第37話 星空のきみ
「ねえ、真白ちゃん。ちょっと歩かない?」
そんな風に誘われたのは、夕飯や夕飯の片付けが終わった後のことだ。
ちょうど星羅ちゃんはお風呂に入っているため、私と優依ちゃんの二人きりの時間。私達二人はもう既にお風呂を済ませているので寝間着なのだが、たしかに夜のお散歩は魅力的だ。
「服とかは……」
「上着羽織ってこ? 夏とはいえ、夜は冷えるから」
すっかり日は落ちて、数時間はたった頃合いである。太陽に温められていた地面も、徐々に冷えてきているだろう。
大人しく助言に従うことにして、薄い長袖のカーディガンを羽織る。似た装いの彼女と共に、コテージの扉を引いた。
都会の喧騒とはそれなりに距離を置いた別荘。人が生み出す音たちが余りにも少なく、風が木を揺らす音すら聞こえてきそうなくらいに静かだ。波のさざめきと、虫の声。元気のない蝉は、明日も煩く鳴くための準備をしているのだろうか。
私達二人が地面を蹴る音が際立つ。坂をゆったりと降りながらふと上を見上げると、夜空から零れ落ちてしまいそうなくらいたくさんの星が瞬いていた。
「わぁっ……! きれい、」
「ふふ、でしょう? ここで見るのも綺麗だけれど、海の方に行くともっと綺麗なの」
私の反応に満足げに笑う優依ちゃん。くい、とカーディガンの裾を優しく引っ張られて、止めた歩みを再開する。
海に近づくにつれて、潮風の香りが色濃くなっていくのを感じた。このコテージはそもそもが海沿いに立っているから、徐々に慣れてきていた匂い。周りが暗くて静かだからだろうか、なんとなく落ち着く香りが私の胸を満たしていく。
砂浜に出た。月明かりに照らされて、白い砂粒が時折キラリと光る。星たちの光をほんのりと映す海。波打つ音すら美しさの一端を背負っているようにすら感じる。この空間自体が特別なのかもしれないと思った。
少ない街灯が、いつもなら見えない星々を見せてくれるようで。前世では、こんなふうに夜空を見上げることすらしなかっただろうし、都会の喧騒にのまれ、疲れて、結局ずっと家にいる生活を送っていた。星を見たいと思う気持ちもなかった。夜の空の下、砂浜を歩くなんてロマンチックなことをする想像などしていなかったのだ。
「きれいだなぁ、キラキラしてる」
「綺麗だよね。ずっと、ここの星空が一番好きなの」
夏の空は、滲むような色である。空気に含まれる水の量が多いからだろうか。真っ暗、と言ってしまっていいはずなのに、包み込むような優しい夜だ。光が世界に滲んでいるような、そんな。
「素敵だね」
「一緒に見れて嬉しいんだ」
弾むような声。でも、どこか密やかな。秘密だよ、と囁くような。
「なんか、あの星座の形見たことある気がする……。なんだっけ」
「あれ?」
彼女の細い指が、線を描くように夜空を滑る。彼女が指したのは、私が思っていたそれだった。
「すごい! なんで解ったの?」
「あれは多分、北斗七星かな。有名な星座だから真白ちゃんの記憶のどこかを掠ったのかもしれないなって思ってね」
「優依ちゃんすごい、エスパーみたい……!」
「んふふっ、褒めてくれてるの?」
「褒めてるもんっ」
「そっか、ありがとう」
白い指の先まで、彼女の優雅な雰囲気が滲み出ている。そこからも、星座に、海にいる生き物の話に。知識の幅が豊富な彼女とは、話していても楽しいと心から思うのだ。
「合宿楽しいなぁ。帰りたくなくなっちゃうよ」
「そうだねぇ、もう明日には帰らなくちゃいけないんだよね。早いよね」
「めちゃくちゃ早くない? 楽しいと一瞬だなぁ」
「そう思ってもらえたならよかった! 企画してくれたのは真白ちゃんなんだから、ありがとうね」
「いえいえ。実現できたのは優依ちゃんのおかげだよ!」
優依ちゃんといる時間はとても居心地が良い。私のことを認めてくれている、というのがよく分かるのだ。お互いを尊重できる関係性に、無言が苦じゃない、この時間。
波のさざめき、虫の声、風が木々を揺らす音。そんな音にも耳を向けられて、時折りんと響くメゾソプラノに酔いしれて。こんな贅沢な時間、あってよいのだろうか。
「なんか、世界に二人きりになっちゃったみたいだね」
どこか世界に取り残されていってしまうような気持ちになる。余りに美しい景色がそう思わせるのだろうか。
