第33話 本・音・解・放

 美術準備室へ行かなくなってから一週間が経った。その間も俺は中楚がどうして突然あんなことを言ったのか、なぜ自分が怒ったしてしまったのかを考えて……今は何となく答えが出ている。


 だが、そうやって準備ができても俺はなかなか美術準備室へ足を運べなかった。その理由は2つある。


 1つは今更どのツラ下げて会えばいいかわからなかったからだ。最後に話した時はキツイ態度を取ってしまったので、俺が謝ろうと思っていても、中楚は顔も見たくないと思っているかもしれない。それで門前払いされてしまったら……と悪い方にばかり考えてしまっていた。


 もう1つは美術準備室に行くまでの壁が多いことだ。まずは心配をかけた涼花ちゃんに話さなければいけないし、美術室に入るとなれば部員の皆さんにも何か説明が必要になるだろう。そこを突破してから中楚と話すとなると、かなりの気力が必要だ。


 時間が空くほど行きづらくなってしまうのはわかっているのに、そういうことを考えて足踏みしてしまうのは俺のチキンなところが出ていた。


 そんなことを考えながら、今日もどうしようかとかと迷っていた……その時だった。


『2年2組の三雲輝邦くん。職員室の榎沢のところまで来てくださーい。繰り返します。2年2組の……』


 放課後の校内に響き渡る自分の名前。校内放送で呼ばれるなんていつ以来だろう。いや、校内放送って委員会で役職ある人を呼ぶ時や何か重要な連絡がある時くらいしか使われないから、平々凡々な俺は初めて呼ばれた気が……って何やからしたんだ俺!?


「輝邦、何やらかしたんだ!?」


 帰り支度を始めていたクラスの男子連中も俺と同じリアクションだった。しかし、焦る俺と比べると何故か盛り上がっているようにも見える。


「何もしてない! なんでやらかした前提なんだよ!?」

「でも、何かしてないと呼ばれないだろ?」

「榎沢先生ってことは……もしかして、最近ウワサされてる美術室から突如聞こえる嘆き声の正体って……」

「し、知らないよ、そんなの……」


 噂と聞いて一瞬驚いたが、俺が美術準備室へ入り浸っている話じゃなくて安心する。知られてしまうとこいつらがもっと騒がしくなってしまう。


「輝邦、呼ばれたなら早く行った方がいい」


 そんな風に俺が男子連中に絡まれる中に秀吾が割り込んむ。俺の近況をわかっているからこそ、そうしてくれたのだろう。


「わ、わかった。……サンキュー、秀吾」


 俺が小声で言った感謝に秀吾は小さく頷いた。




 職員室に到着すると、俺はすぐに榎沢先生の話を聞き始める。でも、ここへ来るまでの間に冷静さを取り戻していたので、呼ばれた理由と言われることは何となく想像が付いていた。

 俺が美術準備室へ行き始めたのは榎沢先生に半分くらい脅されたのが始まりだし、一週間も行かなかったとなれば中楚もそれを知らせるに違いない。

 だから、今日再びあの冤罪写真を見せて、もう一度中楚の相手をするように……


「あっ、あの写真と動画なんだけど、この前スマホ買い替えた時にデータ消えちゃった」


 違った。俺は存在しない罪を数える必要はなくなったらしい。


「まぁ、消えたことを証明できないからバックアップ取ってると言われたらそれまでなんだけど」

「そこまで疑いませんけど、普通はもっと大事に取っておくんじゃ……」

「実を言うと、今三雲くんに言われるまで半分くらい忘れてたんだよねー」


 相変わらず緩い空気で榎沢先生は言う。校内放送を使ってまで呼んだのだから、怒られるつもりで来ていたけど、どうやらそういう感じではない。


「じゃあ、今日はいったい何で……」

「それはもちろん、一週間くらい清莉奈のところへ行ってないことなんだけど……先生から言いたいのはもう無理して行かなくても大丈夫って話」

「……えっ!?」

「いやさー ぶっちゃけると、最初に三雲くんへ頼んだ時はここまで長く関係が続くと思ってなかったの。三雲くんに圧をかけていても本当に嫌なら投げ出してもおかしくないと思ってたし、清莉奈も裸夫だなんだと言ってるけど、すぐに飽きるものだと思ってた。それでも清莉奈が学校へ来るモチベーションのためにと思って、三雲くんには無理やり付き合って貰うようにしたってわけ」


