第42話 推しを助けるのに理由はいらない

 色々目移りしていたら、そこそこに陽が傾いてきた。空の殆どが夜の闇に染まり、地平線の端に赤色が残るくらいの、そんな時間。


 とりあえず目についたたこ焼きを買って、手に持ちながら歩いていく。どこかに座って食べようかとも思ったが、香ばしい匂いに釣られて一つつまんだ。


 ……あつい。けど、うまい。


 はふはふと熱さを逃がすために息をしながら、一つを飲み込んだ。熱々のとろりとした液は出汁が香り、外側はカリカリ。ソースの濃厚な旨味に、ふわふわ踊る鰹節。屋台のご飯はこれだからいけない。美味しいし、カロリーを気にしなくてはいけないのにパクパク食べれてしまうのだ。


 祭りの雰囲気に当てられながら歩く。時たま、たこ焼きを頬張って。


 いつの間にかプラスチックの透明な箱の中からは中身がすっかり消えていて、見つけたゴミ箱に捨てた。次は何か甘味でも食べようかと思った最中、後ろから声を掛けられた。


「あれ、真白ちゃん! 偶然ね」

「わ、優依ちゃん!?」


 先程別れて別行動になった彼女と出会うとは思っていなかったので、素直に驚く。夕暮れで少しずつ薄暗くなってきた今、彼女の淡い青は良く映えた。カランコロンと下駄が鳴る。


「せっかくだから、二人で歩かない?」


 その提案を、彼女のこと、そしてユイセラが大好きな私が断るはずもなく。


「勿論! 優依ちゃんがよければ、ぜひ」


 にっこりと、浴衣に咲く桜のような笑みを浮かべた彼女と、連れ立って歩いていく。目的地も無いけれど、それでも楽しいからそれでいいのだ。


 どうやら優依ちゃんも先程ご飯を食べたようなので、二人でふらふらとあたりを見ながら歩いていく。あれは昔食べたことある、とか、さっきのあれ楽しかったね、とか。一人で見るより楽しいなぁと思いながら、足を進める。


「あ、ラムネ」


 私は、昔からラムネが好きだった。真白がどうかは知らないが、私自身は昔から、お祭りに来るとキンキンに冷えたラムネを飲むのがとても好きなのだ。風に踊らされる布の看板を見て、つい読み上げてしまうくらいには。


「飲む? 私も、丁度喉乾いてきたし」

「いいの? ……じゃあ、飲みたい!」

「わかった、いこっか」


 くす、と笑う優依ちゃん。可愛らしい笑顔だ、相変わらず。彼女についていこうとすると、袖口を引かれた。


「はぐれないように、ね?」


 軽く首を倒して、口角を緩めた彼女。胸がドキリと高鳴って、彼女の顔の良さと表情が魔性のそれであることを実感した。人が増えてきたせいで、道はかなり混んでいる。目的の屋台で二人分のラムネを買って、道の脇で立ち止まった。


 透明なビー玉を中に押し込む。ぷしゅ、と小気味良い音。吹きこぼれそうになったが、ギリギリで溢れることなく収まっていく。炭酸のパチパチはじける音に懐かしさを覚えて、唇が弧を描くのを感じた。


 隣にいる優依ちゃんも同じように開けている。からりとビー玉が中で揺れた音が、妙に耳に残って。とはいえ、美味しそうに揺れる透明なラムネ。ほんのり残る赤と、夜の濃紺がキラキラと映し出される。橙色と赤色の光があたりを包んでいく。喉に滑る夏の味は、爽やかに吹き抜けてゆく風のようで。


 どこかちぐはぐな夏の温度を感じる。夜に近付いて、身を焦がすようだった暑さは次第にぬるくなっていくのに、口に含んだ夏は、涼やかで冷たい。


 でも、これは、私の好きな味だったような気がするのである。


「美味しいねぇ」

「うん!」


 私にそういった彼女は、また瓶を傾ける。優依ちゃんの喉が上下して鳴った。浴衣の開いた襟元のせいで露出した白く細い首が綺麗で、思わず目が行ってしまう。それほどまでに彼女は美しい。見とれながら、再び私もラムネを呷った。


