第7話:いいぃぃぃっ!

「ぁ……ぁあ……うぅぅ」

「だから……ここは危険な場所なんだから来るなって言っただろ」


 呆れてそう言うと、彼女は膝を抱えてその場に座り込んだ。

 拗ねたのか──と思ったがそうじゃない。


「お前、文字が書けるのか」

「ぁい……ん、んん」


 読めと言っているのだろう。どれどれ──。


 教会で神父の世話になった子供は、文字の読み書きも教えて貰える。

 まぁ覚える気のない子供もいるけど、神父は無理強いはしない。

 

 前世の記憶が蘇る前の俺は、なかなか優秀だった。

 ちゃーんと神父から文字の読み書きを教わってマスターしていたのだから。


 今目の前で彼女が書く文字は、俺が神父から習った物と同じだ。


【大丈夫。見つからないように気を付ける】

「いや気を付けるったって……」

【外は真っ暗。月ない】


 月が無いってのは新月のことだろうか。

 空気穴から上を見上げると星が出ているのは見える。だが月が無いってだけあって、普段よりも暗く感じた。


「上で見つからなくっても、こっちで見つかったら意味ねえだろ。あのな、地下街ってのは罪人も多いんだ。奴ら、ここなら追手が来ないからって好き勝手していやがるし」

「うぅ……う!」

【見つかったらすぐ逃げる。そしたらもう来ない】


 はぁ……そりゃまぁ飛べるのなら、直ぐ飛んで地上に出てしまえば捕まることもないだろうけど。


「なんでそこまでしてここに来るんだよ」

「ぁ……ぅ……」


 文字を書く手が止まる。

 やがてゆっくりと【誰もいないから】という文字を書いた。


 誰もいない──家族がいないってことなのか。


 今まで書いた文字を消すと、今度は少し長い文章を彼女は書き始める。


 空気穴から落ちてきたあの日、彼女は奴隷狩りから逃げていた。

 奴隷狩りから逃げるのは、なにもその日が初めてではなかったらしい。

 何年も前に住んでいた集落が襲われ、その時に両親とも逸れてしまったそうだ。


「じゃあお前……ずっとひとりで逃げてたのか?」

「ぁ……い」

【あちこちずっと、飛び回った。お父さん、お母さん探した。でも見つからなかった】


 あぁ、だからか。

 あの日、家族という言葉を言った後、この子は大泣きした。

 ずっとひとりで逃げ続け、ずっとひとりで悲しみを抱え込んでいたのだろう。

 それがあの時、一気にあふれ出したのかもしれない。


「いや、だからってここは……あぁクソ。分かったよ。けどな、俺だって毎晩ここに来ている訳じゃねえ」


 彼女がコクコクと頷く。


「そうだな。新月──今日みたいに月が出ない日の夜だけだ。それと他の奴らに見つかったら、そん時は──」

【直ぐに逃げる】

「逃げた後はもう絶対に、二度と、決して、ここには来るな」

「ぁぅ……」

「あうじゃねえ。さっきお前が言ったことだろうが。約束できねえのなら、俺の方が二度とここには来ねえからな」

「うぅぅ」


 眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな目で俺を見る。

 ここで甘やかしてはいけない。

 こいつのためなんだから。


 観念したのか、唇を尖らせて彼女は【約束する】と文字を書いた。


「それでよし。じゃあ自己紹介だ。俺の名前はリヴァ。お前、名前はあるよな?」


 少女は頷き、地面に【セシリア】と書いた。


「セシリアって名前でいいんだな」

「あいっ」

「ところでお前……その、言葉を話せるのか、話せないのか、どっちなんだ?」


 声は出ている。返事も、まぁ一応出来ている。

 まったく話せない感じではない。


 するとセシリアはまた地面に長文を書き始めた。


【私有翼人。有翼人同士は頭の中で会話出来る】

【喋ることも出来る。他の種族とは口で喋らないといけないから】

【大きくなると喋り方教えてもらう。でも教えてもらう前に】

【お父さんとお母さんと離ればなれになっちゃった】


