第49話 望まぬ再会


 世界全体が赤く染まってしまったような錯覚を覚える。歩く足音は私一人分、優依ちゃんから言われた言葉が頭の中を埋めていく。


 「好きになれてよかった」なんて言われる未来、私は想像していなかった。ゲームの中の『優依』が言うセリフにこんなものはあっただろうか。


 私が思い出せないくらい薄っすらと出てきていたのかもしれない。あまりに甘すぎる言葉。諦めともとれる表情。思い出せないけれど、やっぱり彼女の寂しそうな顔は見ていたくないなあ、なんて思う。


 「好きにならせてくれてありがとう」感謝なんてされていい人間じゃない。私が真白ですらないということが知られてしまったら、彼女たちの表情はどう歪むのだろう。


 悠一を追い出した時のことを思い出す。そこにあった、確かな拒絶。優依ちゃんと星羅ちゃん両方に共通していたのは、そんな瞳の色。


 もっとわからなくなってしまった。そうこうしているうちに、夏休みは終わるのに。



「ッあ!! お前っ……!」


 今、一番聞きたくない声が、私の。……否。真白の名を呼んだ。


「悠一、っ」

「は、お前も結局一枚なんか被ってたってことか。あーあ、お前がいなきゃオレは今頃ハーレムの中にいたってのに、邪魔しやがって」

「アンタみたいなやつが女の子たちをたぶらかしてるとこ、黙ってみてろっていうの!? 嫌に決まってるでしょ、そんなの。だから悠一のことを告発したんだから」

「あーハイハイ。別にそういうお気持ち表明は求めてないんだよなぁ」

「じゃあ何だって言うの……?」


 悠一と喋っていると、苛立ちが抑えきれなくなってしまう。彼の人を小馬鹿にしたような態度に、一切反省の色を見せない姿、何よりも真白を下に見る態度。


 お前は私に排斥されたのに、どうしてそんなに余裕ぶっているんだ。結局今、彼の居場所はどこにもないはずなのに。


「真白、お前がゲーム同好会をぶっ壊すところを楽しみにしてるってだけさ」


「っ、はぁッ!? そんなの、あり得ないから」

「いや、ありえるだろ。お前のせいで優依と星羅の気持ちは離れて、そのまま解散になるだろ? どっちを選ぶのか知らねえが、どっちを選んだってゲーム同好会は終わりだよ」


 ざまあねえな、なんて悪役じみた笑みを浮かべている悠一。下卑た笑い方のせいで気分が悪い。悠一のそういう態度はずっと好きになれないし、一切なりたいとも思わないが、こいつの言葉はやけに私に突き刺さる。彼の後ろから差す西日が、妙に赤い。


「全部、お前が引き起こしたことだ。俺を追い出して、甘い蜜は全部お前、真白が吸ってる。結局俺とやってることはなんら変わんねえだろ? 思い出してみろよ」


 痛い。嫌だ。考えたくない。

 頭が痛い。胃がキリキリする。ぐるぐるして、気持ちが悪い。


「ッハは! せいぜい悩めよ、『主人公』サマ?」


 また私のことを馬鹿にするような笑い声が響く。先程までは優しく思えた赤が、目に焼き付いている。


 お前が悪い。悠一と、なんら変わらない?


 突きつけられたのは、事実なのか、虚言なのか。その境目すらわからなくなっている自分がいる。


 私が思考の渦に飲まれていくのを嘲るように、じっと私の瞳を見つめた彼は、踵を返してどこかへ行ってしまった。何なんだ、と怒りをぶつけたいのに、彼の言葉が、彼の行動が、それをさせてくれないのだ。


 彼の言葉に正当性を感じてしまったから。


 「違う」と言えなかった。私はお前とは違う、と言い切りたかったはずなのに。


 元々は、彼から守るという目的のために悠一を陥れた。彼のハーレムから、私の大切な人たちを救い出すために。


 けれど、今はどうだ。


 結局私は二人の感情を弄んでいるような、苦しめているような気がしてしまう。そもそも悠一を放っておけば、ハーレムの中のひとりとは言え悠一という主人公に愛される物語が完成していたはずなのだ。私がやったことは、真白という人間のふりをしてゲーム同好会を引っ掻き回しただけだったのかもしれない。


