第47話 笑顔のキミが好き
『今日、会えない?』
昨日、普段はあまり使わない脳みそをフル稼働させたせいか、気がつけば朝がやってきていた。どうにか浴衣はきっちりと畳んであったのでよかったものの、乙女の風上にもおけない格好で布団の中に潜り込んでいたらしい。
……さすがにもうちょっとどうにかできなかったのか、とは思うが、昨日は疲れてたし、なんて言い訳する。
さて、誰にも届かない言い訳をしたところでスマートフォンを開くと、星羅ちゃんからのメッセージが来ていた。
本来だったら、飛びつく連絡だ。星羅ちゃんとお出かけ。行く、とメッセージの返信をしかけたところで、思いとどまる。
昨日の今日で、会ってもいいものなのだろうか。
私は昨日、最後まで物語を受け入れるという決断をした。けれど、肝心の星羅ちゃんと優依ちゃんへの返事は決めきれていないのだ。好き、と言われている状態で、返事も何もなしに彼女と会って話していいのか。
前世では何分経験がなかったもので、躊躇いを覚えてしまうのも事実である。
どうしようか悩んでいるうちに、もう一件通知がくる。
『返事がほしいってより、顔見たいんだ。どうかな』
見透かしたかのようなその言葉に、心が揺れた。
『まだ、返事できないと思うけど、いいの?』
『いいっていってんじゃん。マシロん家の近くの公園集合ね』
断る前に、約束を取り付けられてしまった。理由をなんでもつけて断ろうと思ったのが透けていたのだろうか。それはわからないが、とにかく彼女と会う用事ができてしまった。
時間を聞きそびれてしまったが、彼女はもう公園にいそうな気がした。なんとなくだが。
あまり待たせてしまうのも申し訳なくて、できるだけ急いで着替える。準備を軽く済ませてから家を出て、心当たりのある公園へ向かった。
皮肉にも、自分が主人公だということに気付いてしまったせいで、よりこの世界に対する解像度が上がってしまったのは事実だ。自分が何度も攻略したキャラクター、何度も通過したイベント。
そのうちの一つに、真白の家の近くの公園が登場しているものがある。星羅イベで一つ、真白イベで一つ。きっと今回星羅ちゃんがいるのはそこだろうと見当をつけて私は歩き出した。流れ行く景色。ゲームで描かれていた背景に酷似した場所も幾つかあった。
本当に私はゲームの世界の中の、それも主人公になってしまったのだ。
告白を受けてから自覚したこと。彼女たちに抱いていた気持ち。大好きな『放課後メルティーラブ』の世界、推したちとの生活。
彼女たちが今本当に幸せなのか。私が選べば、彼女たちは幸せになれるのか。何一つわからないまま、私は歩いていく。
考え事をしているはずなのに、導かれるようにして公園へとたどり着く。今ならわかる。これはきっと主人公補正というか、ゲームシステム的なものなのだろうと。
何度もプレイしたとはいえ、ゲーム内の細かな地図が頭に入っているわけがないのに、移動がスムーズにできた理由も。全部、考えてみればわかる話だったのに。
……ああ、また、イベントが始まる。
「マシロ、急に呼びつけちゃってごめんね」
蝉の声をBGMに、彼女の声が響いた。未だ、アブラゼミが騒がしい。けれど、しっかりと通る星羅ちゃんの声。
「んーん。……昨日は暗い中一人で帰らせちゃってごめんね、大丈夫だった?」
「人通りも多かったし平気だよ、ありがと」
昨日は涼しかったのに、今日は気温が高いらしい。そろそろ夏が終わってくれても良い頃合いだと思うのだが、残暑と呼ぶには暑すぎるくらいだ。額から汗が伝って、頬を滑る。手の甲でそっと拭って、空を見た。
「それならよかったぁ」
ほっとしたまま再び伝ってきた汗を拭えば、かすかに笑った星羅ちゃん。
「暑いね。ジュースでも買おっか」
「いいね〜、そうしようっ」
「あ、そこ自販機あるよ。行こ、マシロ」
「うん!」
二人して前に陣取って、これ新商品かな、とか、このシリーズ美味しいよね、とか、そんなことを言い合う。最終的に飲むものを決めてボタンを押して、ガコン、なんて重たい音。プラスチックと缶はそれぞれ違う音を響かせた。
飲み物を呷る。喉奥に広がる冷たさが心地よい。喉を鳴らしながらペットボトルの中身を減らしていくが、私は一体彼女と何を話したらよいのだろうという疑問は消えることがない。
「今日」
「あの」
ほぼ口を開くタイミングは同時で、そしてそれに気付いて、同時に引っ込めた。
そんな攻防がおかしくて、思わず二人して笑った。
「いーよ、マシロから先で」
「え、あ、ありがとうっ」
「えと……あの、私、今日なんで呼んでもらえたの、かなって……」