 気がつけば二人してラムネの瓶を空にしていた。


「次はどこいこっか」

「星羅ちゃんと合流するのもありかもね?」

「んー……せっかくだし、もうちょっと二人でまわらない?」


 少し困ったように、眉を下げる優依ちゃん。確かに、合流のタイミングは決めていなかったから、三人で花火を見るのも良いかもしれない。


 ふと空を見上げると、夏の夜空が出迎えてくれた。黒というには優しくて、青と言うには暗い色。きっとこの空には、様々な色の花が咲き誇るのだろう。


 そう、思いを巡らせていたら。


「っ、きゃッ!!」


「……優依ちゃん?!!」


 私が前を見ていなかった間に、人混みに呑まれてしまったのか、彼女が転んでしまったらしい。石畳にしっかりと足を打ち付けてしまったのだろう、かなり痛そうだ。


 倒れ伏す彼女と、ざわめきながらも変わらない民衆。何もしてくれない大人たちに、少しの怒りを抱きつつ。


「大丈夫……? 痛いよね、ちょっと待ってね」


 屈んで彼女の傷に近づく。血が流れるほどではないようで、とりあえず安心する。ただ、慣れない服装で転んでしまったことも含めて歩かせるのは心配だ。


「優依ちゃん、背中、乗れる?」

「っ、え、いいの……?」


 微かに体を起こした彼女の瞳。光を反射してキラキラ輝いているそれは、痛みからか涙に濡れているように見えた。もう少し気遣っていれば、なんて思っても今更だから、彼女の前に跪いて。


「歩くの辛いだろうし、乗って? 少し休めるところに行こう」

「ん……ありが、とう」


 言葉に混じる躊躇いと、申し訳無さと、ほんの微かな涙声。


「いいんだよ。乗れそうかな」

「ッ、うん、っしょ」


 私の肩に手を掛けて、ぎゅ、と掴まれる。ふらつく彼女の足に負担を掛けないように、ゆっくりと立ち上がった。


「歩くね」


 耳元で聞こえた相槌を聞いてから歩き出す。こんなに軽いなんて、ちゃんと食べているのだろうかと心配になった。想像よりもよっぽど軽かったので、不安にさせない程度にゆっくりと、けれど確かに歩いていく。


 このあたりの休息所はどこだっただろうか。


「あ、真白ちゃん、えと」

「どしたの、優依ちゃん?」

「確か、この先に座れるところがあったはず。型抜きのところ、かな?」

「オッケー! ありがとう、教えてくれて」

「……こちらこそ、ありがとうね」


 彼女の指示に従って、まっすぐ進んでいく。確かに、机と椅子がある場所が遠くに見えるような。


「あれ?」

「そうそう! ……ごめんね、私重いよね」

「全然軽いよ!? もうちょっとだから、そんなに気にしないでよ」


 そうは言っても、やっぱり優依ちゃんは気にしてしまうようで。気にさせないためにも、と、再び足を前に向ける。


 徐々に近付いていくと、幾つか机と椅子がおいてあるようだった。近くに型抜きの露店が出ているからなのだろう。しかし今はピークは過ぎたようで、人は誰もいない。混み合った時用の場所なのかもしれないな、と思いつつ、そちらに向かう。


「よし、じゃあ下ろすよ〜」


 声を掛けてから、丸めていた体を徐々に反らせていく。椅子の高さに合わせて、彼女の体を下ろしていけば、無事座らせることができた。


「ありがとう、真白ちゃん」

「いいよいいよー、そんなに気にしないで? それより、傷、大丈夫?」

「ん……多分?」

「本当……? ちょっと、見るね」


 人がいなかったのはとても都合が良い。メインストリートから外れているからか、あたりは少し薄暗い。明かりを確保するため、スマホのライトを点けた。


 彼女の浴衣の裾部分を少しだけ捲らせてもらって、ころんだ時にぶつけたと思しきところを見る。


「んー……血は出てないけど、少し腫れてるね。痛みはどう?」

「まだ痛いけど平気よ。ほんとは背負ってもらうほどじゃなかったんだけど……ごめんね」

「んーん、もしかしたら歩いてたら悪化してたかもしれないしね! 無事で良かった」


 ほんのりと赤みを持っているそこを、ゆっくりと撫でてみる。彼女の表情は特に変わっていないので、本当に痛みは少ないのだろう。改めて安心の溜息をつきつつ、彼女の隣に腰掛けた。


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