 悠一が作ろうとしていたのはハーレム。彼女たちを愛する人がいて、それは紛れもない愛である。ハッピーエンドだ。優依ちゃんも幸せ、星羅ちゃんも幸せ、ついでに主人公も幸せだし、プレイヤーだって幸せだろう。疑いようもなく、紛れもないハッピーエンド。


 さて、今、私が向かおうとしているのは一体どこなのだろう?


 一体私が進む道で、誰が救われるだろう。私の魂だけ、だろうか。二人が幸せでないと救われない私は、私だけが救われる道を選ぼうとしているのか。そもそも私は、元の世界ではただのニートだった。親の穀潰し、すねかじり。ゲームばかりするヲタクで、ギャルゲーマー。私が救われて、何になる?


 優依ちゃんや星羅ちゃんは、前途有望な女子高生だ。子供と大人の狭間。何にでもなれる年齢。十七歳の未来を潰そうとしている私。元の世界では彼女たちよりも幾ばくか年上で、『大人』と呼ばれるはずなのに。私は救われるばかりで、彼女たちに何も返せていない。彼女たちに、愛すらも渡せない。私に何ができるのか。また、嫌気が差してきた。


 私が二人を選ぶということ。どちらかを選ぶということは、どちらかを選ばないということ。それは明確だ。誰だってわかる、そんなシンプルなこと。


 どちらかを選ぶということは、どちらかを幸せにするということ。選ばないということは、選ばない方を不幸にするということ。


 私は、優依ちゃんのことも、星羅ちゃんのことも不幸にすることはできない。つまるところ、私は『選べない』という結論に至ったということだ。


 選べないということは、ふたりとも傷つけるということ。私が、彼女たちを傷つける。


 そこで、不意に気付いた。……私がいるから、二人を不幸にしているのではないかと。


 告白に対する返答は決まった。息が上手に吐けない。足も上手に動かなくて、その場に蹲る。膝を抱える。視界が歪むのに気づかないふりをして、何度も何度も瞬きをした。


 夜がやってくる。全てを包み込む、優しくて恐ろしい夜が。


 今はただ、夜の闇に溶け込んで、隠れていたかった。二人の不幸の原因が自分だと理解してしまったことから、逃げ出すように。早く覆って隠して、醜い私を許して。


 夕暮れが夜に呑まれていく。立ち尽くす私は一体何者だ。




 布団にくるまった。このまま誰にも見つからなければいいのに。夜の闇に守られて、朝の光に暴かれる。朝が来た。来てしまった。


『二人にお返事したいです。放課後、部室に来てもらいたいんだけどどうかな?』


 早朝と深夜の狭間に送ったメッセージ。時間と共に、順繰りに既読がつく。


『了解! ありがと、真白ちゃん』

『放課後ね、オッケー。また後でね』


 彼女たちに会えることを心待ちにしていた。今日だけは、そう言い切れないけれど。時間が過ぎないことだけを願っていた。


 始業式の校長の長いお話は頭を上滑るばかりで、授業の内容もいまいち入ってこない。板書だけはきちんとしていると思っていたのに、字がいつもより汚いし取るノートを間違えるし。本当に散々だ。


 時計が回っている。時間が止まればいいのに。願っても願っても、秒針のスピードは変わらない。時計が壊れたところで、時間が流れる速度も変わらない。


 変わったところで私の選んだ結末は変わらないのだから、なんの意味もないけれど。


 昼休みも会話は特になく、いつもより味のしない昼ごはんをお茶と一緒に流し込んだ。寂しいなあ、と思うけれど、きっとこれ以上の寂しさを二人に味わわせているのだろうと思うとこれは然るべき罰のような気がする。キリキリと痛む胃に気付かないふりをしながら、放課後を待った。


 『放課後メルティーラブ』を終わらせるための放課後が、やってくる。


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