第44話 秘密の場所

 優依ちゃんは家に帰ってしまったようだ。少し寂しくなってしまう気持ちもあるが、彼女の怪我を慮るなら家に戻って適切な処置をしてもらうほうが賢明だろう。そう思い直す。


 それに、彼女を帰らせる原因を作ってしまったのは私だ。私があそこで返事をしておけば、祭りの最後は彼女や、星羅ちゃん含めた三人で一緒に過ごせたような気がする。


 ……ああ、いけない。自己嫌悪がふつふつと湧き上がってくるような感覚を飲み下す。


 彼女のことばかりを思って暗くなっているようではいけない。今は星羅ちゃんにお呼ばれして、彼女のところに向かっているのだから。祭りの喧騒に再び身を預けて、赤や橙の華やかな光に照らされる。翻る水色を視界の端で探して、再び思考を振り払った。


 しばらく辺りを見回していると、彼女から送られてきた写真の場所とよく似た雰囲気の場所が見つかる。きっとこの辺りに彼女がいるだろうと思い、メッセージに添付されていた画像と現実世界を行き来しながら彼女の黒と金を探した。


「マシロ!」


 彼女の声が私を呼ぶ。低めのソプラノは、賑やかな祭りの人混みの中でもよく響いた。声の方向を辿れば、見慣れた顔。髪や服装はいつもと違えど、纏う雰囲気はいつもの星羅ちゃんのもので、何故かとても安心した。


 彼女に手を振れば、軽く振り返してくれる。やっと出会えた。そう思い、足が早まった。


「星羅ちゃんおまたせ……! 結構待たせちゃったよね、ごめんね?」

「んーん、全然。むしろ急に呼んじゃってごめんね、マシロ。大丈夫だった?」

「……あ、うん! 全然大丈夫だよ、星羅ちゃんなんか食べれた?」

「あー、私はさっき唐揚げとか、あとなんだっけ。チーズのやつ」

「チーズハットグ、みたいな?」

「それそれ! よく知ってんね。美味しかったよ〜」

「いいな……お腹へってきちゃう」

「ふふっ、食いしん坊」


 口元を隠して笑う彼女は可愛らしい。揶揄うように細められた瞳を見つめ返した。彼女が持つ雰囲気がやはり安心するらしい。


「そういえば、なんか用事だったの?」

「あー、用事ってか、マシロとこうして夏祭りくるの初めてだから二人で回るのもいいかなって。ヤだった?」

「ううん、誘ってもらえると思って無くてびっくりしたの! ありがとう」


 それならよかった、と頬を緩める星羅ちゃん。


「せっかく合流したし、二人でなんか買う?」

「確かに! 何がいいかなぁ」


 祭りはまだ始まったばかりだ。寧ろ、もうじき花火が上がる今が一番の盛り上がり時と言っても過言ではないだろう。徐々に賑わいを増していく祭りの様子を眺めながら、私達もその人混みの中に紛れていく。


「はぐれちゃいそうだね」

「手、つなぐ?」


 ん、と差し出された手。なんだか彼女とのスキンシップが増えたような気がして、心が温まる。暑い夏だけど、取った彼女の手はほんのり冷たい。


 対する私の心臓は徐々に昂ぶっていくばかりで、体が熱くなっていくのを感じる。触れる手に冷やされて、なんだか少しほっとした。


 はぐれないようにとつないだ手をぎゅっと握りしめて、彼女に引かれていく。祭りにかこつけてはしゃぐ人の群れはどうにも騒々しいけれど、星羅ちゃんといれば気にならないような。


「うわ、焼きそば混みすぎ」

「隣のお好み焼きもすごいね……先に夕飯食べといてよかったぁ」

「だね。向こうの射的屋もやばいよ?」

「わーほんとだ、弾なくなっちゃいそう」

「射的屋が弾切れで休業は笑っちゃうわ」


 ケラケラと笑って見せる星羅ちゃんに、私の頬も緩む。


 日本人の人柄がそうさせるのか、きっちりと列が作られているためだろうか。やけに混んで見える店々が並んでいる。時間帯もあってかご飯物の屋台には人が溢れんばかりで、家族連れも増えてきているからなのか、射的屋も賑わっていた。


 私達は一通り遊んだ後だったから、よかったなんて思いながら、先程釣った水風船を手首で揺らす。黄緑にピンクや水色の小洒落た線が入ったそれはゆらゆらとゴムに揺らされて。たくさん釣れたら二人にプレゼントしたかったのだが、私はどうにも下手くそでこの一つしか釣れなかったのだ。もっと上手になれないか、なんて考えていたが、才能がないような気がする。ちょっぴりへこむ。


「あ、りんご飴だ」


 そんなことを考えていると、目に入ったのはりんご飴。混み具合のピークは過ぎたのか、はたまたこれからなのか。それはわからないが他の店に比べれば幾分か空いていて、ディスプレイされている飴たちがしっかりと見えた。


「ホントだ。りんご飴、綺麗だよね」

「そうだよね……! 私、食べたこと無いんだ」


 夏祭り、で連想した時、すぐに上がるくらいには、りんご飴に憧れがある。けれど前世では食べたことがなくて、それがより一層灯りに照らされる艶々とした赤への憧れを膨らませているのかもしれない。


