい。だから……星羅となら、いいよ。勿論、真白ちゃんがよければ、の話だけど」
二人分の目が、合計四つの、未来への不安と輝きを綯い交ぜにした、美しい瞳が、私を見つめる。
大好きな二人が、私のために。私達のために出してくれた、最高の提案だった。
「二人がいいって言ってくれるなら、……いや、二人が、そう言ってくれたなら私も、二人とずっと一緒にいたいっ……! 大好きな二人と、恋人になりたいです。
私と、お付き合いしてくれますか?」
「喜んで、真白ちゃん」
「マシロ、遅いよ」
二人のはにかむような笑顔に、なぜだか涙が溢れ出していた。
ぐすぐすと嗚咽を上げながら泣き続ける私の頭を撫でる星羅ちゃんと、抱きしめながら背中を擦ってくれる優依ちゃん。
ああ、本当に私は二人とお付き合いをしているんだ。そんな事実を肌で感じて、また涙がぽろりと零れる。
伸ばしたかった手を引っ込めた。
自分はふさわしくないと切り捨てて、二人の前から消えようとした。
前世でもそれは同じだった。世界で生きていくのに、自分は不釣り合いだと思った。
だから、自分だけの殻に引きこもって、只管自分を受け入れてくれる世界を愛した。
本当は光に手を伸ばしていたかったのに。目の前にある優しい闇に甘えていた。
でも、今の私は光の中にいる。
「ありがとう、っ……!」
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