第38話 帰路へ

 このベッドでの目覚めも、もう三度目らしい。寝具の質が良いからだろうか、起きるたびに深かった眠りを実感する。最初の頃は柔らかさと弾力が両立されたこの布団の高価さに対しておっかなびっくりだった私だが、三泊四日も同じ場所で過ごせば人は変わるようだ。


 今日も今日とて緩やかに思考が浮上していく。自身の体の両側から聞こえ続けている寝息は規則的で、とても心地よさげだ。


 そして、何故なのだろう。昨日に引き続きではあるのだが、二人の体はぴったりと私にくっついているのだ。


 星羅ちゃんは、私の腕を抱えるようにして。優依ちゃんは、私の体のラインに沿うようにぴったりと引っ付いている。それでいて二人共深い眠りについているのだから、安眠はできているらしい。私の存在が推したちの眠りをより良いものにしているのであればそれはとても喜ばしい。


 ……とはいえ、その。さすがに推し二人が私に密着している状況に、心臓が鼓動を早めたような気がする。顔がほんのり熱い。


 少しばかり顰められた顔や、眠り姫よろしく閉じた瞳。長いまつげに、唇の形。永遠に見ていたくなってしまう。美人二人の寝顔はいくらでも見ていられそうだ。しかし、私の気持ちを止める音が鳴り響く。


 そう、スマートフォンのアラーム機能である。煩すぎない音と、震える携帯。そろそろ起きて朝食を食べ、その後に運転手さんが来られる手筈だったはず。つまり、これが送れるとスケジュールが後退していくのだ。


 もっと堪能したい気持ちはあるのだが、仕方なく彼女たちを起こすことにする。


「優依ちゃん〜、星羅ちゃーん、あさだよ〜」

「んん、ん……? ぁう、朝……?」

「朝だよ〜、おはよう」

「……はょ、ましろ………」

「星羅ちゃんおはよ」


 目を擦って起き上がった星羅ちゃんに、欠伸を零しながら体を起こした優依ちゃん。昨日はそれなりに遅くまで話していた気がするので、そのせいだろうか。眠たげに細まっている瞳も大変かわいらしい。


 癒やされながらも、ゆっくりと朝の支度を始める。きっと二人とも寝起きが悪いタイプではなかったはずだから、少々放っておいても大丈夫だろう。


 着替えやなんやらを済ませていたら、二人共しっかりと起き出していた。寝て起きてからの無防備なところを見ることができるのは、合宿でよかったポイントの一つかもしれない。


「朝ごはんは私が作るよ」

「星羅ちゃん、いいの?」

「マシロにやらせるには心配だしね。優依はやること色々あるでしょ?」

「助かる……! ありがとう」


 優依ちゃんは親御さんの兼ね合いもあってか、最終日の今日は忙しいらしい。星羅ちゃんが進んで朝食の準備をしてくれているので、私は大人しくベッドメイキングや浴場の掃除をお手伝いすることにした。


 私達にしきりにお礼を伝えてくれる優依ちゃんを宥めながら作業を進める。だんだんと漂ってきた香ばしいトーストとスープの匂い。ほとんど空っぽの胃が、空腹を訴える。ロフトにいるせいか、何かを焼いているのだろう音も聞こえて、食欲が刺激されてやまない。


 シーツを剥がして畳んでまとめ、タオルケットは元あった箪笥の中にしまう。ベッドは終わったし、風呂場も綺麗にしておいた。となれば後は一階で星羅ちゃんの手伝いをするに限るだろう。


「はい、温かいうちに食べちゃお?」

「ありがとう星羅ちゃん……! いただきます!」

「頂きます。星羅、ほんとすごいわね」

「んー、そんな褒められるようなもんでもないと思ってたんだけど。でもありがと」


 短時間で目玉焼きトーストに昨日のスープをアレンジしたものを作ってくれる星羅ちゃん。凄すぎやしないだろうか。ここは彼女が普段使っているキッチンでもないのだし、材料だって少ない。来る過程で調達したもの以外は、日持ちのする食品しかないわけだから、そんな条件下でこのクオリティのものを仕上げる彼女には尊敬しかないのである。


 表面はカリッと、中はふんわりとしたトースト。上に乗ったチーズがとろけて伸びて味のアクセントになっている。半熟の卵を崩せば、黄身がどろりとあふれた。黄身をパンに染み込ませると、それもまた美味い。


 スープは昨日のコンソメに卵を溶いて、トマトソースが少量残っていたのを入れたらしい。味付けは中華風で、これも食欲を掻き立てるいい匂いが食卓に漂っている。味もしっかりして胃もあたたまるそれに舌鼓を打った。