 近くには赤い提灯が吊り下げられている。ほんのりと赤を纏った光が、透明な飴を通して広がる。林檎の赤も同じようにその空間に広がっていて、とても綺麗だ。


 ふと横を見る。星羅ちゃんが私と同じように目の前に広がるりんご飴たちを見つめていて、彼女の瞳には赤い煌めきが映っていた。どこか魅入られるような輝き。薄い膜が張って揺らぐ彼女の目と、ほんのりと色付いた頬。流した金髪は今日も艷やかだ。


「……なに見てんのよ」

「あ、ごめん、つい」


 むぅ、と少しだけ唇を尖らせた彼女の真意が読めなくて、とりあえずもう一度謝っておいた。


「いや、怒ってないんだけど。……とりあえず、りんご飴買う?」

「っ、いいの?!」


 思わずばっと顔を上げる。そんなに喜ぶことなのか、という気持ちが透けて見える苦笑に私も苦笑いした。とはいえ買いたいと思った気持ちは嘘ではない。


 星羅ちゃんの姿と、並んだりんご飴たちを夏の思い出の一つにしたかった。ただそれだけである。


 彼女の言葉に甘えて、店員さんに声を掛けた。星羅ちゃんを窺うと横に首を振っていたので、とりあえず一つだけ。


「まいどあり!」


 その声にありがとうございます、と会釈して。彼女のもとに戻れば、また零れた苦笑。


「な、なに?」

「いや、嬉しそうな顔だなーって。食べれば?」


 そんな顔をしていただろうか。首をかしげながら、一口目を齧る。


 歯を当てれば、硬い飴が触れる。思い切って歯を立てると、パリ、と割れた。途端に口に広がる甘み。飴の甘みが舌に広がっているうちにりんごを齧る。今度はシャキシャキした食感。食べ慣れたはずの味なのに、普通のよりも甘い。憧れていた味を知って心すら満たされるような。りんごが持つ芳醇な香りと、薄い飴が織りなす食感がとても面白い。りんごの豊かな甘味が口いっぱいに広がって、飴の甘みと溶け合っていく。


「おいしい」


 口からこぼれ落ちるような言葉に、隣からも言葉が降ってくる。


「そんなに美味しかったならよかったじゃん。ゆっくり食べな」

「せ、星羅ちゃんは? いらないの?」


 どうしても誰かとこの美味しさを共有したい気持ちに駆られて、そんなことを口に出す。ちょっとばかり私よりも高い彼女の顔を見上げれば、意外そうな表情。


「私はいいけど……」

「一口だけでも、いらない?」

「そんなに言われたら食べるしかなくなるじゃん」


 また柔らかい苦笑をこぼした彼女に私の食べかけを差し出すと、豪快にがぶりと齧り付いた。ぱり、と、いい音が鳴る。見た目も可愛い、味も美味しい。食べるときの音も面白いなんて、すごく特別な食べ物みたいだ。


「おいしーね。ありがとマシロ」

「んーん! 美味しいよねっ」

「おいしいおいしい」


 ぺろ、と口の端を舐め取る彼女の舌に少しだけ目が行って、大人しくりんご飴を受け取って、またあるき出す。飴の部分を舐めたり、再びかじってみたり。夏の味だ。


 そんなふうにしながら、先程までよりもゆっくりと歩き出した私達。


「そういえば、そろそろ花火の時間だね!」

「あー、そうね」


 思い出してそのままに告げると、彼女が少し口角を緩めた。共犯者を見極めるような、どこか妖艶な笑み。


「……ねえマシロ、私ね、いいとこ知ってるんだ」


 一緒に来る? 


 そう続けられた言葉。秘密だよ、と言わんばかりに潜められた声と色気を孕んだ表情に見惚れて、声を出さずに頷いた私。


 いいとこ、というのは、花火を見る場所ってことなんだろう。そう検討をつけた私は、なんとなく声を潜めながら彼女についていく。


 二人だけの秘密、なんて。ちょっとドキドキしてしまう。


「また、この階段上がるの?」

「うん。でも、さっきとはちょっと違って……」


 手を引かれながら、彼女についていく。人混みといって差し支えなかった人の波は徐々に少なくなっていき、三人で最初にやってきた神社の一の鳥居をくぐる。


 下駄なのに軽快な彼女のステップに連れ立って、階段を上っていった。


 途中で、林に囲まれた脇道があった。お参りのときにはそのまま直進したのだが、星羅ちゃんはそこで足を止めて。


「ここで曲がるんだ」

「へぇ……! よく知ってるんだね」


 どうやらここの脇道は、末社と呼ばれる小さなお社に続く参道らしい。大きな神社ゆえ、幾つかあるうちの一つがこの先の高台にあるようだ。ここから花火がよく見えるらしい。


「結構穴場なんだから、内緒よ」

「もちろんっ」


 それなりに階段を上がっていく。息も切れてきた頃、小さな鳥居が見えた。もうすぐだ、ともう一息を入れる。階段を上がり切ると、そこは少し開けていた。

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