第52話 変わらない想い

 走りすぎて、疲れてしまった。慣れないことをしたからだろうか、足が引き攣るような感覚と、体の重さ。上がった息と、脈打つ心臓。


 かき乱された気持ち。救われたいと、一瞬でも思ってしまったこと。手を伸ばしたかった。本当は、隣に居たいと願った。二人の温度を感じたかった。夢に溺れたかった。優しさに包まれていたかった。


 情けなくて泣きそうだ。でも、もう、涙はよくない。被害者ぶるのはやめよう。泣きたいのは、本当は、私ではなくて優依ちゃんや星羅ちゃんだろうから。


 家に帰ろうと思ったが、なんとなく嫌だった。家に帰ったら、本当の孤独に潰されてしまいそうだったから。


 人の往来。まだ夏の匂いが漂う街には、制服を着て遊び回る学生、スーツを着た社会人、のんびりと歩く老婦人、走り回る子供たち、ひとり佇む私。人で溢れていた。


 喧騒が心地よかった。一人の静かさに、耐えられなかった。ほどよく賑わう街の中心部と、私たちが通っている学校は近い。私が今着ているのと同じ制服も何度か見かけた。学校帰り、遊びに来るには丁度いい場所だからと、このへんにはよく同じ学校の人達が溜まっている。


「いいな」


 ぽつり。私も、優依ちゃんと星羅ちゃんと、遊びたい。買い物したり、ゲームセンターに寄ってみたり。勉強会をしてみたり、お家でだらだらおしゃべりしたり、カラオケしたり映画を見たり、お泊まり会とか、もっと色々。陳腐な脳みそでは出てこないアイディアを、彼女たちはきっと持っているだろうから。


 羨ましいと思ってしまった。友達同士でいいから、もっと二人といたかった。でも、恋愛感情を抱いてくれている二人にとって、私のこの思いは傷つけるだけの代物なのだと思う。


 女の子同士の恋愛。友達を超えた一線に誘われた私は、どう返すのが正解だったんだろう。


 『真白ちゃん』が二人の告白を受けていたら、一体どうなっていたんだろう。


 考えても無駄なことを、ただ只管に考え続けた。また、歩き出した。落ち着ける場所に、行きたかったから。



 いつの間にか、この間星羅ちゃんに誘われた公園に来てしまっていた。程よく静かで、たまに犬の鳴き声や幼い子供たちのはしゃぐ声、お母さんたちが密やかに雑談をする声が聞こえるくらい。この場所の居心地の良さに浸る。


 木陰に入ると、少しだけ涼しい。風がそっと頬を撫でて、爽やかに吹き抜けていった。飲み物を飲みたかったけど、なんだか動く気力もなくなってしまって、結局ベンチに腰掛けて、息をつく。


「好きなんだけどな」


 二人のことが大好きだ。悲しい顔をさせたくない。笑顔で居てほしい。隣にいたい。推しに抱く思いだったことは否定できない。でも、どれも優依ちゃんと星羅ちゃんに抱いた思いであることに違いはない。


「大好き、なんだけどなぁ……」


 この好きを伝えられたらどんなによかっただろう。二人を不幸にしない結末を選んだはずなのに、結局二人の笑顔を見ることができなくなってしまった。


 ……少し経ったら、私のことを忘れて笑っている二人を見ることができるだろうか。そうだったらいいな、と思う気持ちと、寂しいと思う気持ちが混ざった。


 好きで、大好きで仕方ないのに、どうにもできない。空を仰げば、雲が流れるばかり。滲むような青空の色。眩しい太陽に目を細めて、青さを噛みしめる。


「マシロ!」


 青空はどこまで続いているのだろう。なんて。思考に浸っていられればそれでよかったのに。太陽はひとつで構わないし、私は二人の前から消えようと思っていたのに。


 眩しい太陽は、何故か私を照らそうとする。


「星羅ちゃんッ、なんで」


 なんで、来たの。そう問うたつもりだった。けれど、彼女は問いには応えてくれない。


「はー……ほんと、探したわ。荷物も部室に置いてくしさ、びっくりしたじゃん」

「え、嘘っ」


 呆れたような彼女の声色に自分の身辺を見回すと、たしかに私の所持品はゼロである。飛び出してきてしまったとはいえ、まさかカバンを忘れるなんて。


「あり、がと」

「どういたしまして。……ねえ、なんで逃げたの?」

「っ、なんでって」


 そんなの、私が聞きたいよ。柊真白ではない、見知らぬ女を探して追いかけてくる神経が理解できない。彼女の声を聞いて、嬉しいと思ってしまった私の感情も理解できない。


「だって、私は真白じゃないからっ」


 つまるところ、それが全てだ。私自身は二人のことが大好きだから、可能ならば二人の傍にいたい。でも、私は二人を裏切った。真実を隠して、偽りを二人に押し付けた。だから、二人の前から消えることが正義だと思ったのだ。


「それがどうしたって言うの? 中身なんて関係ない。マシロはマシロでしょ? 私が好きになったのはあんた自身。マシロという名前だから好きになったわけじゃないし、マシロの身体だから、一緒にいるわけじゃない」


「っ、じゃあ、なんで」


「マシロが好きだから。それじゃ足りない? 初めて会った時も、今も、変わらない。ずっとずっと、私はマシロのことが好きだよ。これから先、一緒に歩いていきたいのは、マシロだよ」


 真っ直ぐな目。見つめると焦がされてしまいそうなくらいに熱くて、強くて、凛々しい。


「今日まで過ごしてきた毎日は、なにも変わらない。これまでたくさんの時間を一緒に過ごしてきたあんたのことが、好きになったんだ。マシロのことが好きって想いは、変わらない。私達の想いは、こんなことくらいじゃ揺るがないよ。ねぇ、そうでしょ、優依?」


「っ、はあ、っ……そうだよ!」


 星羅ちゃんが目を向けた先には、急いで走ってきてくれたのだろう優依ちゃんの姿があった。髪は乱れて、息も上がっている。


 そんなに急がなくてもいいのに、なんで私なんかのためにそこまでしてくれるのか。わからない。なんで。


「私だって、真白ちゃんのことが大好きだよ。最初は、戸惑ったけど。……でも、真白ちゃんは真白ちゃんだし、真白ちゃんにしてもらったことはたくさんあるんだもん。一緒に過ごした思い出も、全部、真白ちゃんと作ったものでしょう? だから――」


 言葉が切れる。彼女の瞳を覗く。

 普段は見せない熱っぽい色が、踊っていた。


「だから、私達のこと、少しは信じてほしい。ずっとずっと好きでいるよ、真白ちゃんのことも、楓さんのことも。これからも、傍にいたい」


「ねぇ、一緒に帰ろう? マシロ」

「真白ちゃん」


「っ、うんッ……」


 二人がそれぞれ、手を伸ばした。指の先にいるのは私。向けられた手は、私に伸びている。私は、その手を、躊躇いながら。


 掴んで、握った。もう離れたくない。そう思ってしまったから、少しだけ強く。


 蝉時雨が遠のいた。三人分、スカートが揺れた。

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