「真白ちゃんと二人きりなら、退屈しなさそうね」
「ふふ、それ褒めてるのー?」
「褒めてるよ」
悪戯っぽい笑みもよく似合う。夜の暗い中だけれど、月に照らされる彼女の横顔は酷く美しかった。月夜が映える優依ちゃんの横を歩くのは楽しい。歩くテンポが心地よくて、気がつけばそれなりに時間が経っていたようだ。
他愛のない話をした。無言で歩いた。砂浜に転がる貝殻や、シーグラスを手にとってしげしげと眺めてみたり。しゃがんでみたり、やっぱり歩いてみたり。
「帰ろっか」
何故だか寂しそうに見えた彼女の伏し目の理由を、知ることができる日は来るのだろうか。分からないけれど、彼女の声色はいつも通りで。
「帰ろっか〜」
踵を返して、ゆっくりと歩いていた道を、行きよりほんの少しだけ早足で進んでいく。
明かりの灯ったコテージが、大きさを増していく。なんだか名残惜しくて、遠ざかっていく月を時折振り返ったりした。
坂を無理のないスピードで上る。コテージのドアを開ければ、タオルを肩にかけた星羅ちゃん。
「おかえり。二人で出掛けてたの?」
「星が綺麗だったから、せっかくだから真白ちゃんと一緒に見てきたんだ」
「なるほどね? マシロ、綺麗だったー?」
「めちゃくちゃ綺麗だったよ! 星も月も海も、いつもは絶対に見れない組み合わせだし、星たくさんあったし!」
「ふふっ、楽しそうね? 私も着いていけばよかったかな」
私のテンションに引っ張られてか、星羅ちゃんから聞こえた笑い声。優依ちゃんとの二人の時間もとっても楽しかったが、三人でも楽しかっただろうなぁ、なんて思う。
「来年があったら、三人で星の鑑賞したい!」
「それいいね〜、優依、望遠鏡とかないの?」
「さすがにここには置いてないから持ってこなきゃね」
平然と、来年の話ができる友人たち。恵まれているなと常々感じる。次はこうしたい、こうすればもっとよくなるのではないか。そんな言葉が飛び交う環境にいられる幸せを噛み締めて。
「そういや、どうする? ぼちぼちいい時間だけど寝る?」
「明日はそんなに早くないけど、寝るのもありだとは思うよ。真白ちゃんどう?」
「んー……せっかく最後の夜だから、ベッドでお喋りとか、どうかな」
私の提案に、二人の目に光が入ったような気がする。これは、そう。面白いゲームを持ってきたときのユイセラの表情に近いだろうか。
「それいいね!」
「さっすがマシロ」
どうやらお気に召したようで、二人はいそいそと寝床に入る準備を始めた。明日の午前中から正午にかけて、ここを出ることになる。三泊四日という字面だけだととても長く感じるのに、濃密で、すごく短く感じてしまった。
もっと一緒にいたい、という気持ちが膨らんでいく。
……けれど、夏休み中だって部活で会えるわけで、なんなら自分で誘ったり誘われたら会う機会だってあるのだ。
だから、お預け。
軽く部屋を片付けた後、寝る前の支度を整えた私達は布団に入る。秘密基地を作って遊んでいた子供の頃のような、懐かしい感覚を覚えた。
特にここで寝るという流れがあったわけではないのだが、いつの間にやら私が真ん中に入り、右側に優依ちゃん、左側に星羅ちゃんがそれぞれ横になっている。
なんとなく、雰囲気のために電気を消してみることにする。薄暗い部屋。一階には月光が差しているものの、ロフトに溢れる光は少量だ。
なんだか修学旅行の夜にも似た雰囲気が出てきて、私達は年相応に盛り上がる。
「そういえば夏休み前にさぁ」
「え、マジ?」
「それについてなら、なんかあった気がするんだけど」
他愛のないお喋りで盛り上がる。数珠つなぎになっていく会話は時に盛り上がり、また落ち着いたテンションに戻り、そして、いつの間にか睡魔がやってきて。
「ん、………ふぁ、」
眠たげな声に、欠伸が混じった。会話がふと途切れて、静かになる。
誰からともなく、夜の闇に溶けてしまいそうな声でおやすみを告げた。それがそっと重なって、消える。
二人の穏やかな寝息。私もつられて大きな欠伸を零して、目を閉じる。
横から感じる二人分の体温が、暖かかった。
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