 榎沢先生にそう言われて俺は唖然としてしまうが、榎沢先生は構わず話を続ける。


「それが蓋を開けてみれば、思ったよりも二人の相性が良くて。特に清莉奈はえらく三雲くんのことを気に入ったみたいだったから、とりあえず先生からはあんまり口を挟まないようにしてたの。時々はちょっといざこざがあっても二人で解決できてたみたいだから、先生がいなくても大丈夫思ってた。ただ、今回は上手くいかなかったみたいだけど」

「……はい」

「あっ、別に責めてるわけじゃないのよ? むしろ、今までが奇跡的に噛み合って……ううん。たぶん三雲くんの方が色々と妥協してくれてたんだと思う。それが今回のことで妥協できなくなったのなら、これ以上三雲くんが無理する必要はない。だから、先生からは強制的に清莉奈のところへ行くようには言わないし、仲直りするように説得もしないわ」

「つまり……俺は自由になったと」

「うん。先生も今まで無理を通してごめんなさい。それと同時にありがとうね。おかげで清莉奈は前以上に元気になって、色々と前向きに考えられるようになったわ」


 微笑みながらそう言った榎沢先生は、本当に感謝してくれているのだろう。それなら、役立てて良かったとは思うし、もう行かなくていい理由も納得できる。

 

 だけど……それで終わりにしていいのか、俺は。

 俺が中楚のところへ行けないのは、顔を合わせるのが嫌なせいなのだろうか。謝りたくないからなのだろうか。このまま中楚とのことを忘れたいと思っているのだろうか。


 違う。違うんだ。本当は……


「……と、ここまでは先生としての言葉。脅した口が何を言うのかと思うかもしれないけど」


 考えにふけっていた俺を現実に引き戻すように榎沢先生はそう言う。


「ど、どういうことですか?」

「ここからは榎沢個人としての言葉ね。今回のことを清莉奈から話された時……清莉奈はめちゃくちゃ反省してた。しょうもないことしてしまった、本当はあんなこと言うつもりじゃなかったって」

「えっ!? な、中楚が……?」

「それに寂しがってもいたわ。本当は今すぐにでも会いに行きたいはずなんだけど……三雲くんも知っての通り、清莉奈はあそこから出るにはまだ時間が必要で。だったら、メッセージでも送ればいいじゃないって言ったら、そこは直接会いたいってわがまま言うし」


 そう言いつつも、中楚とのやり取りを話す榎沢先生はどこか楽しそうに見えた。教師というよりは友達の一人として言っているような、普段通りの緩さとは違う雰囲気があった。

 そして、その雰囲気のまま榎沢先生は言う。


「だから……もし三雲くんが良ければもう一度美術準備室へ行って、清莉奈に顔を見せてあげて欲しい。今後も行かなくていいことは変わらないから、清莉奈が言いたいことを言わせてあげて欲しい」

「先生、俺は……」

「もちろん、強制はしないわ。別に今日じゃなくていいし、気が向いた時にでもね。ふぅ、榎沢の話はこれで終わり!」


 そう言いながら榎沢先生は体を伸ばす。それが話を終えた合図と受け取った俺は少し考えてから口を開く。


「……俺も悪いんです。今回のことは」

「そうだったの? まぁ、詳しいことは先生も……」

「今から行ってきます!」


 返事を聞く前に俺は居ても立っても居られなくなって、お辞儀をしてから職員室を飛び出す。


 そう、俺だって現在進行形でめちゃくちゃ反省しているし、しょうもない恥やプライドに捕らわれていると思っている。本当は中楚の言ったことに文句を言うつもりなんてなかった。


 それと同時に――


「……中楚!」

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