「美味しいご飯最高……」

「それはよかった」


 思わず本音すら零れだしていたようで、少しばかり口元に微笑みを彩った星羅ちゃんからお返事があった。


 無意識だったので、もぐもぐと食べていた口を手で覆うと、今度はケラケラと笑っている。傍で見て聞いている優依ちゃんもとても楽しそうで、何もしていないけれど、良かったなと思うのだ。


「そいや優依、用事は終わったの?」

「うん、両親に頼まれたものは終わってるよ!」

「それならよかった。じゃあ、食器片付けたら出れるね」


 美味しいご飯も穏やかな波の音も、三人でだらだら横になるのも。もう終わりかぁ、と思ってしまって、少しだけ寂しい。またお泊りしたいなぁ、なんてことを考えながら、残りの朝食を食べ進める。寂しさはあっても、美味しいものは美味しいのである。


 普段食べているものよりもちょっぴり贅沢な朝食はしっかりとお腹に収まって、満足感のままに再度手を合わせた。

 

 帰る準備も整えたところで、運転手さんが迎えに来てくれた車に乗り込む。来る前に乗ったのと同じ、座り心地の良いシートに沈み込む。余裕のある席に三人並んで腰掛けた。


「三泊四日、一瞬だったなぁ」

「でしょう? だから最初は四泊五日の予定だったんだけど……」

「うぅ、長すぎると親御さんも不安かなと思って」

「それは正しいから止めるつもりもないけどね。実際三日間とも楽しかったし」

「ね! みんな何が一番楽しかった?」


 なんとなくの話題として振ると、優依ちゃんも星羅ちゃんも、ほんのりと目に楽しそうな光が宿った。


 この三日間を思い出しながら、あれもこれも楽しかった、なんてはしゃぐ私達。例えば二日目の海の中の景色、テレビを見ながらラグに寝転がった時、三日目のボードゲーム、お菓子を食べながらみんなでお喋りをしたこと。


 三人の興味は、わりとバラバラだ。好きなこともやりたいことも違う私達だからか、話が色々な方向に飛ぶのがとっても楽しい。そんな私達三人だからだろう、皆が上げるシーンはどれも違っている。


「楽しかったなぁ……」

「またやりたいね、長期休みじゃないと難しそうだけど」

「そうだね、でも短い期間のお泊まりとかもしてみたいなぁ」

「それいいなぁ、合宿だからわざわざこっちまで来てもらったけど、私達のお家でもやりたいね」


 あまりに楽しかった思い出。だからだろうか。最初からハイテンションで語らっていたからか、話が落ち着いてくるにつれて場の空気も落ち着いてくる。


 隣の優依ちゃんが、ふぁ、と可愛らしく小さな欠伸を零した。


「っあ、ごめんね。楽しくて話しすぎちゃったかなぁ」

「あはは、あんまり気にしないでね? 眠いなら寝ちゃって大丈夫だよ。優依ちゃん色々やってくれてたし!」

「ん……ありがとう。真白ちゃんは優しいなぁ」

「そ、そんなことないと思うけどな……? でもありがと、嬉しい」


 素直に伝えると、顔がほころぶ。眠気からだろうか、いつもよりも笑みが柔らかい。ふわりと花のような笑顔が浮かんで、また小さな欠伸。


 逆側の隣からも、つられたのだろう欠伸の音が聞こえて振り返ると口元を覆う手。


「んふ、星羅ちゃんも眠い?」

「んー、ちょっと? ……私も珍しく盛り上がってねむいわ、ちょい寝る」

「うん、おやすみ〜」


 少しばかり声を潜めて、また優依ちゃんの方に向き直る。彼女もやはり目蓋が眠たげに落ちてきている。


「優依ちゃんも少し寝たら? まだかかるでしょう、確か」

「ん……そうね、あまえさせてもらう」

「おやすみ優依ちゃん」


 二人がゆっくりと目をつむったのが解った。先に寝息が聞こえ始めたのは優依ちゃん、次にこくりこくりと頭が揺れ始めた星羅ちゃん。あどけない寝顔に笑みが溢れる。


 前後に揺れていた星羅ちゃんの頭が、いつしか横に傾いていく。こてん、と倒れた首が私の肩で止まって。驚いている私を横目に、今度は優依ちゃんも私の肩にもたれかかってきた。


 ……だめだ、かわいい。美人二人が自身に安心感を抱いてくれている事実が嬉しくて、また口角が上がる。


 そんな二人を愛おしく眺めていたら、私にも襲ってきた眠気。ふたりの雰囲気につられてしまったらしい。誰も見ていないのをいいことに大きな欠伸をして、そっと目を閉じる。


 楽しかった合宿の終わりも、やっぱり大事な思い出のひとつに変わっていく。


 閉じた目蓋に映っていく、三日間の色濃い思い出たち。車に揺られながら、肩に乗る二つの重みにほっとするような気持ちが湧き出てくる。幸せな気持ちのまま、思考はゆっくりと沈んでいった。



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