誘われたときからの疑問だった。告白の返事もいらない、ただ会いたい。そう思わせる何かが自分にあると思わなかったし、返事をすぐにしてほしい、と言われても無理だ。だからこそ、私が呼ばれた理由が分かっていなかった。
「そんなの決まってるでしょ」
なに馬鹿なこと言ってるの、とでも続けたそうな口調の星羅ちゃん。呆れたような顔を正面から見られるほど、私は肝が座っていない。ばれないように少しだけ目をそらした。
「好きだから会いたいの。それじゃ、だめ?」
凛とした声だった。いつものように毅然としていて、けれど少しだけ恥じらいが混じったような。逸した目を彼女に戻せば、目があった。
何も言えずにいると、また困ったように笑う彼女。昨日私の返答を待っていた時のような表情。好きな笑顔はたくさんあるのに、この表情をさせてしまっている自分が情けない。
「マシロさ、多分、優依からも告白されたでしょ」
「ッえ……!?」
「あーその顔。図星じゃん」
少しの沈黙のあと切り出された言葉は重かった。私の声に、小悪魔っぽく笑う彼女の声が響く。
「なんとなくそんな気がしたからさ」
「そ、っか……なんか、その」
「謝んなくていーよ。告白したのは私たちで、選ぶ権利はマシロにあるんだし」
だからそんな小難しい顔すんなっての。そう続けた彼女は、私の頬を引っ張ったり伸ばしたり。彼女の細い指が楽しげに動いている。私のほっぺたが悲鳴をあげているのだが、彼女は楽しげなままだ。
「い、いひゃい……のびるぅ」
「ッふふっ、かわいいわぁ」
「かわいくなくなっちゃうよっ」
「だいじょぶだいじょぶ、ほっぺた伸びてもマシロはかわいいから」
今度は頬を挟むようにして人差し指と親指が迫ってくる。きゅ、と顔の内側にお肉がよった。
「んむぅっ……」
「ンふふっ、やっぱりいい反応だわ〜」
とても満足げな星羅ちゃん。さっぱりした顔をしている気がするので、よかった、と言いたいところなのだが、ほっぺたが犠牲になっているのだ。手放しでは喜べない。
何を言おうか迷っていると、彼女の少し冷たい手が私の目を覆い隠す。
「ひゃっ、なにっ!?」
驚いた声を聞いて、また星羅ちゃんは笑った。何故か、手の冷たい人は心が温かい、なんて言葉が頭をよぎった。
「マシロはかわいいよ、今日も。ねぇ、そんなに思い悩まないで、自分の気持ちに正直になってよ? すごい、悩ませちゃってるとは思うんだけど。でも、優依も私も、マシロの選択を大事にしたいんだ」
そこまで言った彼女は、目隠ししていた手を取ってくれた。世界が眩しい。白む世界のまま、不意に影が落ちる。
額に、柔らかい感覚が一瞬だけ。星羅ちゃんにキスをされた事実に気がつくまでは、さして時間がかからなかった。
彼女の唇の感触。今度は額で感じたその感覚が妙に研ぎ澄まされて、身体が火照っていく。
「唇は、選んでくれた後までお預けにする」
約束、とでも言いたげに、彼女の小指が私の唇に触れた。それもすぐに離れて、なんだか恋しく思ってしまう自分の心がよくわからなくて。
私はきっと星羅ちゃんのことが好きだ。でも、それは彼女の気持ちに応えることになるのだろうか。同時に優依ちゃんを選ばないことになるとしても、星羅ちゃんを選ぶと言い切れるだろうか。
「ほーら、また辛気臭い顔してる。もっかいほっぺたプニプニするぞ?」
「ぇえっ!? そ、それはちょっと……!」
「ふふ、ごめんごめん」
思わず少しだけ笑いがこみ上げてきた。口元を抑えていると、星羅ちゃんの嬉しそうな声色が聞こえる。
「よかった、ちょっとでも笑ってくれて。マシロの笑顔が見れるのが嬉しいからさ」
そんな風に言う彼女も、太陽のような笑顔を浮かべていた。星羅ちゃんの笑顔に彼女自身は気付いていないことが勿体なく思えるほどに、素敵な笑顔。
笑顔を見ると、幸せな気持ちになる。星羅ちゃんもそう思ってくれている事実が嬉しくて、私も彼女も同じことを思うんだ、なんて当たり前のことを再確認した。
優依ちゃんの笑顔も、もう一度見たい。星羅ちゃんの笑顔も、二人が隣で笑っているところも。そう思う私はきっと欲張りで、そんな二人の傍にいたいと思うのは、もっともっと強欲だ。
「ありがとう、星羅ちゃん」
「んー? なにが?」
「おかげで、ちょっと、前進した気がするの」
彼女たちの笑顔を指針にしよう、そう決めた。
未だアブラゼミは煩く鳴いている。蝉の声が止む頃、私は一体なにをしているだろう。
いつの間にか空になっていたペットボトルを、ゴミ箱に投げ入れた。
カランカラン。夏は終わりへと進んでゆく。
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