 頭の中で会話……テレパシーみたいなものか。それで言葉を話す必要がない……と。

 でも他の種族とコミュニケーションをとるために、喋り方は教わるようだ。

 教わる前に奴隷狩りにあったのだろう。だからセシリアは言葉を話せないようだ。


「文字を書けてよかったな。文字すら書けなかったらお前、いろいろ詰んでるからな」

「うえぇぇ」


 いかにも嫌そうな顔をして、セシリアは唇を尖らせた。






「リー」

「いぃー」


 月に一度、ここでセシリアと会って発音の練習をさせるのが恒例行事となった。

 まずは分かりやすいように俺の名前でも──と思ったのだが、最初の一文字目から躓いている。


「リは難しいのかねぇ」

「あい!」

「元気よく返事すんなっ。ぜってーリから喋らせる」

「いいいぃぃぃぃーっ」

「うっせー! 癇癪起こしてもリからだ、リ!」


 今日でこいつと会うのも五度目だ。

 たった一晩だが、なんとなくこいつという人間──いや有翼人というのが分かって来た。


 怒った時、癇癪を起した時には「いいいぃぃー」と声を荒げる。

 年齢は十三歳。


 発音を教えるだけじゃなく、セシリアから外の話を聞く──というか書いて貰ったりもした。


 現在地上は冬真っただ中。

 ただこの辺りは寒くはなっても、雪はパラつく程度なんだとか。


「積もらないのか……まぁ空気穴の下に雪が積もってるのも見たことないもんな」

「ぁい。ぁ……うぅ」

【でも北の山のてっぺんは真っ白】

「そりゃそうだろ。山の上は平地より寒いんだし」


 セシリアはここへ来るときに、毎回食い物を持って来てくれる。

 最初は単純にお礼として持ってきたようだ。だが俺の喜びようと、ここでは食料の確保も一苦労だって話してからは野菜を持って来ることが多くなった。

 だけど今日はミカンがある。


「はぁ、地下街でミカンなんて……贅沢だよなぁ」

「あむっ……んんんーっ」


 セシリアが隣で目をぎゅっと閉じている。すっぱかったんだろう。


「お前、この食べ物どうやって持って来たんだ? まさか買ったりとかは──」


 セシリアが首を左右に振る。


【交換。少し離れた山で暮らす、獣人さん】

【物々交換して貰うの。魔石とか、岩塩とか】

「へぇ、物々交換ね──って魔石!? それに岩塩って!!」


 地上のモンスターを倒しても、魔石は出ない。

 どろっと溶けることもないし、地面に吸収されることもない。


 この世界では地上のモンスターは魔王が、ダンジョンのモンスターは迷宮神が創ったと言われている。

 ダンジョンモンスターの方が後で、地上のモンスターを真似て創ったとされていた。

 魔石を出すのはダンジョンモンスターのみ。

 ならセシリアはダンジョンに入っているのか?


「お前、どっかのダンジョンに入っているのか?」

「あぃ──【ずっと西の山奥にあるダンジョン。人誰もいないの】、う」

「人がいない……じゃあまだ最下層を攻略した奴も?」

【いないと思う。分からない。でも町はない】


 ダンジョンの最下層には、コアが設置されている。

 このコアを破壊すると、ダンジョン上層部からモンスターのリポップを停止させるか否かを決めることが出来た。

 しかもリポップ停止の他にも、資源区画として設定することも可能。

 鉱石類はこうしてダンジョンから採掘される。


「まぁ一階にモンスターがいたとしても、リポップ不可にしなかったってこともあり得るしな」


 俺がそう言うと、セシリアは頷いた。


 彼女は誰もいないダンジョン一階でモンスターを倒し、魔石を拾っては獣人族やエルフ族、ドワーフ族と物々交換をして必要な物を入手しているらしい。

 十三歳だってのに、しっかりしてるな。


「で、岩塩ってのはどこで手に入れてんだ?」


 岩塩──塩!

 地上ではどうか知らないが、地下街では塩は高級品だ。

 干し肉もきっと塩を掛けて食えば美味くなるはず!!


 

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